「マセマティック放浪記」 2002年11月20日
Mathematics Odyssey November 20, 2002
このボクが食の大使に?

過日、愛媛県広見町から松浦甚一町長以下三名の方々が上京された折、先方からの要請があってしばし御一行とお会いし歓談する機会があった。それよりすこし以前に、広見町では「食の大使」という一種の対外広報特別代理人みたいなものを任命することになり、その候補の一人に私がノミネートされらので、この際ぜひとも受諾してほしいという打診があった。

そのときの話では、もう一人の候補者はエッセイストで料理研究家としても名高い本間千枝子さんであるということだった。本間千枝子さんは食に関する有名な専門家でもあられるから白羽の矢が立ったのは当然だとしても、日々粗食に甘んじて生きるこの私のほうは、およそ食通には程遠い存在である。だから電話を通して大使就任の打診をうけたとき、どう考えてみたってこの身にそんな大役が務まるわけがないだろうと、ただただ戸惑いを覚えるばかりだった。

たとえ食の大使なるものに就任したとしても、そもそも何をどんなふうにこなしたらよいものやら皆目見当がつかない。そのへんのことを先方に問い合わせると、「まぁー、あんまり難しく考えないで適当にやってくだされば結構です。ええそうです、適当でええですけんに……」というなんとも要領を得ない返事なのである。「適当でええですけんに」と言われてもなあと、こちらのほうはますます頭を抱えこんでしまうありさまだった。

そりゃまあ、「今日は広見町特産の高麗雉十羽と雉肉の味噌漬け十パックを送ってください。明日は水耕栽培の大粒イチゴ二十パックを、明後日には名産椎茸「媛王」を三十パックお願いします。その次ぎの日には瓶入り良質ウコン粉末十個と、あの抜群の味の柚子ポン酢と柚子飲料の詰め合わせ『ゆずの里』を十セットほどお届け願いたいですねえ。そうそう、合鴨農法で生産される例の美味い米も忘れないでもらえれば嬉しいです。それからもうひとつ、鬼北自然薯も十本ほど……。ボクは食の大使なんですから、もちろん、みんな贈呈というこでお願いできるんですよね!」なんてことができるなら食の大使も悪くはないが、それでは汚食の大使どころか汚職の大使になってしまう。瘠せても枯れてもどこかの国の一部の外交官みたいな真似だけはしたくない。

それに、そんなことになってしまったら、広見町は破産してしまう……ってなことはまあないかもしれないけれども、人選を誤った責任をというわけで、町長以下の関係者だってただではすまないことだろう。清流で名高い四万十川の源流河川広見川などは、その美観で知られる名が泣いてしまうことにもなる。

広見町が私を食の大使に任命しようと考えたのは、この「マセマティック放浪記」をはじめとするいくつかのメディアで、同町の自然美や様々な風物、産物などについてなにかと紹介したことがあったからであるらしい。広見町の雉プロジェクトおよび雉冷凍加工場の技術顧問を務める親しい知人、三嶋洋さんの取り持つ奇縁がそもそものこのと発端ではあった。

お酒を満たした大型プールを毎日泳ぎ回っているようなこの不思議な人物の大活躍……というよりはとてつもない悪あがき(?)が効を奏し、広見町は結構有名になり、その雉プロジェクトや雉料理、雉酒などは朝日新聞の土曜版BeやNHKの教育テレビなどでも紹介され、国内に広く知れ渡るところとなった。

この三嶋洋という怪人物、かつて小松製作所などにも勤務し、たいへん優れた仕事をしていたことなどもあるのだが、そのもっと以前には東京から沖縄の西表島に移住して本格的な漁師となり、そのかたわら民宿の経営に携わってもいた。国内では数少ないスキューバダイビングの上級国際ライセンスの持ち主で、新人ダイバーの養成にも尽力してきたらしいのだが、いったいどこでどうやってダイビングスクールの生徒らを指導してきたものなのか、いまだに私は腑に落ちない。この世のどこかにお酒かウイスキーでできた秘密の大海があって、たぶんそこでダイビングの極秘指導がおこなわれているのだろう。

先日、この放浪記をたまたま読んだというかつての教え子がメールをくれ、「三嶋さんは私のスキューバダイビングの先生でした」と伝えてきてくれたところからすると、看板に偽りがないことだけは確からしい。今度その教え子と会う機会でもあったら、一日のスケジュールのうち、ダイビングの指導時間とアルコールの指導時間との割合がどうなっていたのかを含め、その詳しい実状など尋ねてみることにしたいとおもう。

西表島に移り漁師となる前は、なんと日本開発銀行に勤務する優秀なオペレーション・リサーチのスペシャリストで、いま話題の竹中平蔵金融担当大臣はその当時の同僚だった。三嶋さんの結婚式で竹中大臣は受け付けを務めていたというのだからは話はますますややこしい。「平ちゃん、洋ちゃん」と呼び合う仲はその後もずっと続いてきたらしいのだが、かたや、「末は博士か大臣か」どころではなく「末は博士も大臣も」をすでに現実のものとし、いっぽうはというと、「末はアル中か寅さんか」の道を大驀進中ときている。このギャップをいったいどう考えたらよいものなのだろう。

竹中大臣が誕生する以前から、三嶋さんは、「平ちゃんは人間としてはとてもいいやつだけど、なんせ御用学者だから、彼の経済学はあかん、あかんですよ」などと、よく冗談まじりに口走ったりしていたものだ。このところ、その経済政策がなにかと批判を浴び、四面楚歌気味の竹中さんだが、その政策が失敗に終わったりするようなら、小泉首相はこの三嶋さんをピンチヒッターに登用したらどうだろう。アルコール流の寅さん経済政策は意外に効を奏するかもしれない……でもまあ、世の中そうあまくはないか……。

単なるアルコール中毒や寅さんもどきなら、酔いつぶれて裸で寝ようが身ぐるみを剥ぎ取られようが周囲も知らん顔で放っておくのだが、へんにいろいろな才能があったりし、それがまた結構世の中の役に立ったりするものだから話はなんとも厄介なのである。いつのまにやら、ちゃっかり広見町の名誉町民におさまったりしているのも、その献身的な仕事、いや献酒的な仕事ぶりが高く評価されてのことなのであろう。本間千枝子さんと私とが広見町の「食の大使」にノミネートされた背景に、この規格外の名誉町民殿のすくなからぬ奔走があっただろうことは想像に難くない。

ついでだから書いておくと、天下御免のこの三嶋さんも、どうやら本間千枝子さんにだけは頭が上がらないらしい。三鷹市にある本間さんのお住まいは三嶋邸と隣接していて、三嶋さんが少年だった頃から、本間さんには何かにつけてお世話になってきたらしい。だから、どんなに酔っぱらっていても、本間さんが「三嶋君!」と一声かけただけで「はいっ!」とばかりに直立不動の姿勢をとりかねないほどの傾倒ぶりなのである。本間さんはたいへんな切れ者で歯に衣を着せぬ物言いをなさるうえに、その広い見識に裏打ちされたお人柄や存在感も抜群ときているから、それでなくても三嶋さんが敬意をはらうのは当然のことではあるのだろう。

ともこかくも、そのようなわけで、結局、私は広見町の食の大使なるものを引き受けさせられるはめになった。「大使」ではいささか荷が重いけれども、まあ「小使」くらいならなんとか務まるかもしれないというおもいもあってのことだった。いまひとつには、松浦町長や入舩課長ら、町役場関係者のすこしも偉ぶったところのない庶民的なお人柄や、よそ者にも優しく温かい広見町の皆さんの町興しに賭ける熱意のほどを、これまでの訪問を通じて私自身痛いほどに感じとっていたからでもあった。

三嶋さんに誘われて初めて広見町の地を踏んだときから、私はこの町のもつ独特の空気のようなものを直感していた。自然美を背景にした古い伝統文化への敬意の念と現実的改革を恐れぬ進取の気鋭とがバランスよく共存し、不思議な調和を保っていることがなんとも印象的だったのだ。そのことはまた、この地の食文化にも色濃く現れているようにおもわれた。たぶん、それは、隣接する宇和島市とともに旧宇和島藩の特異な歴史と文化を受け継ぐ広見町ならではのことでもあるのだろう。非力なうえに横浜生まれで鹿児島の離島育ちのこの自分に何ができるのはいまだに疑問なのではあったが、本間さんも大使役をお引き受けになるということだったので、私はその随行役にでもと考えたようなわけである。(次週につづく)



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