「マセマティック放浪記」 2003年9月3日
Mathematics Odyssey September 3, 2003
自詠旅歌愚考(十八)

とりどりの光の闇に網を打ち虚しきものを追ふときめきも
                              (東京新宿)


 都会の夜の盛り場は色とりどりの光の波に溢れ返っている。人々の心を掻きたて浮きたたせる明るくてあでやかな光の渦は、見かけの華やかさとは違って、いつもその輝きの奥に人知れぬ闇を孕んでいる。明るく輝きわたればわたるほどにその光の秘めもつ闇もまた暗く深い。なんとか闇を隠そうと、それらの光りが赤、青、黄、緑、紫と煌きたてばたつほどに、溢れる光の洪水は漆黒の闇となって大都会の夜の街を幾重にも覆う。この世の多くの光というものの実体は人間という生き物の心の闇そのものなのである。
 大小様々な街の光は、その一つひとつが人間の欲望の権化であり、人間が人間を闇へと誘う罠でもある。ただ人間が不思議なのは、光の罠の向こうには底無しの光の闇が存在すると知りながらも、あるときは光の罠に自ら陥ってその身を罠の魔力に委ね、またあるときは光の罠を自ら仕掛け操って、儚い生のひと時を享楽しようとすることだろう。
 今夜は罠を仕掛けるほうにまわろうか、それとも罠に誘い込まれるほうにまわろうか――それぞれの欲望と思惑を内に秘めながら、夜の街に蠢(うごめ)く者たちはおのれの胸にそっと問いかける。駅前広場や街頭の一角に、あるいはまた大通りに面したカフェや裏通り酒場の片隅に陣取りながら、さりげなく、しかしそれなりには慎重に今宵のおのれの身の処し方を算段する。そんな身に、煌き揺れる光の波が闇を隠して絶間なく押し寄せる。
 飛びつきたくなりそうな餌を付けた巧妙な仕掛けが光の海に浮かんでいる。一網打尽を狙った網が誘惑の術のかぎりを尽して光の波間に漂っている。たった一人の人間だけで仕掛けられた小さな罠も数々あるが、複数の人間どもが力を合わせて組み敷いた大罠なども少なくない。その甘美さもその怖さものほどそれぞれにまちまちで、罠に掛かるのが絶対的に損だとは言い切れないところが危うさに満ちた光の海のもつ厄介な一面なのだ。
 深入りは禁物だけど、ちょっとだけ罠にかかったふりをして美味しい餌を一口か二口だけ頂戴してみようか……、それくらいなら致命的なことにはなりはしまい。いやいや、ちょっと待てよ、この罠の造りはずいぶんと豪華で餌はえらく魅惑的だけど、自分の体力じゃ下手に食いついたらその瞬間に地獄行きだな……、まあ身のほどをわきまえやめておくことにするか。なんだ?、あれまあ!、あの罠、面白そうな形していてなんとも美味そうな餌がついてるけど、仕掛けには大きな穴があいてるぞ。ふふふふふ、そうと知ったらなに食わぬ顔をして罠にかかったふりをし、美味しいところだけを頂戴したあと、あの穴をするりと抜けてトンズラするか。そんな思いが次々とに裏をよぎる。
 しかしまた、そのいっぽうで逆の思いもわいてくる。この光の海に網を打ち、光の闇の底をすくえばいったいどんな獲物が掛かってくるのだろう。どうせなら自分から仕掛けを
配し網を打って獲物が掛かるのを待っているのも悪くないはないか……。もっとも自分の仕掛けはなんとも稚拙で網の目は粗く破れ目だらけだから大した獲物は掛かるまい。まかり間違って大物が掛かったとしても、暴れまくられて自力ではその獲物を取り押さえることができないかもしれない。小魚は仕掛けの隙間や網目から逃げてしまうだろうし、たとえ小魚が掛かったとしても食べる気にはなれず、持て余すか逃がしてやるのが落ちだろう。下手をすると、仕掛けを配し網を打って悦に入る自分が、知らぬ間にさらに大きな仕掛けや網に包み込まれ、身動きが取れなくなってしまうことだってあるかもしれない。
 そしてさらに考える。万に一つの幸運に恵まれ素敵な獲物が掛かってもその悦びは束の間のこと、人間というものは飽きやすくそして欲深いものだから、性懲りもなくすぐにまたべつの獲物が欲しくなる。獲物がたちまち怪魚に化けて自分を逆襲することだって絶対ないとは言い難い。そうしてみると、光の闇に網を打つという行為もまた所詮虚しくしかもリスクのあることには違いない。それなのに、よくよくそうだとわかっているのに、今夜もまた光の闇に網を打っては虚しきものを追い求め、儚い一時のときめきにおのれの胸を躍らせる。一体全体この奇妙なときめきの正体はなんなのだ?――そんな答えようのない疑問が光の海に群がる者の心を幾重にも包み込む。



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