「マセマティック放浪記」 2000年1月19日
Mathematics Odyssey January 19, 2000
山井教雄さんのアニメに仰天!

  山井教雄さんのアニメコラムを何気なく眺めているうちに、待てよ、この女性の絵、以前にどっかで見たことがあるなあ……と思わずマウスをもつ手を止めた。一時代前の身なりと髪型をした一婦人がワープロを操作し、「HAPPY NEW YEAR 1900」と赤い文字を打ち出す、実によくできたアニメーションなのだが、もともとはエッチングか精密木版画だったのではと思われるこのご婦人の絵と、ワープロ画面のすこし上にある旧式タイプライターの一部らしいものに見覚えがあったからである。これまで山井教雄さんには一度もお会いしたことがないし、山井さんのアニメコラムを拝見するようになったのは最近のことだから、むろん私がそんな風に感じたのはまったくの偶然だった。
  記憶をたどっていくうちに、私は懐かしい一冊の本のことを思い出した。すぐに書棚からその本を引っ張り出してページをめくっていくと、ありました、ありましたよ!……確かに山井さんのアニメのベースになったと思われるその絵が、間違いなくそこに掲載されていたのである。19世紀後半に描かれたその絵とアニメコラムとを見較べながら、私は思わず笑い転げ、山井さんの見事なパロディ精神と遊びごごろ、さらにはその意表を突くアイディアに心底拍手喝采を送りたい気持ちになったのだった。
  実を言うと、先週のアニメコラムにそれほどまでに深い感銘を覚えたのは、山井さんのウィットの素晴らしさに加え、いま一つ私なりの大きな理由があってのことだった。話の成り行き上、先週に続いてまたもや自分の過去の仕事を引き合いにだすことになって恐縮だが、もういまから23年も前の1977年のこと、私はシグマという出版社からの依頼を受け「VICTORIAN INVENTION」という風変わりな本を翻訳出版したことがあった。イギリスのJohn Murray 社刊行のその原書は、上質紙製A4版大の200ページほどの書籍で、オランダ人のLeonard de Vriesが1971年に編集した類稀な珍本であった。
  内容的には、サイエンティフック・アメリカン誌、ラ・ナチュール誌(仏)、デ・ナツール誌(欄)、ザ・ネイチャー誌(英)など、伝統ある当時の一流科学誌上に1865年から1900年にかけて掲載された発明に関する興味深い記事を抜粋編集したもので、同書の最大の魅力は、もともとはエッチングか精密木版刷りだったと思われるユーモラスでロマンあふれる図版がふんだんに収録されていることだった。そこに紹介されている発明品や発明アイディアも、現代科学の先駆けをなした実践的な諸々の発明研究から、一世を風靡した大発明や万国博覧会の目玉展示品、さらには、抱腹絶倒ものの珍品、奇想天外な珍アイディアの数々にいたるまで、かつての夢多き一時代を見事に象徴するものばかりだった。また、ちょっと目を通してみただけで当時の科学雑誌の大らかさなども偲ばれ、なんとも微笑ましいかぎりであった。
  ただ、レオナルド・デ・フェリスが編集した原著の解説文は、前述した19世紀の科学誌の記事をほぼそのまま引用して構成されているため、一世紀を経た今日の観点からすると、相当に不自然で要を得ない個所も多く、さらに、原文のかなりの部分が古風できわめて硬い技術解説調の文章で占められているという問題もあった。そこで、日本語訳を進めるにあたっては、原編集者の意図と原文の主旨とを損なわぬように心がけながらも、大胆に創作的な翻訳を試み、随所に自筆の戯文を加筆したりもした。幸いなことに、刊行されると、新聞各紙やいくつかの週刊誌にも紹介され、当時の国立科学博物館の研究者筋からは、科学史の専門研究にも役立つ優れた翻訳書だという、身に余るような評価も頂戴した。作家の荒俣宏さんなどは、奇書百選の中の一冊にも選んでくださった。
  以後十年余にわたって版を重ねていたが、シグマ社の経営事情の問題などもあり、やがてこの本は絶版状態となった。そして、1992年にいたって、JICC出版(現宝島社)から「図説・発明狂の時代」とタイトルを改め、荒俣宏さんの推奨帯文付きで復刊された。ただ、数年してこちらのほうも絶版になってしまったので、現在ではこの本は入手不可能になっている。いまもときおり私のところに問い合わせがあったりするのだが、どこかの書店で文庫本化ないしは再復刊でもされないかぎり、図書館か古書店を探して閲覧してもらうしか方法がない。美術関係者や各方面の研究者、書籍マニアの方々などがずいぶんと購入してくださっていたようなので、もしかしたら、このAICの読者の中にも同書をお持ちの方があるかもしれない。そのような方がおられたら、この場であらためてお礼を申し上げたい。
  ところで、この「VICTORIAN INVENTION」あるいは「図説・発明狂の時代」の164ページに、「タイプライターの発明」という記事があって、その右に別掲のような一枚の挿絵がついている。ヴィクトリア時代のご婦人が、1865年にアメリカ人ショールズが発明したという時代がかった造りのタイプライターを叩いているところを描いた挿絵なのだが、これこそが山井さんのアニメコラムのベースとなった絵なのである。挿絵図版の下には「ショールズのタイプライター(1872)」と記されているから、おそらく、図版中のタイプライターはショールズがその数年前に発明したものの改良型なのだろう。ちなみに述べておくと、この原記事はオランダで1891年に発行されたデ・ナツール誌に掲載されたものだから、図版中のタイプライターが造られた頃からその時までに、さらに19年ほどの歳月が流れていることになる。
  山井さんのアニメコラムの絵を原画と較べるとすぐわかることだが、ショールズのタイプライターの胴箱部分が現代のワープロ画面に置き換えられている。原画はむろん静止画だからオペレータ婦人の手も動きはしないが、アニメコラムのほうでは、「HAPPY NEW YEAR 1900」というメッセージにくわえて、それらの文字を打ち込む両手の動きまでが動画化されている。なんとも洒落た発想というほかない。ショールズによってタイプライターが発明されてからもう135年ほどが経っているが、キーボードや人間の本質そのものは当時とほとんど変わっていない。実際に原画の下に添えられている年代とは多少異なるが、一時代昔のご婦人が、一世紀前の1900年から2000年の現代へと現代のワープロを使ってメッセージを送るという構図は、実に含蓄があって、ウーンと感心してしまうばかりである。
  この本の中に収録されている図版や記事の一部は、日本語版が刊行されて以来、さまざまな広告やイベント類の宣伝ポスターに転載あるいはデフォルメ利用されてきた。図版そのものはすべて百年以上昔のものだし、翻訳文の著作権は一応私にあるけれども、それらをどうこうしようというつもりもないので、夢とロマンにあふれるそれらの記事があちこちで部分的に抜粋利用されることは結構なことだと思っている。山井さんがその豊かな遊びごころと独創的なアニメ技術をもって、ほかの図柄などをもパロディ化してくださることがあれば、さぞかし面白いことだろう。
  シグマ版が刊行されてしばらくしてからのことだが、あるテレビ局がこの本に掲載されている珍発明品や珍アイディアを毎週一品ずつ再現し、それらを面白おかしく放映するという番組を企画した。その際、解説者として番組に登場してほしいという誘いもあったりしたが、当時はまだフリーランスの身ではなくいろいろと拘束もあったので、その話は辞退した。番組そのものは結構好評でしばらく続いていたようである。
  話のついでだから、最後に、問題の記事の冒頭部を以下にすこしだけ紹介しておこう。ワープロのご先祖様ともいうべき、初期のタイプライターの発明にまつわる話はなかなかに興味深い。

「タイプライターの発明」
  数々の技術の中でも、「書く」という技術の習得は、実生活と結びついているだけにきわめて切実な問題だった。多少とも教育を受けたいと願う者は、ある程度字をうまく書くことができなければならなかったが、手書きの技術をしっかりと身につけようと何年も修練を積んでも、多くの場合は満足できるほど上達しないで終わるのが実情だった。せっかく実りかけた恋も、その美貌からは想像だにつかぬ、寒気をさえ覚えるような筆跡のゆえに、むざむざご破算という泣くに泣かれぬ事態なども起こったりした。
  そこで、そのような人々を救済し、書くスピードを上げるために、一部の発明家たちは、手書きの方法にかえて機械的に文字を記す技術を開発しようとした。1865年、アメリカ人ショールズが世界初のタイプライターを製作したのに続き、1877年にはレミントンというアメリカ人技師が、きわめて高性能のタイプライターを発明した。しかし、一般にその実用性が認められるようになったのは1880年代も後半に入ってからで、その頃になってやっと、この機械は近視の人々や書痙(手首の酷使による腱鞘炎の一種)を患っている人々に役立つにすぎないという偏見が改められるようになった。そして、1890年代に入るとタイプライターは急速に普及しはじめ、公私両用に広く活用されるようになった。そんなわけだから、あらためて初期のタイプライターを振り返ってみるのもなかなかに面白いと思われる。
  1877年にレミントンが製作したタイプライターには44個のキーがついていて、それらのキーは、レミントンが最も便利だと考えた順番に配列された。その結果として、タイプライター類においては、Q W E R T Y U I O P の文字が一列に並ぶということになった。だた、惜しいことに、このタイプライターは大文字しか打てなかった。当時、パリでこのタイプライターのデモンストレーションをおこなったあるイギリス女性は、手書きの2倍の速度にあたる毎分90文字以上の印字速度を達成したという。性能はともかく、レミントン型やそれに類似した構造のタイプライターはかなり高価なものだったので、へリントン氏のように、新しい型のたイプライターを製作する人も現れた。ヘリントン型はレミントン型に較べて性能は劣るが、操作に慣れれば十分実用に耐えうるもので、しかも値段は格安であった。(以下省略)



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