「マセマティック放浪記」 1999年3月31日
Mathematics Odyssey March 31, 1999
現代の秘境・内川内  

  海抜三百メートルを超えるの松島展望所からは、名勝金山海岸の松島や大カブ瀬を遠望することができた。金山海岸周辺の景観は、豪壮な断崖美で知られる下甑島西海岸のなかでもひときわ魅力的である。瀬々野浦海岸のナポレオン岩にも負けない奇岩がおのれを誇示するように立ち並び、落日を背にそれらの岩々が夕凪の海に影を落とす有様は、哀しいまでに美しい。眼下の松島や大カブ瀬はその金山海岸の中核をなす部分で、クロダイ、メジナ、フエフキダイ、イシダイ、マダイなどの格好の釣り場にもなっている。
  この金山海岸の美しさを堪能しようと思ったら、一帯の海上を船でめぐるにこしたことはない。松島展望台をふくむ西部林道周辺は海岸線からかなり離れているうえに、深い照葉樹林でほとんど視界を遮られているため、先々、急斜面に沿って断崖上にくだる遊歩道でも切り開かれないかぎり、陸上からの展望はあまり期待できそうにない。もしかしたら、どこかに断崖上に通じる古道などがあるのかもしれないが、地元の人間でないかぎりそれを探し当てるのは難しいし、たとえ見つかったとしても現在の状況では通行は困難に違いない。
  さいわい松島展望所のある一角だけは地形の関係でかなり視界が開けているため、松島や大カブ瀬、さらにはそのむこうに果てしなく広がる東支那海を視界におさめることができる。この松島展望台付近も、昔甑島の一向宗徒たちが取り締まりの目を盗んで密かに集まり、美しい夕陽に向かって合掌し、祈りを捧げた場所だという。
  展望台に立つと、夕陽が少し沈んだ色の輝きを見せながら西の海へと沈んでいくところだった。西の水平線の上空には薄雲が帯状にのび広がっていたので、燃え上がるように真っ赤な夕陽こそ見られなかったが、淡紫に雲々を染めながら赤い太陽の影が静かに姿を潜め隠していく光景には、なんとも言い難い哀愁が感じられた。展望台を取り巻く大気は動きを止めて固い沈黙を守り、周辺の樹林は時の流れを押し留めるかのようにひたすら息を潜めていた。他に訪なう人もなく、まるで私たちだけが異次元空間に隔離されてしまったような感じだった。
  太陽がすっかり水平線のかなたに姿を隠すのを見届けた私たちは、再び車に戻ると、内川内(うちかわうち)の集落目指して走り出した。かねがね秘境中の秘境との噂を聞いていた内川内には、前々からぜひ足を運んでみたいと考えていたが、なかなかチャンスに恵まれなかった。当初の予定が大幅に狂ってしまっために夕闇の迫りはじめたこの時刻になってから集落を訪ねるという不本意な状況になってしまったが、この機会を逃すとまたいつのことになるかわからないので、まもなくあたりが闇に包まれるのを承知で探訪を強行することにした。以前は集落内を通る車道はなかったが、近年になって集落の中程までは細いながらも車道が通じたとのことだったので、ともかく行けるところまで行ってみようと考えたようなわけだった。
  内川内の小集落は、半漏斗状をなして急角度で落ち込む谷の斜面に貼りつくように存在している。集落のある付近の高度は海抜二百から三百メートルほどだが、谷がストレートに北側の海に向かって切れ落ち、あとの三方には谷全体をすっぽり包み隠すようにして険しい山々が聳え立っているため、車道ができる以前は文字通り他の地域とは隔絶した状態になっていたのだ。
  松島展望台からちょっと進むと、左手に進行方向と鋭角をなして恐ろしいほどの急角度で谷筋に落ち込む細い道が現れたが、下手に突っ込むとどういう事態になるかわからないのでその地点を通過した。そして、それからしばらく走ると、内川内方面を示す道路標識の立つ分岐点に出た。標識に従いすぐにハンドルを左に切って内川内へと下ろうとすると、道は物凄い急坂になった。私もこれまでいろいろな山奥の集落を旅してきたが、これほどに傾斜の激しい道路をもつ集落に遭遇することはめったにない。しかも、路面の傾斜は集落が近づくにつれてさらに大きくなってきた。ブレーキを踏み込んで歩くような速さで徐行しながら坂道をくだり、地区の公民館らしい建物の脇を過ぎると、集落の駐車場らしい小さなスペースが現れた。細い車道はまだ続いているようだったが、そこから先は道がカーブして見通しが利かないばかりか、いっそう急傾斜になっている感じである。
  そのまま進むと動きがとれなくなるおそれもあったので、とりあえず見つけたスペースに車を駐め、周辺を歩いてみることにした。集落の位置する谷はすでに濃い闇に包まれかけていたので、懐中電灯は欠かせなかった。スペースの一角にある簡単な内川内の案内表示を見ると、集落の下端のほうに位置する神社まではなんとか車が通れそうな道があり、さらにその先には海岸へと続くらしい歩道が点線で描いてある。案内図を信用するかぎり海岸までそんなに時間のかかる感じではなかったので、好奇心に任せて気軽に歩き出したのだが、秘境内川内はやはりそう甘いところではなかったのだ。
  近年できたと思われる車道をはずし、集落の家々の間を縫う昔ながらの道を辿ろうとすると、人がすれ違うのも容易でなさそうな狭く細い急峻な階段が現れた。左右にジグザクを繰返しながら急角度で落ち込む階段を下るうちに、私たちはまるで無限地獄の闇の底に引き込まれていくような気分になってきた。懐中電灯の光に浮かぶ足元の階段は大きさと形の一定しない古来の自然石を組み合わせて造ったもので、迫力満点なことこのうえない。しかも、この古道の両側には苔むした自然石の玉石垣になっているところもある。昔は、現在車道になっている部分を含めて、集落内のすべての通路が玉石の石垣に挟まれた狭く急峻な自然石の階段路になっていたのだろう。石垣の石は大変な労力を費やしてはるか下方の海岸から少しづつ運び上げたものに違いない。
  歴史を感じさせるその細い階段路の両脇に散在する家々はひっそりと静まりかえり、いくつかの家から時折かすかに明かりが漏れてくるくらいのものだ。よくもまあこんな凄じい傾斜地形に集落を形成したものである。谷を囲む峻険な山々が暴風などに対する天然の要害となり、また集落の農業用水や生活用水の供給源にもなっているのだろうが、最初にこの地に住みついたのはいったいいつの時代のどのような人々だったのだろう。その想像を絶する苦労と不屈の開拓の精神には唯々頭がさがるばかりである。
  あたりはすっかり闇に包まれてしまったので、個々の民家の造りや集落全体のたたずまい、集落から眺めた海辺側の景観などをつぶさに窺い知ることはできなかったが、私にはこの内川内の集落形態そのものが一つの重要な歴史民俗文化財であるように思われてならなかった。近代化の荒波によって大切なものが根こそぎ洗い流されてしまわないうちに何か手を打つ必要があると感じたのが、私ひとりのの思い過ごしであってほしいものなのだが……。
  しばらく階段路を下っていくと再び広めの道に出た。先ほどの車道がここまで続いているのだろう。駐車場で見た案内図と周辺の地形から推測すると、どうやらこの道はこの先で急な上りとなり、松島展望台を過ぎて間もなく現れたあの細く険しい分岐道につながっているらしい。案内図によれば車道の一番低くなったあたりから同じくらいの幅の道が集落端の神社に向かって分岐しているはずなので、その地点を探しながらあたりをうろうろしてみたが、どうしてもそれらしいものが見つからない。しかたがないので、また階段状の細い古道を探し出し、懐中電灯を頼りに下ってみることにした。もうあたりは真っ暗である。
  なおも自然石の急な階段路を下り、数軒の民家の脇を通り過ぎると、斜面を利用した狭い耕地のあるところに出た。懐中電灯で照らして見ると、何種類かの自給用の野菜が栽培されている。サツマイモが植えられているところもあった。その畑地を過ぎるともう人家はまったくなくなり、道は深い樹林の中に入って傾斜はますますひどくなった。しかし、ライトに浮かび上がる素朴な石組みの小道はしっかりと踏み固められ、不思議なほどに存在感がある。何百年にもわたって台風や梅雨時の豪雨に耐え、内川内の人々の生活を支えてきた古道だからひとつひとつの石段に霊気が宿っていてもおかしくない。
  私も息子も夜の深山歩きには慣れているから恐怖感はなかったが、闇の底に向かってどこまでも落ち込んでいくような感覚には、むろんそれなりのスリルがあった。どんどん道を下っていくと、やがて小さな神社の前に着いた。どうやらこれが例の神社らしいのだが、ここまでの道の様相はどうみても案内図にあるのとは大違いである。神社の裏手に車の通れるような別の道でもあるのかと確かめてみたが、そんなことはなさそうだった。案内図の表示は何かの手違いか悪い冗談だとしか言いようがない。
  深い照葉樹林を縫う急な小道はまだまだ下まで続いている。この先どのくらい時間を要するかわからないが、折角ここまで来たのだからなんとか浜辺まで降りてみようということになり、私たちは再び細道を下りはじめた。澄んだ水が高らかな音をたてて流れる渓流を横切ってしばらく進むと、道幅は人ひとり通るのがやっとなほどに狭まって、路面のほうもごつごつした地肌がそのまま剥き出す感じになってきた。ジグザクを幾度となく繰返しながら転げ落ちるようにして下っていくと、左手の深い沢のほうから轟々という水音が響いてきた。かなり距離がありそうなのでライトを向けても見えるわけはなかったが、そう遠くないところに相当大きな滝があるらしい。
  行く手を懐中電灯で照らしながらふと前方の薮の奥に目をやると、青白く輝く二つの点が妖しく浮かび上がって見えるではないか。あらためて光をそのほうへと向けてやると、そのまるい二つの点はいっそう青白い輝きを増した。どうやら何かの小動物の目らしいのだが、本体のほうはよく見えない。しばらく睨めっこの状態を続けたあと、相手の正体を確かめるために薮の中に入ろうとすると、青白い光の点は突然消えて二度と現れてはくれなかった。残念ながらその正体が何であるのかは私にも皆目見当がつかなかった。
  集落のあるところから三十分ほど下り続けた頃だろうか、道の傾斜が急に弱まったかと思うと、一面開けた感じのところに着いた。足元が草地に変わり、さらにその草地が蔓草の茂る石原に変容した。付近をよく見回すと、何隻かのレジャー用小型ボートが船底を上にして置かれ、その周辺には毀れた漁具や船具の残骸が散乱している。それらの間をすり抜け波の音が響いてくるほうに進むと、一面黒っぽい玉石で覆われた小さめの浜辺に出た。浜の両端には高く険しい断崖が黒々と聳え立っている。内川内の集落からこの浜辺までは二キロ近くはあるだろう。
  ほとんど風がなかったこともあってか、十一月の夜だというのに寒いという感じはまったくしなかった。玉石のうえに大の字になって寝転がり、潮騒の音に耳を傾けながら内川内の夜の浜辺を独占するのは実に気分のよいことだった。こんな遅い時刻に近づくのが容易でないこの浜辺を訪ねたというだけでも、ちょっとした話の種にはなるだろう。
  しばらくぼ〜っと海を見つめてたり、浜辺を歩き回ったりしたあとで内川内の谷を取り巻く山並みのほうを仰ぎやると、山の稜線がかなり明るくなってきているではないか。たしか月齢は十四日ほどだから、通常の場所ならもうこの時刻には月が煌々と照り輝いているはずだ。ところが、この内川内の東西両側と南側三方向の山々は衝立のように急峻だから、たとえ空が晴れわたっていたとしても、月がかなり高く昇るまではその影を望むことはできない。
  月が山の端に姿を現し、浜辺一帯を照らし出すのを待っていたのだが、地形の関係でまだまだ時間がかかりそうだったので、やむなく私たちは集落へと戻ることにした。今度は険しい坂道を登らなければならない。集落までの高度差はほぼ三百メートルくらいあるから、一汗かくことになるだろう。ただ、復路の場合は往路と違って周辺の状況がわかっているから、急な登り道でも気分ははるかに楽だった。
  樹林を縫って再び神社の境内に辿り着くと、そこの水場で喉を潤しながら一服した。この無人の神社は車を駐めた地点と海岸とのちょうど中間点くらいに位置している。きつい登り道の連続となると、さすがに体力のある若い息子にはかなわない。己の老いを痛感しながら呼吸を整えもう一頑張りと歩きだすと、たちまち汗が滲んできた。
  なんとか樹林帯を抜け耕地のあるところまでやって来たとき、突然にあたりの景観が一変した。満月間近の明るい月が山の稜線上に姿を現したからである。煌々と降り注ぐ月光の中で川内川の谷一帯が神秘的な輝きを見せて浮かび上がる様に、私たちは息を呑んだ。まさにそれは日本昔話の世界の再現だったのだ。集落への道を辿るのにもう懐中電灯は必要なかった。階段路は不思議な色合いを帯び、木立の影のひとつひとつまでがいとも幻想的に見えた。谷を取り囲む山々も澄んだ月光を浴びて魂を揺すぶるような妖気を発し、それらの山々の奥まったところにある高みからは、いまにも甑山犬どもの遠吠えが聞こえてきそうだった。
  なんとも形容しがたい風情を湛える月下の集落を駐車場のほうに向かって通り抜けながら、私たちはこの時刻に内川内という秘境を歩くことができた偶然を心の底から嬉しく思ったような次第だった。いまの時代においては、この内川内のようなところを何もない詰まらないところだと感じる人も多いかも知れない。しかし、内川内という現代の秘境は、「近代的な意味で何もないということが、実は何物にも勝って素晴らしいことでもあるのだ」ということを教えてくれる最高の手本であるように思われてならなかった。
  同じ甑列島に育ちながら、この歳になるまで内川内を訪ねることがなかったことをいまとなってはつくづく残念なことに思う。私がまだ若い頃なら、この内川内にはまだ昔のままの生活様式や文化がそっくり残されていたに違いない。
  再び車に戻った私たちは、カーブを繰返しながら下へ下へと落ち込む道路を坂道が終わるまで進み、そこから今度は谷の西側斜面を登る道に入った。集落を過ぎてしばらくは、かなりの広さの耕地の中を抜ける緩やかな登り道だったが、ほどなく路面は狭く、しかも信じられないほどの急傾斜になった。ローギヤーに落としてもどうかと思いたくなるほどの傾斜で、下手に速度を落とし途中で止まったら始動時にタイヤがスリップして動けなくなりそうだったから、四輪駆動に切り換え、一定以上は速度を落とさないようにしてその急坂を登り切った。その道の端点は予想した通り、松島展望台からほどないところにあるあの西部林道からの分岐点だった。



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