「マセマティック放浪記」 1999年9月15日
Mathematics Odyssey September 15, 1999
  奥の脇道放浪記(3)
朝日山系と金壷トンネル
絵・渡辺 淳


朝日山系と金壺トンネルの珍事――村上市から朝日村へ

  翌朝は六時に起床した。空を見上げると、雲ひとつない青空が広がっている。車中での簡単な朝食後直ちに新潟港をあとにした我々は、阿賀野川にかかる浜松橋を渡り、右折して国道七号に入ると、村上方面へと向かって走り出した。新潟の一般国道はどこも整備が行き届き、車線もゆったりしていて実に走りやすい。国道というよりは「酷道」とでも称したほうがいいような道路が全国各地にいまなお多数存在することを思うと、新潟はまさに道路天国である。
  国道七号を快調に走って新潟北部の村上市に入った我々は、そこから、近くを流れる三面川伝いに朝日山系の谷奥へと分け入ることにした。標高一八七〇メートルの大朝日岳を主峰とする朝日山系には、まだ手つかずの自然がふんだんに残っている。主稜をかたちづたくる峰々の標高こそは低いものの、広大な朝日山系の山や谷はきわめて深くかつ険しい。冬は豪雪によって閉ざされ、夏場も道路事情などのため近づくのが容易でないとあって、訪れる人は多くない。有名な他の山岳地帯のようには山々が荒らされていないから、山好きな人々がこの山地に強く心を惹きつけられるのは、当然のことと言えるだろう。
  この朝日山系の中央部西側一帯の山地を縫うようにして、新潟県朝日村から山形県朝日村へと一本の林道が通じている。朝日村と朝日村をつなぐという、なんともややこしい林道で、その名も朝日スーパー林道という。どちらかの村を夕日村と改名すれば、朝夕スーパー林道となってわかりやすくはなるのだが、夕日という言葉はただちに「落日」という負のイメージに結びつくから、村の名にはふさわしくないのだろう。ついでに述べておくと、この山系の東部には朝日町があるのだが、こうなるともう「朝日」の奪い合いである。東京築地の朝日新聞社がもしここに引っ越しでもしてきたら、それはもう見物だろう。
  朝日スーパー林道を経て田麦俣へと抜けることができれば、途中で朝日山系の山々や谷々の景観を堪能できるし、また、のちのちの行程もずいぶんと楽になる。林道の最奥部はまだ残雪も深かろうから、相当な悪路を覚悟せねばならないだろう。でも、悪路を走るのはいつものことだから、そうと決まれば、あとはもうチャレンジするだけである。
               

  三面川伝いの道に入ってまもなく、車は布部簗場(ぬのべやなば)へと到着した。雪融けの澄んだ水を川面いっぱいに湛(たた)えて流れる三面川の両岸の緑は、まだやわらかでみずみずしい。次第にくねり深まる水量豊かな三面川渓谷を東へ向かって遡り、あふれんばかりに水を抱きかかえた三面ダムに到着したのは、もう午前十一時半近くのことだった。初夏の明るい日差しを浴びて、ダムの上流一帯の山々の急峻な斜面が鮮やかなライトグリーンに輝いている。とくに景観のきわだったダムというわけではなかったけれども、人影のほとんどない静寂そのもののたたずまいは、我々の旅愁を誘い深めてくれるには十分だった。
  三面ダムの入り口付近から始まる朝日スーパー林道は、ダムの右手山腹を切り進むようにして朝日山系の奥へとのびている。さあいよいよ林道に入るぞ、と勢い込みかけた途端、まるで出鼻をくじくかのように、左手にある道路情報表示板のつれない文字が目に飛び込んできだ。なんと、三面川の支流にある猿田川沿いのキャンプ場付近までは通れるが、それから先、山形県方面へは通行できないと記されている。この冬の豪雪のため朝日山系の各所で雪崩が多発し、その影響で林道が不通になっていて、その修復作業が行われているためらしい。
  いったんはここから引き返すしかないと思いかけたのだが、気をとりなおして、まずは行けるところまで行こうということになった。車で旅をしていると、前方通行不能を知らせるこの手の表示板によくであうことがある。そんなとき、どうかと思いながらも実際に現地まで行ってみると、非常用の迂回路が設けられていたり、工事現場の作業員の特別な配慮があったりして、案外通れてしまうことも少なくない。せっかくここまで来たのだから、一か八か賭けてみようということになったのだった。

                

  車は、激しくエンジンをうならせながら、左へ右へと大きくうねる急峻な隘路を懸命によじ登っていく。一応は舗装はされているので凹凸は少ないが、なかなかの道であることには変わりない。ときおり工事用のものとおぼしきダンプとであい、ぎりぎりにすれ違える地点までバックするという事態も起こった。だが、奥へ奥へと進むにつれ、目に見えて若返る樹々の緑の美しさは、そんな苦労を補ってあまりあるものだった。
  垂直に切り立つ林道沿いの渓谷は刻々とその深さを増し、渓谷の両側に聳える山々は、黒ずんだ荒々しい岩肌をむきだしにして我々の目を圧倒しはじめた。そして、周辺を彩る緑の輝きはいっそうみずみずしさを際立たせていく。走ってみてはじめて実感するのだが、さすがにこの山系は奥深い。もうずいぶんと山間深くにに分け入った気がするのだが、地図で確かめてみると、まだまだずっと奥へとこの谷は続いている。
  林道が大きく北へと転じる猿田川ダム脇を過ぎ、右手に猿田川の渓谷を見下ろしながらしばらく進むと、急に展望が開け、残雪をまだ全身にまとったままの朝日連峰の主稜が姿を現した。千八百メートル前後というその標高からは想像もできないほどに堂々としていて、なんともいえない存在感にあふれている。身体の大きさだけではその人間の存在の重さをはかれないのと同様に、標高や単なる山体の大きさだけではその山の奥深さをはかりしることはできない。我々はしばし車を停めてその雄姿にじっと見入った。
  運がよければ山形方面へと抜けられるかもしれないという我々の甘い期待は、猿田川キャンプ場を少し過ぎたあたりまで進んだ時点であえなく吹き飛んだ。頑強な鉄製の車止めが行く手を冷たく阻んでいる。たとえ力ずくで車止めを突破しようにも、これではまったく歯がたたない。引き返すのはどうにもしゃくだが、やむを得ないようである。我々は、いったんその場に車を駐めると、すぐ脇を流れる猿田川畔におり、昼食をとりながら善後策を練ることにした。
  来た道をそのまま村上まで引き返し、単純に国道を北上するというのは、「通ったことのある道や、車の多い国道は極力避ける」という、かねてからの我が旅のポリシイに相反する。そもそも、「奥の脇道を放浪する」という今回の旅の名目にそぐわない。転んでもただでは起きないのが我々の旅の精神とあらば、ここはなんとか打開策を講じねばなるまい。
地図を眺めながら思案するうちに、三面川本流と猿田川との分岐点まで戻ったあたりから山形県南部の小国町方面に向かって南下する林道があることに気がついた。かなり南に戻ることにはなるが、この面白そうな脇道を抜けて小国町、飯豊町と走り、飯豊から朝日山系の東側を迂回して朝日町、大江町方面へ北上すればよい。ちゃんと地図にも載っているくらいだから、通れないことはないだろう。思惑通りにことが運ぶかどうかはわからなかったが、ともかく、次善のルートはこうして決まった。
  昼食をすませて河原から車へ戻る途中、我々は不思議なものを目撃した。ブナの巨木に何重にも巻きついた足の付け根ほどの太い藤が、力ずくでズタズタに寸断され、枯れ死んだ光景だった。ブナの幹のほうにも、藤が深く喰い入ったあとがネジの溝のようにはっきりと刻み残されている。それは、森の大蛇「藤」と森の巨人「ブナ」との、何百年にもわたる、静かな、しかし命をかけた凄絶な戦いの跡だったのだ。「結局、ブナが勝ったんや……」という渡辺さんのさりげない一言が、なによりもよくその状況を物語っていた。
  たぶん、初めの頃は、成長のはやい藤がブナを圧倒していたのであろう。いったんは絞め殺されそうになったブナは、それに耐えながらも逞しく成長し、やがて、ひそかに蓄えたヘラクレズなみの力で、藤をずたずたに引きちぎってしまったに違いない。

  我々は、車に戻るとすぐに問題の林道の分岐する地点まで引き返した。、その林道入口に立つと、またもや開閉式ゲートがあって行く手を阻んでいるではないか。ただ、通行止めだという表示はとくにない。渡辺さんと二人で試しにゲートの重い鉄製のバーを持ち上げてみると、きしみながらではあるがなんとか開いた。谷奥へと続く荒れたダートの細道には、かなりまえのタイヤの跡らしいものがまだかすかに残っている。安全の保証はしないが、通ろうという意志のある者は勝手に通れという意味だと、都合よく解釈した我々は、車を林道内に進入させると、再びゲートを閉じた。
  林道右手は三面川本流の狭く切り立った谷である。路肩に十分な注意を払いながら走りだしてほどなく、前方に、巨大な岩峰をくりぬいて造った不気味なトンネルが現れた。その名も「金壺トンネル」とある。まるで昔の手掘りの洞門そのままの暗く細いトンネルで、むきだしの岩がごつごつと内壁全面にせりだしており、しかも、車が一台やっと通れるかどうかという狭さである。トンネルのずっと奥のほうは文字通りの真っ暗闇、ライトに浮かぶ手前の路面も地肌むきだしで凹凸がひどく、湧水とそれによってできた水溜りらしいものがあちこちに見えている。一時代前、未整備だった南アルプス白鳳渓谷の林道などでこの手のトンネルにいくつか遭遇したことはあったが、近年では珍しいうえ、凄みにおいてもそれらにまさるともおとらぬ代物だった。
  無謀でなる我々も、さすがに一瞬躊躇しかけたが、いかに恐ろしげに見えてもトンネルは所詮トンネル――人間が造ったものであるかぎり向こう側に必ずや出口があるはずだと確信して、ままよとばかりにその闇の中へと突入した。
  トンネル内の路面はあちこちがえぐれていて、想像していた以上に凹凸がひどかった。また、えらくぬかる場所がところどころあるうえに、深く落ち窪んだ穴には湧水が溜ってその状態が読み取れない。おかげで、徐行しているにもかかわらず、車体は激しく上下し、ちょっとでも油断油断すると、天井や左右の壁から突き出た無数の岩角にひっかかりそうになる。ふんだんに水分を含んだ黒い玄武岩質の岩壁はヘッドライトの光を吸収してしまうため、暗くて先がよく見えない。おまけに、このトンネル内の路面全体は上下左右にかなり起伏したりカーブしたりして、視界の悪さに拍車をかけている。
  百メートルほど進んだところでふと悪い予感を覚えはしたが、いまさら引き返すわけにもいかない。ここはひたすら突進あるのみだ。助手席の淳さんも、胸中の不安を押し殺すように黙って前方を見つめたままだった。異常な圧迫感と閉塞感に襲われながらも、我々は奥へ奥へと進んでいった。天井の岩盤の隙から降りかかる湧水がフロントガラスを激しく叩く。ワイパーで視界の確保をはかろうとすると、次の水しぶきが襲ってくる。予想外の事態の連続とあって、三、四百米奥へと進んだころには、ほんとうにこのトンネルは向こう側へと通じているのだろうかという疑念が、胸の奥に渦巻きはじめた。
  悪い予感が現実のものとなったのはその直後だった。ヘッドライトに切り分けられた前方の闇を、次の瞬間、我々は愕然として見やったのだった。なんと、トンネルはその先で行き止まりになっていたのである。どうやら、落盤か何かの事情で不通になって久しいらしい。進退きわまったとはまさにこのことである。Uターンはまったく不可能だから、このままバックするしかないが、前進するのだって容易ではなかったというのに、この悪条件のなかで、バックして無傷のままでトンネルの入り口まで戻るなんて神業に近い。
 「まったく今日はついていないなあ、いったいなんでこんなことに?」――心中でそうぼやきながら、気持ちを落ち着けようとしていたら、皮肉とでもいうか、突然、あることを想い出した。朝起きてからずっと何か忘れているような気はしていたが、実を言うと五月三十一日のこの日は結婚記念日だったのだ。しかも、結婚当時既に他界していた私と家内それぞれの祖父たちの命日にもあたっている。もう遠い昔の話だが、結婚式当日は仏滅だったというおまけまでついていた。
 「もしかしたら、こりゃ、カミさんとご先祖様の祟りかな?……いまごろ、わが家じゃ、カミさんが、ご先祖様の位牌にお線香でもあげながら恨み言を呟いていたりして……そんならまあ、こっちも負けずに呪い返してみるとするか」――などと、半ば冗談めいた想いをめぐらせながら、バック運転でトンネル脱出という神業への挑戦にとりかかった。
  リヤウィンドウは跳ね上げた泥と天井から滴る湧水のために曇ってしまい、ワイパーを動かしても部分的にしか視界がきかない。しかも、バックライトの光は暗いから、ぼーっとしか周囲が見えない。そのうえ上半身をうしろにひねった無理な姿勢での片手運転ときているから、たとえ路面が平坦であっても、車幅ぎりぎりに迫る岩壁に車体を擦らず切り抜けるのは難しい。ましてや、この難路面ときたら、えぐれて凹凸がひどく、あちこちぬかるうえに、微妙にカーブしながら出口まで三・四百米も続いていいる。
  尺取り虫のようなペースで一進一退を繰り返しながらではあったが、最小限の擦り傷を被った程度でなんとか脱出できたのは、不幸中の幸いだったといってよい。もし車が四輪駆動車でなかったら、後部動輪が深く路面に食い込み空回りして動けなくなっていたに相違ない。悪戦苦闘の末にかろうじて地獄の闇から脱出し、バック運転のままでゲート前に辿り着いたきには、二人ともに精も魂も尽き果てる寸前だった。
  自分たちの無謀な侵入は棚にあげ、あのゲートこそ絶対に開かないようにしておくべきだなどという愚痴をもらしながら、やむなく村上まで引き返えしにかかった我々だっが、途中でまた脇道病の発作がむらむらと湧きおこった。懲りないご主人様方の気まぐれな命令のゆえに、かわいそうな車はまたもや間道に突入するはめになったのだった。



| 前のコラムへ | 次のコラムへ | 総目次へ |

....................................................................................................................................................................................................................
(C) Honda Shigechika 2002. All rights reserved.