「マセマティック放浪記」 2003年3月26日
Mathematics Odyssey March 26, 2003
ある奇人の生涯 (11)
落日下の決断

 中国大陸における日中両国間の紛争が激化の一途をたどるにつれて、日本本土と大陸との間には軍需物資をはじめとする大量の物資運搬の必要が生じてきた。そのため、軍部指導下の政府は、民間会社所属の船舶の航路にも様々な管理統制をくわえるようになっていった。そして石田らの乗る貨物船氷川丸も当然その影響を被ることになった。氷川丸はそれまでの小樽と台湾を結ぶ航路を離れ、横浜、神戸、天津(テンチン)をつなぐ、いわゆる三角航路に就航することになったのである。
 もっとも、この世の中というもの何が幸いするかわからない。この就航路の変更は石田自身にしてみれば、願ってもないチャンスの到来を意味していた。軍部の宣伝やそのお先棒を担いだ当時の報道に煽動された人々と違って日中戦争の拡大を素直に喜ぶ気にはなれなかったが、そのおかげで自分の乗る船が中国大陸の一角、それも天津という歴史的な都市の郊外にある港に寄港できるようになるというのは、彼にとっては望外の展開であった。長年の憧れでもあった中国大陸にほどなく第一歩を刻むことができると知ってその胸はすくなからずときめいた。小樽と台湾間の海上往復にもすっかり慣れてきたこともあって、氷川丸での生活にもいくぶん単調さを感じはじめていた時期でもあったから、新たな展開に対する期待はひとしおだった。
 氷川丸が寄港することになった天津港、より正確にいうと天津郊外にある塘沽(タンクー)港は、山東半島と遼東半島に囲まれた渤海湾の奥まったところに位置する華北随一の港だった。かつて日本から隋や唐に向かった遣隋使や遣唐使一行の船なども最初はこの付近に接岸したといわれている。船員という身分でもあるため当然その行動半径に一定の制約があるだろうとは予想されたが、ともかくも初めて足を踏み入れることになるロマンに満ちた中国大陸の存在は、二十二歳になったばかりの多感な青年の胸をこのうえなく激しく掻き立てた。
 天津へと向かう氷川丸が渤海湾へと入ると、石田は胸中に渦巻く興奮をどうやっても抑えきれなくなっていた。もうここは日本じゃないだ、日本じゃないんだ!――感動のあまり思わず彼はそう呟いていた。その目には海の中に引かれた幻の国境線までもがはっきりと見えるような気がしてならなかった。渤海湾を奥まで進むとやがて船は白河という大河を遡行しはじめた。両河岸の向こうには広大な塩田が広がっており、白河はその塩田地帯の中央をくねくねと蛇行しならがのびていた。悠然と流れる白河をしばらく遡っていくと目的地の塘沽港が現れた。氷川丸はこの塘沽港におもむろに入港すると、まるで大陸への航海にともなう緊張を解くかのごとくに碇泊した。塘沽に入港したのは、三千トン近い大きさのある氷川丸では直接天津まで白河を航行することが無理だからだった。
 外国映画が大好きであった石田は、往時の大女優マリーネ・デートリッヒ主演の名画「上海特急」などの感動的なシーンを通して、中国大陸のあちこちで繰広げられてきた壮大な歴史ドラマやそれにゆかりの各地の景観に深く魅了されるようになっていた。なかでも、当時アジアきっての国際文化都市だった上海への憧れはひとかたならぬもであった。塘沽から汽車に乗って天津まで行き上海特急の映画そのままに北京発天津経由の特急列車に乗り換え、一路南下をつづければ上海に行くことができると想像するだけで、彼の胸は激しく燃え立ち高鳴った。
 まだ小樽と台湾間の航路を往復していたころ、哀しいまでに美しい夕日を船上から眺めながら、しばしば石田は奇妙な想いに襲われることがあった。赤々と燃えさかる西方の水平線のはるか彼方で何物かが、こちらに来いとばかりに自分の魂を呼び誘っているような気がしてならなかった。いったいそれが何ものであるのか、その時はまだ彼自身にもはっきりとはわからなかった。だが、ついにこの天津郊外の塘沽港に寄港することがかなったこの日、はからずも彼はそれが何であるのかを自覚させられることになったのだった。あえて言葉にするなら、それは、「大陸に沈む華麗かつ荘厳な夕日の誘惑」とでも形容すべきものであった。
 日没が近いため貨物の積み下ろしは翌朝に行なうということになったので、石田は上甲板のデッキにもたれかかり、西空に沈んで行く太陽とその光の中に浮かぶ光景をひとり呆然と眺めていた。話には聞いていたが、それにしてもそれはなんとも壮大な景観だった。見渡すかぎり広がり続く塩田のあちこちには、マストや煙突、それにブリッジの上部だけをのぞかせながら動いていく大きな汽船の影が見えた。直接には白河の河面は見えなかったので、まるで塩田の中を幾隻もの船が直に航行しているかのような感じだった。塩田のあちこちにはまだ働いている人々の姿が点々とあって、その人たちのすぐそばを通り過ぎる汽船は、まるで挨拶でもするかのように、時折ボーッ、ボーッとその汽笛を鳴らした。
 しばらくすると、真っ赤に燃え輝く太陽は遠く長くのびる地平線の真上へとおりてきた。そして、とてつもなく巨大な真紅の円盤と化しかとおもうと、一帯の塩田を赤々と染めながら地平線のむこうへと沈んでいった。それほどまでに大きく鮮やかな夕日を目にするのは石田にすればむろん初めてのことだった。まるで中国大陸の広大さを誇示でもするかのようなその幻想的な夕日は、その心に向かって悪魔の囁きにも似た誘惑の言葉をさりげなく、しかし繰り返し繰り返し語りかけてきた。
 ――中国大陸は素晴らしいんだぞ!……おまえまだ若いんだろう、それならもっともっと大きな夢と自由を求めて羽ばたいてみたらどうなんだい?、波瀾万丈の人生を求めて未知の世界に飛び込むならいまがチャンスだぞ!――彼にはそんな落日の囁きがはっきりと聞こえてきた。
 そのとき突然うしろから誰かが近づいてくる足音がした。振り向いてみるとそれは氷川丸の事務長だった。丸顔でずんぐりした身体つきの事務長は、絵に描いたようなお人好しの人物だった。小さな眼を子供のようにキラキラさせながら事務長は石田に話しかけてきた。
「どうだい、すごいだろう?、日本ではまず見られない光景だから……」
「ええ、感動で言葉もないくらいです」
「今晩は上陸しないのかい?」
「塘沽には何があるんです?」
「何にもないねえ。汽車で天津まで行けば面白いところもあるけどな」
「事務長さん、もしも船を下りて中国に住みたいと思ったらどうすればよいんですかねえ?」
「どうするもこうするもありゃしない。さっさと船を下りてそのまんま帰ってこなけりゃいいんだ!」
 事務長の返事はいたって簡単だったが、むろん、彼は冗談のつもりでそう言ったに違いなかった。だが石田はそうは受取らなかった。塘沽の夕日の囁きにすっかり魂を奪われた彼は、その言葉を胸の奥で真剣に受けとめていた。

 石田の心は大きく揺れた。様々な状況を考え合わせるとき、無断離船のような思いきった行動をとるには塘沽寄港のなったいまが絶好のチャンスでもあるように思われた。しかしながら、それはずいぶんとリスクが大きいうえに、結果として氷川丸の船員仲間にひとかたならぬ迷惑をかける行為であることも明らかだった。ましてや、自分を息子のように可愛がってくれているボースン(甲板長)やお人好しの事務長、行き倒れの身を介抱し日本近海郵船への就職を斡旋してくれた横浜の職業斡旋所長のことなどを考えると、申し訳ないという気持ちがつのるばかりで、さしもの石田にも容易には決断がつきかねた。
 だが、そうこうするうちに社会情勢はますます抜き差しならぬ方向へと進んでいった。石田の乗る氷川丸が、横浜、神戸、天津をつなぐ三角航路に就航するようになったこの年の四月には国家総動員法が公布され、我が国は本格的な戦時体制へと突入した。国家総動員法は戦時における国防目的遂行のため、戦争に必要な人的および物的資源を国家が全面的に管理統制することを狙いとしたもので、この法律の公布により、民間船舶会社などに所属する者の身分管理は一段と厳しいものへと変わっていった。したがって、いくら石田が青年期特有の一途な思いと決断のほどをを上司に告げ、どんなに懸命に離船を願い出ようとも、容易にはそれを聞き入れてもらえるような状況ではなくなってきていた。
 ちなみに述べておくと、女優の岡田嘉子と新協劇団の演出家杉本良吉の二人が手に手を取ってソ連への亡命を敢行したのはこの年のことだった。二人は樺太の日ソ国境地帯に国境警備官の慰問のために出向いたあと国境見学にでかけ、国境線に近づくと脱兎のごとき勢いで雪の国境線を越えてソ連領へと逃走、そのままソ連への亡命を願い出た。杉本は当時壊滅状態にあった日本共産党再建のためコミンテルンと連絡を取る使命を帯びていたとも言われるが、ソ連入国後に同政府当局によってスパイと断じられ、愛の決死行もむなしく、異国の地で銃殺された。いっぽうの岡田嘉子のほうは対日放送のアナウンサーなどを務めながら戦後ソ連で演劇活動を再開し、亡命後四十四年を経た昭和四十七年(一九七二年)に日本へと帰国した。
 その後何度も塘沽港に入港し赤い夕日を眺めるごとに石田の心の葛藤は深まっていくばかりだった。しかしながら、そんな葛藤にいつまでも心身を委ねておくわけにもいかなくなってきた。社会状況の緊迫化にともない、ついに彼は、そのまま氷川丸に船員として留まりつづけるか、それとも夢を追うべく思いきって中国大陸に身を投じるかの選択と決断を余儀なくされることになったのだった。
 国家総動員令が発令されて以降、国民生活における軍部主導の統制管理は日増しに強まり、大陸への物資補給に不可欠な船舶とその船員に対する様々な規制や拘束はひどくなるいっぽうだった。そんな社会状況下にあっては、石田があえて中国大陸への思いを貫き通すとすれば、考えられる方法はただひとつしか残されていなかった。その唯一の道は過日の事務長の言葉にあったように氷川丸からの脱走をはかること、いますこし穏やかな言い方をすれば、塘沽港入港時に天津まで遊びに出かけるという口実を使って下船し、そのまま行方をくらましてしまうことだった。 
 横浜の職業斡旋所長の紹介でタリーマンとなってまだ一年半余、氷川丸が三角航路に就航するようになってからまだ三ヶ月ほどしか経っていないときのことだったが、彼はついに氷川丸からの脱走を決意するにいたった。運命の岐路におけるその選択が吉とでるのか凶とでるのか、神ならぬ身には知る由もなかったが、若さと滾(たぎ)る血潮とのどちらかに賭けるなら、波瀾万丈の運命の待ちうける世界か、そうでなくてもその予感に満ちみちた世界を選択したほうがましだと考えるようになったのだった。 

 塘沽港に碇泊中の氷川丸から脱走した経緯やその後の状況について、あるとき石田は詳細に語ってくれたことがある。いつものように互いに軽口を交えながらの談話を通してのことではあったが、その悲喜交々(ひきこもごも)の脱走秘話はなんとも興味深いものであった。
「じゃ、真っ赤な夕日に誘われて脱走を決意したっていうわけですか、中国大陸の夕日って男殺しなんですねえ――それも、黙って坐っているざけで若い女性を悩殺したとかいう男を殺しちゃうっていうんですからね!」
「そのまま船に乗ってたらどんどん拘束が強くなるばかりで、最後にはまるで自由がなくなっちゃうと思いましてね。それにすべてに横柄な軍部のやりかたというものが大嫌いでしたからね。そのときは予想もしていませんでしたが、あのまま氷川丸に乗っていたら、のちに戦局が悪化した時点で海の藻屑と消えていたかもしれませんね。たしかあの貨物船も無事ではなかったはずなんですよ」
「結果的には地獄からの脱走になったわけですね?」
「制海権も制空権も失うことになるなんて当時は誰も考えていませんでしたが、最終的にはそういうことになったんですね」
「それはともかく、氷川丸に見切りをつけてドロンしてしまった……よく決断がつきましたね」
「リスクはあっても脱走を決行するならいましかないと思い定めました。徴兵検査は丙種合格でしたから、すぐに軍隊に召集される心配はなかったですしね」
「まさか、演出家の杉本良吉と女優の岡田嘉子の亡命劇の真似をしようって思ったわけじゃないんでしょ?」
 脱走の陰にそれを手伝った女性の存在でもあったのではないかと勘ぐりながら、私は意地悪な質問をぶつけてみた。すると相手はこちらの意図を見透かしたかのような笑みを浮かべながら、こともなげな調子で答えてきた。
「あの連中は二人一緒で、しかも使命感をもっての逃避行だったんでしょ。こちらは男独りで、動機ときたら、ただ単に夢を追いかけ中国各地を放浪し、いろいろと見聞したいだけのことでしたからね。それにですね、あの二人の亡命劇について知ったのはずっとあとになってからでしたよ」
「で、かんじんの石田さんのほうはいったいどうやって脱走を?」
「脱走っていいますけどね、実際は脱歩でした。走って逃げたんじゃなく、スーツケースをひとつ持って堂々と歩いて塘沽の駅まで行き、汽車で天津へと向かったわけで……」
「ハハハハハ、脱歩ですか。脱臼まではいかなくてよかったですね」
「そもそも、そんな大袈裟なことをやったわけじゃないんですよ、ごく自然にね!」
「自然にっていったって、どうせ石田さんのことだから、また何か突飛なことでも?」
「いやいやそんなことはない。塘沽港で下船するとき、例の事務長に行く先と目的を訊かれたんですけどね、天津あたりまで女を買いに行くって答えておきました。それまでの一年半余、結構真面目に仕事してましたから、信用はありましたんでね」
「最後にその『信用』の預金を全部遣い尽してしまった!」
「いや、その預金じゃ足らずに大借金をしてしまったというところですかね……。お人好しの事務長のアドバイスをそのまま実行したんですから」
「そりゃ事務長もショックだったでしょうね。じゃあ、もちろん、本物の有り金のほうは全部持って?」
「そりゃもう……二度と船に戻るまいと決意したわけですからね」
 興味津々といった表情で耳を傾ける私を前にして一杯お茶を飲むと、一瞬、苦笑とも自嘲ともつかぬ微笑を湛えながら、石田は遠い記憶を呼び覚ますようにしてさらに言葉をつないだ。


                                 絵・渡辺 淳




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