「マセマティック放浪記」 2000年8月16日
Mathematics Odyssey August 16, 2000
カヤノ平へ

  翌日は雨模様だったが、小渕登美子さんのご子息、美宏さんの案内でともかくカヤノ平へと向かうことになった。先導の美宏さんの車のあとに続くべく、私もホンダ・ドマーニのハンドルを握った。たまたまこの時は私の愛車(哀車?)トヨタ・ライトエースではなく同行の米沢慧さんの車での旅だったので、ホンダがホンダを運転するという妙なことになってしまった。豊田さんがトヨタの車に乗るようなものだからまあどこにでもある話だが、自分の姓と同じ名のメーカーの車に乗るというのはちょっぴり気恥ずかしい気分がするものだ。もっとも、運転するほうの気まぐれなホンダとは違い、運転されるほうのホンダは従順そのものではあったのだが……。
  山之内町夜間瀬の集落付近を過ぎると道は急坂となった。折からの雨に煙って視界はあまりきかないが、高度が上がるにつれてみるみる樹々の緑が深まってきた。スキーのメッカとして名高い志賀高原から野猿との混浴(?)で有名な地獄谷温泉などのある野沢温泉村方面に向かっては、平均高度千四、五百メートルくらいの山稜が大きく長くのびだしている。奥志賀高原と呼ばれるこの一帯には、開発の進んだ志賀高原周辺とは違って、まだまだ豊かな自然がふんだんに残されているようだ。
  そのなだらかな稜線上をくねくねと縫うようにして走っている奥志賀林道は、私が初めて訪ねた頃は地図にもほとんど載っていない狭くてデコボコだらけのダートの林道だった。しかし、いまでは道幅も広がりほとんどの部分が舗装もされて、快適な走りが楽しめるようになっている。美宏さん運転の先導車がその奥志賀林道を目指しているのは明かだった。
  やがて我々の車は奥志賀林道にぶつかり、そこを左折して野沢温泉村方面へ向かってすこしばかり走ると、右手に未舗装の細い林道の分岐する地点に着いた。その林道の入口には鍵のかかったゲートがおりており、一般車はそこから先には進入できないようになっている。進入するなといわれると逆に進入したくなるのが人間の常で、旅先などで一般車走行禁止のこの種の林道に遭遇すると、たとえ歩いてであってもその奥を探索したくなるのは私の困った性(さが)である。それに実際そうしてみたほうが思わぬ発見や椿事に回り逢えて面白いのだが、当然それなりの苦労も伴う。
  ただ、この時は美宏さんがゲートの鍵を持っていたのでなんの苦労も要らなかった。美宏さんにそのゲートを開けてもらい、その林道に車を乗り入れてしばらく走ると、突然林の中に簡素な木造小屋が現れた。そこが、混牧林事業組合長の東城厚さんが夏場に常駐なさっている番小屋だった。我々一行は、ある種の達観さえも感じさせる東城さんの穏やかな笑顔に包まれるようにして車を降りた。
  もうお昼どきとあって、小屋の前ではやはりこの混牧林事業を見学にきたらしい男女数人の先客が昼食用バーベキューの準備をしているところだった。ほとんど手ぶら同然でやってきた我々も、結局先方のご好意に甘えその一団に合流させてもらうことになった。
  小屋の周辺に目をやると、一面すべてがブナ林とまではいかないものの、それでも大小かなりの数のブナの木が天に向かって枝を広げているのが見えた。平地ではとっくに新緑の季節は過ぎていたが、ここは豪雪地帯でしかも相当に高度があるところなので、ブナの葉はまだ見るからに瑞々しい感じだった。小屋のすぐ前には澄んだ渓流が流れており、そこから響いてくる水音も実に軽やかで心地よい。カヤノ平一帯は折からの小雨に煙っていたが、それでも大自然の中で取る昼食の味は格別だった。
  信濃産の和牛のバーベキューも美味だったが、東城さん手製の根曲竹の筍を具にした味噌汁の味も抜群だった。細く柔らかい筍の歯ごたえもほどよく、食感が実にいい。奥志賀高原一帯は根曲竹の筍がたくさん採れるが、たまたま我々が訪ねた時期はちょうどその採取シーズンにあたっていた。東城さんの話だと、根曲竹とはチシマザサのことなのだそうで、この筍は鯖の缶詰をダシにして味噌汁をつくると最高なのだという。長野県北部では根曲竹の筍のシーズンになると鯖の缶詰が異常はほど大量に売れるらしい。
  鯖の缶詰をダシにするとよいというのは私も経験上よくわかる。秋の頃に山に入りいろいろな茸などを採って現地で茸汁をつくるときなどにはとても重宝なのである。鯖の缶詰、なかでも中身がフレーク状のものをコンビニやスーパーなどで買っておき、それをそのまま鍋の中に放り込み、茸や味噌と一緒に掻き混ぜながら加熱するとると、たちまち茸汁ができあがる。つくるのに手がかからないうえに、これが実にうまいときているのだ。
  なんとも意表を突かれたのは根曲竹の焼き筍だった。採りたての筍を焼いて食べるという発想はこれまでの私にはないもので、ちょっとした驚きだったが、実際に出されたものを食してみるとほとんどアクもなくなかなかに味わい深かった。ただ、半焼けのものの根元のほうの部分はさすがに硬く、無理して食べるうちにパンダになったような気分がしてきたことだけは正直に告白しておいたほうがよいだろう。
  昼食後に番小屋前の渓流をのぞいてみると岩魚の影がチラホラ見える。浅く細い渓流だからその気になれば岩魚の手掴みができないこともなさそうだ。考えてみると、このカヤノ平一帯は、河原の天然露天風呂で名高い秋山郷切明温泉付近で中津川本流から分岐する雑魚川(ざこがわ)の源流域にあたっている。渓流釣りを趣味とする人々の憧れの的である岩魚を雑魚と呼ぶのはいささか忍びないが、岩魚をはじめとする雑魚、すなわち各種の渓流魚がこの川の流域には多数棲息していたから雑魚川という呼称がついたに相違ない。そうだとすれば、この付近の渓流にたくさん岩魚がいても当然というものだ。
  東城さんから餌をもらった米沢慧さんは、車のトランクから釣具を取り出すとさっそく岩魚釣りにチャレンジしはじめた。これまで直接にはその釣り姿を目にしたことはなかったが、岩魚釣り歴は結構長いと聞いている米沢さんの腕に私は期待をかけた。だが、どうにも外野がうるさ過ぎた。いまは長年勤めた営林署を退職なさって混牧林事業組合長におさまっておられる東城さんは、自己調達した岩魚を番小屋での食糧にしておられるくらいだから、もともと岩魚釣りのベテランである。また、地元の長野市近辺の在住らしい先着グループの中の男性らもその口ぶりからして岩魚釣りのキャリアがかなりあるらしかった。
  そんな連中が脇から「もっと竿も釣り糸も短いほうがいい」だの、「これじゃ入れ食い間違いないね」などと好き勝手なことを言うものだから、米沢さんは気ばかり焦って思うように腕が揮えない、いや、腕が震えて容易には狙いが定まらない。岩魚のほうは岩魚のほうでなんだかやけに周りが騒々しいとでも思ったのだろうか、餌にそっぽを向いたばかりか、岩陰に隠れて姿が見えなくなってしまった。「俺様だってプライドはあらーな!……それ食いねえ、ほれ食いねえってこれ見よがしに出される餌に食いつくんじゃ、野生の誇りが許さねえ!」と岩魚の君が意地を張るほどに、相手をする米沢さんのプライドのほうもどんどんオーバーヒートするばかりだ。
  この勝負ちっとやそっとじゃ決まらないと見切りをつけた美宏さんと私とは、米沢さんをあとに残して林道伝いに奥の方へと歩きだした。牛たちが放牧さてれいるところまで一足先に行ってみようというわけである。雨合羽を羽織ってののんびりとした歩行だったが、 美しくのびやかなブナの木立や深々と繁るチシマザサやスズタケの群生する笹藪を左右に望みながら他に人気のない林道を進むのは、なかなかに味のあるものだった。道路脇のあちこちにはタラの木なども生えていて、刺々のある細長い幹の先端や枝先には食べ頃のタラの新芽がふんだんについていた。



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