「マセマティック放浪記」 2000年8月2日
Mathematics Odyssey August 2, 2000
落日の煌き―中城ふみ子の
魂の光芒

 
  冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己れの無惨を見んか

  これは、十数年前、帯広の町の一隅でたまたま見かけたある歌人の歌碑に刻まれていた一首である。自らの人生にまつわる壮絶な物語とその終焉とを凄まじいまでに透徹した目で見据えたこの歌に接したとき、私は激しい衝動に襲われた。そして、非運の重来を偲ばせる「冬の皺」という言葉と、死の予兆に包まれた「己れの無惨」という表現の背後に潜む作者の想念をより深く読み解きたいという思いに駆られ、私は憑かれたかのようにこの帯広育ちの女流夭折歌人の歌集と伝記に読み耽った。中城ふみ子というこの歌人が、死の病の床にありながら歌集「乳房喪失」を世に問い、凡庸な生活短歌が主流だった当時の写実主義短歌界に一石を投じたということを知ったのはその時である。冒頭の歌は「乳房喪失」中の「冬の海」と題された歌群中に収められている。
  中城ふみ子の歌の一語一語には、青く燃えさかる不気味な鬼火の輝きと、菩薩の笑みとも天女の囁きともつかぬ妖艶な響きが共在している。いったんその歌のもつ言霊(ことだま)の響きにとりつかれてしまった者たちにとって、その妖力から逃れることは至難の業だったに違いない。もしもこの歌人が往時のままの姿でいまも生きていたならば、この愚かな身なども、その魔性の言葉の糸にからみとられ、たちまち身動きができなくなっていたかもしれない。
  中城ふみ子は大正十一年、帯広の裕福な呉服店の長女として生まれた。わがままでたいそう気性の激しい少女だったらしいが、孤独を愛する一面をもち、暇さえあればいろいろな本を読み漁ったりしていたという。帯広女学校では川端康成の作品に傾倒、東京の家政学院に通っている頃に初めて短歌の手ほどきを受けるのだが、師の池田亀鑑からは、「演技的で才走りすぎている。もっと素直に詠えないものか」と評されたという。その指摘は的を射てはいたのだろうが、裏を返せば、それは善くも悪しくも彼女の熾烈な魂の存在の証であったとも言えよう。
  昭和十七年、二十歳になったふみ子は郷里に戻り、北大工学部を首席で卒業した優秀な国鉄技師、中城弘と結婚する。だが、その二、三年後、鉄道汚職事件に連座し左遷された夫の弘は、プローカーの仕事に手をそめ身を持ち崩していく。いったんは再起を期して夫の郷里高松に転勤するが、弘の転落は止まらなかった。ふみ子は家族ともに実家のある帯広に戻り、弘は帯広工業で教鞭をとるようになるが、その仕事も半年とは続かなかったようである。
  ここに至って、ふみ子は不仲になった夫の弘と別居、ついには離婚を決意する。ふみ子と弘の間には二男一女がもうけられていたが、もはやその子供たちの笑顔をもってしても夫婦の間を繋ぎとめることはできなかった。昭和二十五年、二十八歳のときにふみ子は弘と離婚する。離婚後も旧姓の「野江」ではなく「中城」という別れた夫の姓を名乗り続けた背景には、子どもたちのためということのほかに、言語の響きとリズムに鋭敏な感性をもつ彼女ならではのこだわりのようなものがあったようである。たしかに、「野江ふみ子」よりは「中城ふみ子」という名のほうが語感的にも韻律的にも洒落ている、とは言えないこともない。
  それまでの良妻賢母の誇りをかなぐり捨て、かつて周囲の誰もが羨んだ弘との生活に終止符を打ったあと、ふみ子は次のような歌を読んでいる。

  悲しみの結実(みのり)の如き子を抱きてその重たさは限りもあらぬ
  童らの環を散らしゆく夕かぜに父なき吾子の甲高き声

  しかし、皮肉なことに、この家庭的な不幸が、ふみ子の内に密かに棲み続けていた「稀代の魔性」と、意識の奥底に眠っていた「不世出の才能」とをいっきに解放することになった。まるでそれは、残された時間の少ないことをある日突然に天から告示されでもしたような変貌ぶりであったらしい。友人に誘われて入会した帯広の短歌会を皮切りに、道内短歌会会員として活動するようになったふみ子は、めきめきと頭角をあらわし、人々の胸中、なかでも男性歌人の心の中に一種の酩酊感をもたらす抒情性の強い歌を詠んでは会員間に賛否の嵐を巻き起こした。

  水の中に根なく漂ふ一本の白き茎なるわれよと思ふ
  捌かるる鞭なきわれのけだものはしらじらとして月光にとぶ
  信ずるもの実在のみと言ひきれずわが奥底に獏は夢食ふ
  滅びよと駆り立つるものある時は妖婆のひきし車にも乗る
  けものさへ冷たき目にてつき放すわが生きざまか淋しくてまた
 
  こんな歌を詠むいっぽうで、二十歳過ぎの美貌の独身女性にしか見えなかったというふみ子は、解放されたその魔性の妖力をもって幾人もの男たちを恋の虜にし、帯広界隈に浮名を馳せらせた。社会がまだ古い倫理観に縛られていたその時代に、彼女は人目を憚らず愛人たちとの不倫に走り、彼らを手玉に取って翻弄し、悩ましいまでに蠱惑(こわく)的であるにもかかわらずどこか虚しいほどに醒めた眼差しと天才的なレトリックをもって、その心象風景をあますことなく新たな歌へと詠み托していったのである。それらの歌には、このとき既に、なんとなく己の死を予感していたのではないかと思われる響きさえも感じられる。

  限りなき光の風や君たちはわれを乗せくるるてのひら持たぬ
  蝸牛つの出せ青葉の雨あとに人間のほかなべて美し
  大楡の新しき葉を風を揉めりわれは憎まれて熾烈に生きたし
  わが生きる限り思い出を歌として地上の冷たき墓に詣でず
  成就するなしと知るゆゑ優しくて肩ならべゆく春の薄氷
  灼きつくす口づけさえも目をあけてうけたる我をかなしみ給へ
  わがために命の燃ゆる人もあれ不逞の思ひ誘ふ春の灯
  陽にすきて流らふ雪は春近し噂の我は「やすやす堕つ」と

  しかしまた、そのいっぽうで、まごうかたなき母親でもあったふみ子は、我が子への思いと魔性の女の情念とが絡み渦巻くその胸中をいくつもの歌に詠み込みもした。

  譲らざる凛々しき声に涙ぐむ可愛ゆき自我よ仔鹿のつのよ
  梟も蝌蚪(かと)も花も愛情もともに棲ませてわれの女よ
  子を抱きて涙ぐむとも何物かが母を常凡に生かせてくれぬ
 
  そんなふみ子に大きく死の影が迫ってきたのは三十歳のときである。乳癌におかされていることがわかった彼女は、帯広の病院で左乳房の切除手術をおこなうが、一年後には右乳にも癌が転移、右乳房をも切除せざるをえなくなった。この時に詠まれたという鬼気迫るばかりの歌は、のちに刊行される歌集の「乳房喪失」という表題を生むきっかけにもなったのだった。冒頭に紹介した一首もこの時期に詠まれたものである。

  われに似しひとりの女不倫にて乳削ぎの刑に遭はざりしや古代に
  冷やかにメスが葬りゆく乳房とほく愛執のこゑが嘲へり
  わが白き乳房が埋めてあるらしく燐光はなつ夜の渦まき
  救ひなき裸木と雪の景色果てし地点よりわれは歩みゆくべし
 
  死神の姿を垣間見てその影を呪ったふみ子ではあったが、その常人離れした魂は、宗教的な悟りや自省と諦念のもたらす静寂の境地へは向かわず、最後まで「生」と「性」への執念の炎の燃え立つ修羅の世界を駆けめぐった。彼女は神に頼らず、魔女のごとくに不遜に振舞い、死の恐怖と人知れぬ孤独感にのたうちながらも、妖しい情念の炎の揺らめきと美獣の誇りを失なうことなく、男どもを恋に狂わせ我が意のままに翻弄した。そして、そんな情交の修羅場を背景にしたふみ子の歌は、妖麗かつ凄絶な響きを秘めて一段と冴えわたり、数々の美しい相聞歌へと結晶した。それはまさに落日寸前の光芒にも似た、壮麗な最後の魂の輝きそのものであったと言ってよい。
  中城ふみ子の歌の秘めもつ固有の物語性を思うとき、この人には歌人として以上に作家としての才能があったのではないかという気がしてならない。もしもふみ子にせめてあと十年の余命が与えられていたら、彼女はひとかどの作家として大成しえたのではないかとさえ思う。だが、現実の問題として、彼女は残された己の生の証を短歌にかけるしかなくなっていた。迫りくる死の恐怖と戦い、無間地獄を漂う孤独な魂にひとときの安らぎを与えるためには、鎮痛の麻薬や睡眠薬にもまさる短歌という武器で身を固めるしかなかったのであろう。
  両乳房の切除も虚しく癌が悪化し、ふみ子は、癌病棟の別称をもつ札幌医大放射線科病棟に入院するが、実際そこで綴られた手記の中で、彼女は、「不治といはれる癌の恐怖に対決した時、始めて不幸の確信から生の深層に手が届いたと思ふ。陰鬱な癌病棟に自分の日常を見出した時どうして歌声とならずに置かうか。私の求める新しい抒情はこの凍土の性格に培われるより外ない」という言葉を残している。

  帯広で左乳房を切除したあと、まず、ふみ子は年下の美青年を己の身体に溺れさせ、その無垢な魂を籠絡(ろうらく)した。

  燃えむとするかれの素直を阻むもの彼の内なるサルトル・カミユ氏
  音高く夜空に花火うち開きわれは隈なく奪はれてゐる
  
  癌の転移と悪化にともない右の乳房をも喪失、そのあと入院した札幌医大では、担当の若い医師や地元の短歌誌「新墾(にいはり)」の編集同人で花形歌人だった男性と関係をもつ。ふみ子の死の一ヶ月前に東京の時事新聞社から取材のために派遣された若月彰にいたっては、インタビューしたその日のうちにふみ子の魔力に絡み取られ、東京には戻らずに二週間にわたって毎晩ふみ子に添い寝する羽目になった。二人抱き合ってベッドで寝ているところを発見した看護婦が病院をなんと心得るかとその非を厳しく咎めると、ふみ子は、「この病棟は牢獄です。そもそも二人で寝るとどうして療養の妨げになるのですか。私は男の人に抱かれているほうが心が安らぎよく眠れるんです」と反論、療養といってもどうせ死を待つ身なのだから添い寝を認めるべきだと抗弁した。
  末期医療の根幹を突き、世の常識の否定するその抗議には主治医でさえも応答に窮し、その添い寝を黙認する有様だったともいう。「いったん入院したからには、たとえ余命わずかな重病者であっても、極力己を殺して絶対とも言うべき病院の規則や規範に従い、静かに天寿をまっとうするのが至上の美徳だ」とする世間の暗黙の了解事に対し、ふみ子は一個の人間として「それは違う。たとえどんなに醜悪であっても死にゆく時くらいありのままの姿であっていい。すくなくとも私はそうありたい」と異議を唱えたのであった。

  診察衣ぬぎたる君が薔薇の木のパイプを愛しむ夜も知りたり
  学究のきみが靴音おだややかに廊につづかむわが死ののちも
  枇杷の実をいくつか食べてかへりゆくきみもわが死の外側にゐる
  この夜額に紋章のごとかがやきて瞬時に消えし口づけのあと
  ありもせぬ用を頼みてひとときもわれに無関心なるを許さず

  死を目前にした昭和二十九年四月、全国誌「短歌研究」の第一回五十首詠でふみ子の歌は特選となる。旧態然とした陳腐な生活短歌主流の歌壇を憂う編集長中井英夫の英断であったが、当時の中央歌壇の重鎮たちのほとんどはふみ子の歌を誹謗し嘲笑した。まっとうに評価したのは、宮柊二、岡山巌、阿部静枝ら三名だけだったという。ちなみに述べておくと、翌年の第二回五十首詠で特選となったのは、これまた衝撃的な歌を携え登場したあの寺山修司である。
  それでも生前にぜひ歌集刊行をという同人たちの配慮を知って、ふみ子はかねて傾倒していた川端康成に手紙を書き送り歌集の序文執筆を依頼する。たぶん、ふみ子には文壇に君臨する康成の心をも自らの言葉で動かせるという確信があったのだろう。まだ全国的には無名の存在に過ぎなかったふみ子の歌と手紙を読んだ康成は、歌集「乳房喪失」の序文執筆を快諾したうえに、角川の「短歌」編集部に彼女の歌の紹介を依頼、宮柊二の閲覧を経たうえで新たに五十首が同誌六月号の巻頭を飾ることになった。なんと嘲笑されようと、歌人中城ふみ子の業績はもはや不動のものとなったのだった。
  昭和二十九年八月三日、ふみ子は三十一歳で永眠する。本格的に歌を詠むようになってからわずか三年余という短い魂の輝きであった

  不眠のわれに夜が用意しくるもの蟇、黒犬、水死人のたぐひ
  草の上に時間失ひてゆくわれを幼き蝶はしきりに巡る
  乾きゆく足裏やさし一匹の蟻すらかつて踏まざる如く
  灯を消してしのびやかに隣に来るものを快楽(けらく)の如く今は狎(な)らしつ
  死後のわれは身かろくどこへも現はれむたとえばきみの肩にも乗りて

  命の炎の輝きを徐々に弱めながら消え去ってゆくのではなく、たとえ一瞬ではあっても死出の闇空を華麗に彩ろうとしたふみ子は、世の習いに逆らい、「官能美」という火薬を仕込んだ「短歌」という名の「魂の花火」を高らかに打ち上げ、そしてついに息絶えた。
  その末期の有様が世の規範からどんなに逸脱したものであったとしても、ふみ子が打ち上げた魂の花火は、瞬時に消え去るどころか、時間を超えてその残光に出遇う我々の魂をも幻惑し、不思議なほどに胸の奥をうち撼わせる。それは、中城ふみ子というこの人物の生がまぎれもなく一つの真実であり、その言葉の数々が文学と呼ぶに値するものであったことの何よりの証なのだろう。
  いまもなお抑制のきいた写実主義が至上とされる短歌界の主流からすれば、赤裸々でレトリックに走りすぎているともみえる中城ふみ子の歌など、異形異端のあだ花的な存在であり、忘れ去られて当然ではあるのかもかもしれない。実際、いまの時代に「中城ふみ子」という歌人がいたことを知る者は、短歌を詠む人々の中でもきわめて少数にすぎないだろう。しかし、ここまで裸になり、ここまで正直に己の無惨をさらしきった歌を、いったい余人の誰に詠めるというのであろうか。たまに素人歌人の真似事などをする私などには、俵万智が現代のすぐれた女流歌人であるように、中城ふみ子もまた往時のすぐれた女流歌人であったと思われてならないのだ。



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