「マセマティック放浪記」 2003年11月26日
Mathematics Odyssey November 26, 2003
ある奇人の生涯 (39)
日本語学校閉鎖命令

 厳しい情報統制下にある日本国民にはその事実は公表されていなかったが、一九四三年も半ばにさしかかる頃には、太平洋戦線全域において日本軍は大小の敗戦を重ね、四方からジリジリと追い詰められはじめていた。いっぽう、頼みの同盟国ドイツやイタリアもヨーロッパ戦線で連合軍の猛反撃に遭って防戦いっぽうに追い込まれ、その包囲網をどんどん狭められつつあった。そのような情況下にあって日本軍は中国の江南地方進攻作戦を大々的に展開、米英軍の反攻に備えて同地方一帯の支配を拡大しようと試みた。そして、それにともない、上海在留の欧米民間人や日本人に対する管理体制も強化されるようになっていった。なかでも欧米系外国人とかねがね親交のある在留邦人のほとんどは、有無を言わさず日本軍部の厳しい監視下におかれるようになった。
 欧米系外国人との親交を理由に憲兵から身におぼえのない嫌疑をかけられ、一方的な追及を受けたり、不当な弾圧を被ったりする上海在留邦人の数はこの時期を境に急増した。そして憲兵隊や日本軍傀儡政権下の警察組織による取締りは熾烈をきわるようになり、やがては、米英系の外国人とはもちろんのこと、オーストラリア人やロシア人相手に短い会話を交わすことさえも禁止されるという異常な事態に発展した。しかも、ついうっかりその禁を破ったりすると、スパイ容疑という大仰な罪状のもとに身柄を拘束されたりすることもすくなくなくなった。
 とくに、それまでに多くの米英系外国人と親交のあった在留邦人などは、危険人物というレッテルを貼られ強制的に日本へと送還されるようにもなった。そのため、知名度が高く、外国人とも交流の多い文化人や芸能人などで、本国へと強制送還される者は当然かなりの数にのぼった。それらの中にはあの李香蘭(以前に書いたように彼女は実は日本人であった)やその関係者なども含まれていたが、そのような事態に至ったのは、軍幹部の間に、文化人や芸能人などというものは戦時下の緊迫した社会においては無用の長物以外のなにものでもないとする判断があったからだった。
 ただ、この時期になって軍部が上海における日本人と欧米人と接触を嫌うようになったのには、いま一つ大きな理由が存在していた。大本営要員をはじめとする日本軍幹部たちは、すでに劣勢に負い込まれつつあった日、独、伊、三国の実態が一般国民に漏れ伝わることを極力危惧してもいた。したがって、連合国側軍事情報の入手が容易な在留欧米人を通じて同盟国側の不利な戦況が邦人らに伝わる可能性がとくに高い上海では、厳しい情報統制を敷く必要に迫られていたのである。スパイ容疑などという大仰な罪状を振りかざし、憲兵らが上海において在留邦人と在留欧米人との接触を取り締まろうとしたのは、単に日本軍の軍事機密が漏れることをおそれたばかりでなく、自軍の劣勢を隠すというやむにやまれぬ背景があってのことだった。
 
 石田の経営する日本語学校に突然三人の憲兵が踏み込んできたのはそんな折のことであった。上海在留邦人の行動全般に対する統制が急激に厳しくなったときから、いずれそのようなことが起るであろうと内心覚悟していた石田は、ついに来たかという思いでその憲兵たちに対面した。三人の中で一番の年長者らしい三十代後半かと思われる男は、どこかに蔑視と憎悪に近いの感情のこもった態度と、かなり横柄な口調をもって石田に問いかけてきた。憲兵であることを表わす襟章や腕章をそれとなく誇示し相手を威圧する振舞いがどうにも鼻について仕方なかったが、石田はあえてそんな自分の思いを胸中に抑え込んだ。
「この学校の経営者の石田達夫に会いたいのだが、いまいるかね?」
「はい、私がこの学校の経営責任者の石田達夫でございますが」
 石田がそう答えながら立ち上がると、頭のてっぺんから爪先までを一瞥するような視線を送りながら、その憲兵はさらに続けた。
「この上海ではずいぶんと羽振りがよいそうだけど、いったい君はいま何歳なんだ。日本語学校の経営者といったってまだ二十代の若造みたいじゃないか!」
「はい、年齢はいま二十七歳でございますが……。そんな私になにか御用でございましょうか?」
 石田は鄭重な口調でそつなくそう応対した。すると相手はみるからに彼を嘲笑するような表情を浮かべ、吐き捨てるように言った。
「二十七歳の分際で学校の経営者か……、まあ、たいしたもんだなあ。不良外国人を大勢集めて金儲けして、上海の名士気取りとはなあ!」
「いえ、べつにそんなつもりはありませんし、もともと、上海在住の外国人に日本語を教えることは日本のためにもなると思ってやったことなんですが……」
「開戦前の一時期海軍武官府で働いていたそうだが、あそこを辞めたあとでまたずいぶんとよいところに目をつけたもんよなあ。その点だけはおおいに褒めてやってもいいな!」
「だがなあ、調子に乗るのもいい加減にしたらどうなんだ……、こんな国賊まがいのことをやらかしてなにが日本のためなもんか!」
 若い憲兵の一人が上官の言葉の続きを受け繋ぐようにそうたたみかけてきた。その声には明らかに恐喝に近い響きがこもっていた。
「いきなり国賊まがいといわれましても……。けっしておっしゃるような意図があってこの学校を開いたわけではありませんし、ここで日本語を教えることが日本の国益に反しているなどとも思われないのですが……」
 もともと当時の軍人というものの考え方に心からの好感を持つことができずにきていた石田は、精一杯の弁明をしようとして、静かな口調でそう言葉を返した。だが、その言葉の抑揚のもつ微妙な高低の奥に鋭く彼の敵意を読み取った相手の憲兵は、いっきに怒りに近い感情を顕わにしながら声高に宣言した。
「欧米人に敵性言語を使いながら日本語を教えたり、敵性言語を介して不良欧米人どもと交流すること自体、国賊行為なんだ!、なにが日本のためなもんか!、ここが本国なら敵性言語を崇める敵性思想の持ち主としてお前なんか即刻逮捕投獄されるところなんだぞ!」
「講師が英語やドイツ語、イタリア語、フランス語、ロシア語などを使いながら日本語を教えるのがそんなにいけませんか?、それに、英語やフランス語はともかく、ドイツ語やイタリア語などは敵性言語ではないと思うのですが……」
 石田がそう言い終えた途端に、憲兵はやおら手にしていた軍刀の鞘の先端を彼の胸元に突きつけ、ニヤリと意味ありげな笑みを浮かべた。そして顔を強張らせる石田の喉元のあたりを軽く小突くようにしながら、顎をしゃくりあげるようにして言った。
「そもそもこの上海で得体の知れない欧米人と付き合うこと自体が利敵行為やスパイ行為に相当するんだ。つべこべ言うとスパイ罪で逮捕するぞ!、お前一人くらい即刻逮捕して収監するか、最前線に送り込むなど簡単なことなんだぞ!」
 そのあまりに無茶苦茶な言い分と横暴な態度に内心憤りを覚えながらも石田はあえてその感情を抑え、憲兵らが突然その場にやってきた理由を訊ねてみようと考えた。ほんとうのところは訊ねなくてもその理由はほぼ推察がついていたが、それでもやはり相手の用件の内容を確認するのは当然の筋道というものだった。だが、その思いをすぐには言葉に出しかね、しばし彼は沈黙に身をゆだねた。
「……」
 すると、そんな石田の胸中を察知でもしたかのようにあらためて彼の顔を見すえた相手は、ここぞとばかりに傲然と言い放った。
「この学校を即刻閉鎖したまえ。これは軍の絶対命令だからな。それから、英米系やロシア系の外国人との交際もいっさい禁止する。もしもこの命令を厳守できないなら直ちに強制連行するからそう覚悟しておくんだな。また、敵性欧米人と交流のあった日本人はみな近々上海から退去し日本へと戻ってもらうことになる。そして本国で軍事教練と国家思想の再教育を受け、敵性思想をすべて洗い流してしまうようにしなければならない。いいな、学校閉鎖完了の期限は明日までとする。それ以上の猶予は断じて認められない!」
 そう宣告し終えると、三人の憲兵たちはいかにも勝ち誇ったような様子で軍靴の音を響かせながら立ち去っていった。なんともひどい話ではあったが、あとに残された石田にはもはや抗すべきすべなどあろうはずもなかった。その日から翌日にかけて、急遽、彼は雇用していた教師たちや多くの生徒たちにやむえをえない事情を説明し、学校の閉鎖とそのための諸々の後始末に奔走するところとなった。
 最盛時には三十六ケ国にわたる外国人生徒五百人を有していたIshia Language School は、こうして短い繁栄の日々をあっけなく終えることになってしまった。学校経営で多大の収入はあったが、あえてそれを残さず使いきり、非常時に備えて資金を貯えることをしてこなかった石田は、当然、学校閉鎖とともにそれまでのような収入がなくなってしまったから、もはや上海の名士の地位に留まることなどできるはずもなく、憲兵らがやって来た日から一週間を待たずして一介の日本人上海浪人に転落した。
 しかし、もともとこういう事態もあるに違いないと予測していたから、彼自身にはさしたる悲壮感や絶望感などまったくなかった。幸いその時までには、上海に移住してきた 母親や二人の妹たちも、それぞれの特技を活かしささやかながらもなんとか自力で生活するができるようになっていたから、とりあえず自分の身の振り方さえなんとかすれば当面とくに問題はなかった。食うやくわずの事態に直面するのは過去一度や二度のことではなかったから、たとえその日暮らしの身になっても慌てることなどなかったし、また、なんとかなるものだという開き直りもあった。「まあ、人生とはこんなものよ!」とその不運を笑い飛ばすだけの度量がすでに石田にはそなわっていた。それにまた、以前とは違って、彼には、どんな不遇な情況にあっても互いに心を支え合うことのできるミサというまたとない大きな存在までもがあった。            (つづく)



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