「マセマティック放浪記」 2000年5月10日
Mathematics Odyssey May 10, 2000
野良猫と野良チャボ

  東京府中の東京農工大学キャンパスは、我が家のすぐ北側に位置している。建前としては部外者が構内に入るために許可が必要なことになってはいるが、事実上、周辺住民は構内を自由に通行することができる。車道を挟んで農工大と隣接する私立高校の生徒たちなどは大学構内を南北に横切る通路を通学路に利用しているくらいである。いまさら部外者の無許可入構を禁止するなどと言われても、長年にわたって構内を散策したり通行したりすることに慣れてきた近隣住民は、そんな規制に素直に従ったりしないだろうから、大学側にしても現在の状況を黙認するしかないのであろう。それに、これからの大学の発展にとって、地域住民との自然な交流は不可欠なことに違いない。
  農工大構内のあちこちには欅の大木をはじめとする種々の樹木が繁っていて、柔らかい若葉の芽吹くこの時節の景観はとくに素晴らしい。正門から構内へと続く通路は、いま見事な欅の若葉のトンネルに覆われている。折々の季節を彩る花々や温室内で実験栽培中の観賞用植物なども散策者の目を楽しませてくれる。仕事に疲れたときなど心身をリフレッシュするために構内を歩き回る私にとって、その緑豊かなキャンパスは「借景の庭」どころか「無断借用の大庭園」なのである。
  キャンパスの東側には広々とした実験用農場があって、季節に応じた様々な作物や果実類が栽培されている。ちょうどいまは畑一面に麦が青々と繁っているところである。畑の片隅ではソラマメなども育っているようだ。天気のよい日などにこの農場内の作業用路を散歩をするのは、ちょっとした贅沢かもしれない。いまどき都会では珍しいくらいに四方の空がひらけていて、夕焼けの空も、そしてそれに続く夕月の輝きや星々の煌きも美しい。靴裏に懐かしい土の感触を覚えながら、四季折々の作物の成長ぶりを眺めてまわるのもおつなものである。早朝や夕刻などは犬を連れて散歩にやってくる人も少なくない。
  現在、我が家では犬も猫も飼ってはいないが、農工大キャンパス内をはじめとするこの一帯にはかなりの野良猫が生息している。我が家の周辺にも生後一、二年ほどの野良猫のの五兄弟が棲んでいて、時々餌をねだりにやってくる。厳しい環境の中で身を守る知恵なのだろうか、眠るときも餌を漁るときも彼らは集団行動をとっているようだ。どれもがなかなかの「猫相」をしていて、当世の飼い猫などには見られない実に猫らしい風貌を湛えている。
  ところがそれら五匹の中に一匹だけちょっと変わった奴がいる。最近、私はその雄猫にに「犬猫」という呼び名をつけた。夜などに散歩に出かけると、そいつは目ざとく私の姿を見つけてどこからともなく現れ、ピーンと尻尾を立てながらどこまでもあとをついてくるからだ。猫のくせにまるで犬そっくりなのである。最初は餌をねだっているのかと思ったのだが、どうやらそうでもないらしい。その行動をじっと観察してみると、私のあとについて自分の知らないところまでやってくること自体に喜びを感じているようなのだ。人間にも異常な放浪癖をもつ者がいるように、猫にも生まれつき放浪癖をそなえた奴がいるのだろうか。もしかしたら、この「犬猫」は私に同類のよしみを感じとっているのかもしれない。そう思うと、私はなんとも複雑な気分になってきた。
  農工大周辺を一周するだけでも相当な距離があるのだが、その「犬猫」は一定の距離を保ちながら、私が気まぐれな散歩を終えて家に戻りつくまでずっとあとをついてくる。なにかの拍子で距離があきすぎると、まるで「ちょっと待て」と言わんばかりに、ニャーンと鳴く。そのくせ、どんなに呼び寄せてみても一、二メートル以上は近寄ってこない。一度でいいから奴の体に触ってやろうと、こちらはじっとチャンスを伺っているのだが、相手はとっくにこちらの胸の内を読んでいるらしく、手を伸ばすと素早く身をかわして遠ざかってしまう。
 「お前のあとについてはいくけど、俺には俺の自由があるから触られるのは絶対嫌なのさ。野良猫には野良猫の誇りがあるからねえ!」と相手は言いたげなのである。「犬猫」と私とのこの奇妙な関係はいったいいつまで続くのだろう。むろん、彼は相当に気まぐれで、昼間、他の兄弟猫や野良猫仲間とのんびり過ごしているときは、横目でこちらの様子を窺ったりはするものの、あとは素知らぬ顔である。
  農工大キャンパスの南側には馬術部の使っている砂敷きの馬場があって、そのすぐ脇に南門がある。この門の周辺の空き地や林の中には、野良猫のほかに野生化した一群の野良チャボが棲んでいる。この野良チャボども、野生化しているだけあって、気性が激しい。いまどきの飼い馴らされた犬や猫などが下手に近づいたりしようものなら、たちまち突つき返されてしまう。時折、大きな野鳥を狙う野良猫どもだって、ここの野良チャボどもにはまったく手の出しようがないようだ。動物好きな近所の住民が時折残飯などを与えているのを目にするが、野良チャボどもは我がもの顔に振る舞ってまっさきに餌をついばみ、そのおこぼれを野良猫どもが鳩の群と一緒になって頂戴しているありさまなのだ。
  林も藪も多く、広い構内に各種の建物や施設が複雑にの入り組んでいるので、どこで抱卵しているのかはよくわからないのだが、ある日突然に親チャボがゾロゾロとかわいい雛を連れて姿を現わすことがある。いまどきの都会では珍しい、なんとも微笑ましい光景で、通りかかる人々の心を和ませてくれることは言うまでもない。だが、自然界の掟はここでも厳しく、その小さな雛たちをカラスや野良猫の群が狙うから、実際に成鳥となるのはほんの一部に過ぎないようだ。敢えて自然淘汰の赴くままにまかせ、生まれた雛を人為的に保護し育て上げようとしないのは、いかにも動物の専門家の多いこの大学のことらしい。そもそもこれら野良チャボどもの所有権が誰にあるのか、いまではもうよくわからない。
  面白いのは野生化したこの野良チャボどもの生態である。我が家から五、六十メートルほどしか離れていない南門の周辺には、高さ十メートルを超える欅やエンジュ、檜、楠、白樫、赤松などの大木が生えているが、日が暮れると彼らはそんな樹木のてっぺん近くの枝までのぼって、そこで眠り夜を明かすのだ。身を守るため、安全な高木の枝間をねぐらにしている訳である。嵐の時などにどうしているのかはわからないが、長年にわたって無事に生き延びているところをみると、それなりに野生の知恵を働かせ風雨を凌いでいるのだろう。
  ところで、それらのチャボどもが、どうやって高さ十メートルほどもある樹の枝までのぼることができるのかと首を傾げる人もあるだろう。いくら野生化したとはいっても、まさかカラスやハトなどのように自由に空を飛べるようになったわけではないのだから、当然彼らなりの方法があるはずだ。最初は私も疑問に思ったのだが、夕刻、彼らの生態を観察するうちに、その謎は容易に解けた。彼らは、激しく羽ばたいて地上から飛び上がると、まず、二、三メートルほどの高さの枝にとまる。そして、そこでしばらく羽を休めると、再び激しく羽ばたいて、そこからさらに二、三メートル上の枝に飛び移る。あとは同様のことを繰り返して地上十メートル前後の高さにまで到達するわけだ。
  夏期などには午前三時か四時頃になると、コケコッコーという勇ましい鳴き声が聞こえてくる。距離が近いばかりでなく、なにせ相手は樹木のてっぺん近くで鳴いているのだから、声の通りがよいことときたらこの上ない。夜十時頃から翌日の明け方にかけて仕事をすることの多い私などは、そろそろ寝ようかと思う頃にコケコッコーとやられると、世間様と時間感覚に大きなズレのある己の生活の状況に一抹の罪悪感をさえ覚えてしまう有様なのだ。最近はやたら街灯の数が増え周辺が明るくなったせいか、気の早い奴などは、午前零時頃になると、もうコケコッコーとやっている。体内時計が狂っているのはどうやらこの身だけではないらしい。野良チャボどもだって時間感覚がわからなくなってきているらしいのだ。
  ときには野生味あふれるこのチャボどもを眺めながら、これを捕まえて食ったらさぞかし美味いことだろうなと妙な想像をすることもある。昔は、私が育った九州の田舎などでは祝い事がある時など、どこの家でも自分の家で飼っている鶏を絞めて食べたものだから、当然私も鶏を絞める技術やその料理法を身につけている。むろん、放し飼いに近い状態で育った鶏がどんなに美味かも熟知している。私が祖父から教わった鶏の絞め方は、太目の羽を一本抜き取り、その尖った付け根の先端を鶏の頭の耳部から脳に向かって刺し込むもので、この方法を用いると鶏がもっとも苦しまなくてすむとのことだった。
  現代の都会育ちの人々には残酷だと思われるかもしれないが、一昔前の田舎育ちの人間には、それは生きていくために必要な生活技術の一つだった。幼少期にそんな体験をしたら、長じて残虐な性格の持ち主になるのではなど危惧するのはなんとも短絡的な考えで、実際には、むしろそのような経験を積むことによって昔の人は命の尊さを学んでいったものなのだ。
  若狭の若州一滴文庫などで何度かお会いしたことのある劇作家の倉本聰さんは、「富良野塾への入塾希望者者には、男女を問わず皆に一度は自分で鶏を絞める体験をさせる。それが出来ない者は入塾させない」と語っておられた。むろん、それは、真の演劇を志す者は、何よりもまず、他の生き物の命を絶つことによってはじめて生きている人間というものの本質を一度は体感していなければならないという、倉本さんの厳しい理念のゆえである。
  いくら美味そうに見えるからといっても、さすがに農工大の野良チャボを捕まえて食べてみようという気は起こらなかったが、ある時、我が家の庭先まで遠征してきた一羽のチャボが、家の裏手の塀と壁の隙間にはまり込んで動けなくなってしまうというハップニングがあった。チャボを救出したあと、当時まだ幼かった娘のほうを振り返って、「いまからこれを料理して食べよう。きっとうまいぞ!」といってからかうと、「やめてー、やめてー、鶏さんがかわいそうだよーっ!」と真顔で抗議された。そんな娘の姿を見ながら、そのとき、私も小学生時代のある出来事を想い出した。
  田舎の我が家に飼っていた鶏の中にひときわ立派な雄鶏がいた。全身を覆う美しい羽毛といい、その見事な体型といい、さらには他の鶏たちに対する振舞いといい、なんとも風格のある雄鶏で、私はとくに彼に目をかけていた。ある日の夕方、帰宅してみると祖父の大事なお客が我が家に見えていた。そのお客を歓迎するためだったのだろう、その晩の夕食は、鶏鍋や鶏飯をはじめとするめったににお目にかかることのないような豪華な鶏料理であった。だが、「いったいこの鶏は……?」という疑問が幼い私の脳裏をよぎったのは、うかつにもしばし料理に舌鼓を打ったあとのことであった。翌朝、問題の雄鶏が姿を消してしまっていたことはご想像の通りである。
  どの家も自給自足に近い生活を送っていた当時の離島の状況にくわえて、たまたま天候不順な日が続き魚のほうも不漁だったことから、賓客をもてなすには大事な鶏をつぶすしかないと祖父は決断したらしい。それはそれで仕方のないことだったのだろうが、私にはなんとも悲しい出来事だった。それからしばらくの間、幼い私の胸の中で複雑な思いが渦巻いていたことはいうまでもない。

  実験用農場の麦畑のまだ青い麦の穂を眺めているうちに、私の脳裏にいまひとつ懐かしい記憶が甦ってきた。成熟期に近い麦の穂を摘んで学校に持って行き、その穂を逆さま、すなわち、穂の付け根のほうを上にして、クラスの仲間のズボンやスカートの裾の内側に気づかれぬようそっとつけやる。麦の穂には鋭くて弾力性のある多数の細長い毛が生えており、その毛がズボンやスカートの生地にすぐ引っかかるから仕掛けるのに苦労はない。そんなこととは知らない相手が身体を動かすにつれて麦の穂は衣服の中を上へ上へとのぼっていく。面白いことにそんな麦の穂はまずもって下に落ちてしまうことはない。
  やがて麦の穂が股間から腹部に達すると、薄い肌着の上から鋭い穂の毛先がチクチクと
皮膚を刺しはじめる。ちょっと痛痒いようなムズムズとした感覚に襲われた相手は、このときになってなんだか変だなと気づくわけである。異物があるとわかっても授業中などに服をめくったり脱いだりして原因を調べるのは容易でないから、仕掛けた側はニヤニヤしながら麦の穂の暴れぶりを横目で楽しむわけである。
  そう言えば、中学時代は農作業の時間があって、技術家庭の時間などには学校内の菜園で野菜類の栽培実習などが行われていたものだが、圧巻は生肥えの運搬だった。肥え桶に学内トイレの人糞や尿を長柄杓で汲み入れたあと、その肥え桶を担ぎ棒の中央に吊るして運ぶのである。二人一組になって肩で担いでかなりの距離を運ぶのだが、桶が激しく上下動を繰り返すにつれて桶の中の生肥えには複雑な揺れが生じてくる。そうなるともうたまったものではない。歩を運ぶにつれてピチャピチャと勢いよく跳ね上がる飛沫を避けるのは至難の業だったからだ。運が悪いと担いでいる途中に肥え桶の紐が切れるという悲劇も起こったりしたものだ。
  校長先生や教頭先生用の野菜を栽培している菜園には溢れるほどにたっぷりと生肥えを注ぎ込んだ。生育中のキャベツなどには、葉の奥までしみこむように上からどっぷりと人糞と尿をかけたものだ。育ち盛りの悪ガキどものささやかな抵抗だったわけである。
  新緑の美しい農工大周辺の小景を軽く描写するつもりが、連想に次ぐ連想に誘われるままに、とうとう遠い少年時代の懐かしい出来事の回想にまで及んでしまった。これもまた「無断借用の大庭園」の冥利に尽きるというものだろうか。



| 前のコラムへ | 次のコラムへ | 総目次へ |

....................................................................................................................................................................................................................
(C) Honda Shigechika 2002. All rights reserved.