「マセマティック放浪記」 2000年8月9日
Mathematics Odyssey August 9, 2000
しなのぐらしコミュニティ

  栗鹿の子や栗落雁などの銘菓で知られる長野県小布施町は、長野市の北東郊外に位置している。長野市からは長野電鉄で二十分ほど、車だと豊野町または須坂町経由で三十分ほどかかる。電車、車どちらで行っても長野市方面からだと途中で千曲川を渡ることになる。
  こじんまりした町だが、歴史と伝統文化を重んじた計画的な街造りがおこなわれていることもあって、街並みは独特の風情と情趣に満ち溢れているから、ただぶらぶらと散策するだけでもいろいろな発見があって面白い。小布施のガイドマップに「小布施の街はスニーカーサイズ」とうたわれているように、自分の足で歩き回るのにほどよい大きさの街並みであることもさいわいだ。
  秋の頃など小布施堂をはじめとする老舗の店先に腰をおろし、一服しながら栗鹿の子や栗羊羹、栗落雁の味を楽しむのもまたおつなものである。ただし、栗菓子はむろんのこと、「栗」という一文字を見ただけでも気分が悪くなったり震えがきたりするという栗アレルギー(そんなアレルギーがあるかどうかは知りませんが)の方だけはこの町は避けたほうがよいだろう。なにせ、いたるところで栗製品が売られているのにくわえて、どちらを見ても栗、栗、栗という文字だらけときているのだから……。
  意外に思われる方が多いかもしれないが、この小布施の町は葛飾北斎と縁(ゆかり)が深い。小布施出身の豪商高井鴻山は、齢八十を過ぎ画境老成の極みに達した葛飾北斎をはるばる江戸からこの地に招き、誠意を尽して厚遇した。庇護者の高井鴻山の心配りもひとかたならぬ瀟洒な「画亭」、すなわちアトリエを兼ねた居所にあって、北斎は次々と名作を生み出していったようである。
  三十代後半に美人風俗絵師として頭角をあらわした北斎は、四十代から五十代にかけて読本(よみほん)挿絵や絵手本(えてほん)の絵師として新風を巻き起こし、七十代になると有名な「富嶽三十六景」をはじめとする独特の浮世絵で一世を風靡した。人物主体だった浮世絵の世界に異例とも言える風景画を持ち込み、独創的な浮世絵師としてその評価を不動のものとした北斎だったが、彼の画境の深まりはとどまるところを知らなかった。齢八十を迎える頃になると、浮世絵師としての評判をまるで無視でもするかのように、北斎は肉筆画にその心魂を傾けはじめる。彼が鴻山に招かれ小布施の地に寓居するようになったのはちょうどその時期に相当していた。
  たぶん作り話なのだろうが、将軍の面前であるのを憚らず、両足の裏に赤い絵の具をたっぷり塗った鶏を真っ白な画紙の上で歩かせ、「庭に散る紅葉にこざいっ!」とやったとかという伝説も残るくらい、奇行癖があり偏屈で権力に対する反抗心も強かった北斎のことである。千の利休などと並んで我が国のフリーランスの先駆け的な存在だったその天才画家がひとえに信頼を寄せたというのだから、高井鴻山という人物もまた、財力だけが頼りの単なる豪商などではなく、一流文人としての品格をもあわせそなえもつ稀代の傑物だったのだろう。京都や江戸に出て国学、蘭学、漢学などを広く学んだ陽明学者の鴻山は各界の重鎮たちとの交流も多く、詩文や書画においても優れた業績を残しもしたようである。面白いことに、彼は妖怪画にも異才を発揮したという。
  ほぼ街並みの中心に位置する北斎館には、葛飾北斎の肉筆画、画稿、書簡など約五十点のほか、北斎直筆の天井絵で知られる祭屋台二基も展示されていて、北斎ファンには必見のスポットとなっている。北斎館の一室では、「画狂―北斎と肉筆画」、「小布施の北斎」などのマルチスライドが上映されているが、そのなかで紹介されている北斎晩年の言葉などはなんとも興味深い。晩年彼は、「自分には六歳の頃から事物の形状を描き写す癖があった。五十歳を過ぎた頃からいろいろな絵図を描くようにはなったけれども、七十歳以前に描いた作品には取るに足るようなものは一つもない。自分の絵の技量はまだまだ未完成だが、百歳になる頃までには完成の域に到達できるようにと願っている」といったような主旨のことを述べ語っていたらしいのだ。
  そうか、北斎でさえも七十歳まではたいした作品は生み出せなかったのか……じゃ、俺が今まで何一つ満足な仕事ができなかったのも無理ないな!……などとワルノリして己の無能さを自己弁護したくもなるところだが、凡才にはたとえ十倍の七百年をかけることが許されたとしても凡々たる仕事しかできないことだろう。
  北斎館のほかにも、復原されたかつての北斎の画室などもある高井鴻山記念館、江戸時代から大正時代までの照明器具を多数集めた日本あかり博物館、地元の民俗資料千四百点を展示した歴史民俗資料館、さらにはフローラルガーデン小布施、中島千波館、栗の木美術館、現代中国美術館と、文物や美術工芸品の見どころには事欠かない。蕎麦屋をはじめとする各種の食べ物屋や土産物屋も一軒一軒が個性的で落着いた雰囲気の店構えになっており、店それぞれのもてなしを通して旅人の心にひとときの安らぎを与えてくれる。

  ところで、そんな小布施の町の中心街から北に少しばかり離れたところに、「NPO法人(非営利事業組織)しなのぐらし」が運営する小布施オープンハウスが建っている。先日、縁あって私は開設されて間もないこの小布施オープンハウスを訪れる機会を得た。このNPO法人「しなのぐらし」とその支援組織「しなのぐらしコミュニティ」の代表を務めておられる小渕登美子さんには以前から多少の面識があったので、この独特の非営利組織の活動方針や活動理念についてかなり詳しくお話をうかがうことができた。小渕さんは謙虚で柔和な物腰の奥に確たる信念を秘め持った感じの信州女性で、こういう方のいざという時の行動力と決断力がどれほどのものかは私にも容易に想像がついた。
  小渕さんに伺ったところによると、小布施オープンハウスは、老後を自立して暮らしたいと願う人々や心身に障害をもつ人々と共に、真に生きることの意味やそのためのすべを考える場所として、多くの共感者の支援と協賛のもとに建てられた施設だという。この施設は、老人や心身の不自由な人々と心の交流をはかりつつ一日を共に送る、いわゆるデイサービス業務を請け負うほかに、地域サロンとしての役割も担っているのだそうだ。近隣に住む様々な人が気軽に立寄り談話を楽しんだり情報を交換したりすることもできる。特技をもつ人や時間のある人には、無理ない範囲でオープンハウスの維持としなのぐらしコミュニティ全体の発展に協力してもらってもいるという。
  また、このコミュニティに関心のある人ならたとえ県外者であっても会員になれるシステムで、オープンハウスをキーステーションにして広い交流がはかれるようにもなっている。ときには外部から講師を招いたりして各種セミナーや小規模な講演会などを開催したり、ハウス内ののスぺースをギャラリーとして開放したりすることもあるようだ。二階には遠来の会員やその同行者が十人か二十人は宿泊できるような部屋も用意されており、そのために必要な浴室や専用キッチンも完備している。私も一泊させてもらったが、実に快適な一夜を過ごすことができた。一般の人でも協力金というかたちの施設利用料を払えば安い費用で宿泊できるようである。(連絡先:TEL&FAX 026-247-4756 しなのぐらし)
  小布施オープンハウスの建物には美しい木肌の天然木材がふんだんに使われており、各室内や廊下、浴室、洗面所などは、徹底したバリアフリーの構造になっている。たとえばトイレ一つとっても、ドアの開閉、点灯や消灯、水栓の開閉、事後の洗浄などが自動的に行われるようになっているし、非常時の呼び出しブザーもついているから、体の不自由な人でも安心して利用できるというわけだ。
  正六角を中心線で半分に切った形(台形になっている)のテーブルもなかなかのアイディアだといってよい。この風変わりな台形テーブルは、複数個組み合わせると実に様々な形をつくりだすことができるからなんとも機能的で、その時々の目的に応じて適宜自由に並べ替え使うことが可能なのだ。さりげないこういうこまやかな配慮の積み重ねが「しなのぐらし」の活動を支えているというわけである。
  「ほんとうに人間らしい豊かな生き方は何か」とか「自然と共生するライフスタイルとは何か」とかいったようなことを同じ志をもつ人々と共に学び考え、それらを通して得られた知識や技術を普及継承していくことがこの組織の活動の理念なのだという。地域独自の生活の重視や自然回帰の重要さが見なおされるようになったいま、国内各地においてこのような活動をする人々が徐々に増えつつあるが、この「NPO法人しなのぐらし」の活動などはその先駆的な試みの一つといってよいのだろう。
  小渕さんの話によると、そんなしなのぐらしコミュニティの運動を特徴づけるいま一つの試みは、「カヤノ平混牧林事業」との提携活動であるという。長野県の北部に位置する広大な奥滋賀高原の中ほどにカヤノ平と呼ばれる地域がある。標高千四百メートルを超えるこの豪雪地帯のカヤノ平では、長年にわたって「混牧林事業」というきわめて特異な事業活動が行われてきたらしい。「混牧林事業」という言葉を私は小布施にやってきて初めて耳にしたのだが、要するに牧畜と森林育成とを同じ場所で同時におこなう特殊な事業形態のことをと意味しているようだった。
  かつての過度な森林伐採で荒れ果てた国有林の一部を地域組合で借り受け、その地で黒毛和牛の放牧を行いながらブナ林の再生と既存の森林資源の保護をはかろうとする異色の事業活動なのだそうで、小渕さんはその事業組合の事務局長をも兼務しておられるとのことだった。
  たとえ一時的であってもしなのぐらしコミュニティにかかわる人々には、この混牧林事業の息の長い展開についても知ってもらいたい、そして、実際にその現場を訪ねてその事業の成果を肌で感じ取り、そこで繰り広げられる自然と生き物との本来あるべき共生関係を見つめ直してもらいたい……組織の代表を務める小渕さんの言葉の奥には、そんな強い想いが秘められているような気がしてならなかった。
  百聞は一見にしかずというから、せっかくここまでやってきて混牧林事業なるものを一目も見ないまま東京に帰る手はないだろう。結局、その翌日、私は、小布施までずっと一緒に旅してきた評論家の米沢慧さん父子ともにカヤノ平を訪ねてみることにきめた。小渕さんの息子さんには案内役に立ってもらえるというし、カヤノ平の番小屋では混牧林事業推進組合長の東城厚さんが我々を待っていてくださるということだったので、それはもう願ってもない成り行きだった。



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