「マセマティック放浪記」 2002年6月19日
Mathematics Odyssey June 19, 2002
「図説・創造の魔術師たち」
復刊裏話

  今年の三月頃のこと、「メディカル漂流記」の筆者、永井明さんから、工学図書という理系書籍専門の出版社に親しい編集者がいるので一度会ってもらえないかというメールが届いた。ほかならぬ永井さんからの依頼ということで、すぐに了承した旨の返信を送った。それからしばらくしてわざわざ府中まで訪ねてきてくれたのが、工学図書の編集者倉澤哲哉さんだった。一見しただけで信頼に値する人物だと感じたので、すぐにこちらもありのままの姿をさらけだし、しばしあれこれと話し込んだ。
  倉澤さんから伺ったところでは、作家としてデビューなさるすこし前のこと、永井さんは自ら経営者となり小さな出版社を立ち上げようとなさったことがあったらしい。ほどなくして、永井さんの資質が、医師や小出版社の経営者などよりも作家業のほうに適しているらしいと判明すると、永井社長とバイト社員二人だけのその会社はたちまち消滅してしまったのだそうだ。まだ早稲田の学生だった頃、その出版社のバイト従業員のひとりを務めていたのがほかならぬ倉澤さんだったというわけである。去る五月十五日に掲載された永井さんの「ダッカからハルビンから」の中に登場していたKさんとは、この倉澤さんのことにほかならない。
  そんな初対面の席で、私は倉澤さんからなにかしら数学がらみの本でも執筆してもらえないかという話をもちかけられた。ある時期を境にして、数学をはじめとする数理科学関係の原稿執筆から意図的に遠ざかりつつある私は、もう、専門書、あるいはそれに近い数理科学系の本を書くのは気のりがしないと倉澤さんに伝えた。そしてまた、現在手がけている他の仕事との関係もあるので、かりに筆を執るにしても、数理科学系の根底的問題を極力日常的な文章のなかに取り込んだ一般読者向けの原稿にかぎられるだろうとも付け加えた。
  すると、倉澤さんは、常々私の「マセマティック放浪記」などに目を通すなかで、おおかたそうだろうということは推測がついていたので、べつにそのような原稿でもかまわないと、いっこうに引き下ってくれるけはいがない。だんだんと外堀を埋められていくそんな情況のなかで、その場しのぎのために取り出したのが一冊の翻訳本だった。もしかしたらこんなこともあろうかと、あらかじめ用意だけはしてきてあったのだ。
  私は倉澤さんに「これはちょっとした奇書なんですが、工学図書さんはこんな本の復刻出版なんかには関心はおありでないでしょうね?」と言いながら、その翻訳書を差し出した。「VICTORIAN  INVENTIONS―19世紀の発明家たち」というタイトルのその本は、私の翻訳で1977年にシグマ社というところから出版されたものだった。A4変形版200ページ弱、単価1800円の大型図版本で、刊行当時は各種新聞や週刊誌などの書評でも大きく取り上げられ、書籍マニアのあいだではちょっとした評判にもなった。
  作家の荒俣宏さんからは奇書五十選のなかにリストアップもしてもらった。当時の国立科学博物館の工学部長青木国夫さんからは、「翻訳の世界」という雑誌の書評の中で、「原著の内容からして翻訳には多くの困難がともなっただろうにもかかわらず、翻訳も優れており、科学史の研究資料として我々研究者にもおおいに役に立つ」という、身に余るような評価を賜わったりもした。また、同書の紙面の六割がたを占める銅版画や精密木版画の創造のロマンに満ちた挿絵の数々は、美術デザイン関係者のあいだでも大好評を博した。同書中の挿絵二、三点をもとに制作し、都内の一部の駅などにはりだした宣伝用ポスターは、知らぬ間に次々に剥がされ、持ち去られたりもした。
  同書の刊行当時、日本テレビなどはこの本の中で紹介されているいくつかの奇想天外な発明品などを復元し、それをネタに番組をつくったりもしていたようである。また、何枚かの挿絵は、いくらかデフォルメしたうえで、様々な催し物の宣伝ポスターの図柄や各種商業広告のデザインなどにも用いられた。なかには無断使用のされたケースもかなりあったようである。昨年の夏には、フジテレビ系の納涼発明大学という土曜の昼間の五分間番組で、同書の絵にアニメーション風の動きをつけたものが毎週放映されたりもした。「山井教雄さんのアニメに仰天!」(2000年1月19日付けの小生のバックナンバー参照)という拙稿の中で取り上げたタイプライターの図版とその解説記事もこの本に収録されているものだ。
  こんなことを書くと、さぞかし売れたのであろうと想像なさるかたも多かろうが、実際のところはそうではなかった。その興味深い内容にもかかわらず、出版時のいろいろな事情から、この本は不遇な運命を辿らざるをえなかったからである。シグマという小さな会社社長の半ば個人的な趣味で委託された仕事だったうえに、もともと書籍会社ではないこの会社は、刊行書を販売ルートにのせるのに必要な出版コードを所有していなかった。だから、せっかく本はできもそれらを全国の書店に流通させる手段をもっていなかったし、むろん新聞や雑誌などに広告をうてるだけの資力もなかった。
  そのため、社員が本業のかたらわ各地の本屋を一軒一軒まわっては、現物を持ち込んで販売を委託し、代金の回収にも出向くというありさまだった。だから、都内の一部の大書店筋に出回るのが精一杯というところであった。そんな状況だったから、入ってくる印税のほうも翻訳に費やした時間にはとても見合わぬ程度のものにすぎなかったが、それでもいくらかは売れ、書評などに取り上げられたぶんましではあったかもしれない。むろん、シグマ社が長期にわたってそんな不安定な出版業務を続けることは難しく、いつしかその本は絶版となり、入手不可能になってしまった。
  それから15年後の1992年、JICC出版(現在の宝島社)の佐藤信弘さん(「田舎暮らしの本」の現編集長)のはからいで、同書は「図説・発明狂の時代」とタイトルを改め、装丁を一新したうえで同社から復刊された。この版には荒俣宏さんの推奨文の記された帯までがついていた。しかしながら、ここでもまたいくつかの不運が重なった。復刊書であったため、書評などに取り上げてもらうのが難しく、しかもJICC出版の本としては異例のA4変形版という大型本であったため、売り場スペースの関係で本屋の店頭に長期的に置いてもらうことは難しかった。また、美術書とも科学書とも大人向けの絵本ともつかぬ奇書であるため、どのジャンルに分類したものか書店側も対応に頭を悩ましたりもしたらしい。
  まだインターネットによる書籍情報検索やインターネット書籍販売などという便利な手段のない時代のことだったから、とくに宣伝も販売促進もなされていない本を買ってもらうということは容易なことではないようだった。それでも幸い一刷り分は完売したのだが、二刷りにとなりかけたところでまた不測の事態が発生した。JICC出版が翌年に宝島社と社名変更になったのにともない、奥付や表紙の表記と装丁の変更が必要になったのだが、そうするには新たに手間も費用もずいぶんとかかるから再版は難しいということになった。かくしてまた同書は廃版のやむなきにいたったのである。突然その旨の通知がJICC出版から届き、慌てて何部かを入手しようと先方に連絡を入れたのだが、そのときには既に在庫切れになっており、結局、私の手元にはJICC版「図説・発明狂の時代」は初版が一部しか残らなかった。
  その時からさらに十年の歳月が流れ去ったが、その間にも、その本の存在を知る一部メディア関係者や美大関係者、さらには科学史の研究者などから絶版なのかどうかの問合せがあったりもした。ものがものだっただけにその翻訳にはずいぶんと苦労したから、私自身も同書にはひとかたならぬ愛着があった。だから、廃版になってからも、またいつかどこの出版社から復刻版を出してもらえないものかという思いだけはあったのだ。
  最近はスキャナーの性能も飛躍的に向上していることだから、原版が廃棄されていても、保存状態のよい本さえあれば、それをもとに、そんなに経費もかけず復刊が可能なのではないかという気もしていた。また、インターネット時代の到来のおかげで、いまなら、小出版社であっても同書の概要を広く紹介しその面白さを皆に知ってもらうことができるから、ビジネスとしても十分成り立つのではないかと考えはじめてもいた。そんなところに、たまたま工学図書の倉澤さんが現れたというわけだった。
  幸い話のほうは想像していた以上に順調に進み、なるべく早い時期に工学図書が同書を復刊してくれるということになった。版権再取得の問題は、工学図書の笠原隆社長が長年講談社で海外書籍部門の総括責任者を務めておられたこともあって、比較的スムーズに解決をみた。私の役割である一部文章の手直しや補足のほうも遅滞なく完了した。復刻版の新たな書名を一日か二日のうちに考えてくれと依頼されたときはさすがに少々焦ったが、なんとか期限内に「図説・創造の魔術師たち」というタイトルをひねりだすこともできた。
  そんな状況のなかで想いのほか苦労したのが、解体して復刊作業に使うための原本の調達であった。私の手元にシグマ版の初版本とJICC版の初版本とが一部ずつ残されていたが、いまとなっては掛け替えのない本なのでそれらを潰すわけにもいかない。そこで、友人に頼み込んで以前贈呈しておいたシグマ版の何刷り本かを返してもらい、印刷所に持ち込んでみたのだが、あちこちに不鮮明な部分が生じたりし、いまひとつ仕上がりの状態はよくないということだった。
  なるべくなら保存状態のよいシグマ版の初版本をどこからか入手できないかということになり、工学図書では各種ネットワークを駆使して全国各地の古書店を調べてみた。だが、青森の古書店でようやくJICC版が一冊見つかっただけで、シグマ版を探し出すことはできなかった。とりあえず大急ぎでそのJICC版を青森から取り寄せたのだそうだが、値段のほうも五千円以上したらしい。また、イターネットのフリーマーケットオークション「楽天」において三刷りのシグマ版が一万円余の値段で売られているのを見つけ、すぐに購入しようと試みたが、ちょっとの時間の差で先客に買い取られてしまったということだった。
  三刷り版でもそんなにするのなら、シグマ版が刊行された当時に初版本を百冊ほど買い込んでおき、いまになってから楽天にでも売りに出せばよかったかなどと姑息なことを考えてみたりもしたが、すべてはあとの祭りである。こうなったら、わずか一冊だけ手元に残った、しかも状態が万全とは言い難いシグマ版初版を生贄に差し出すしかないかと考えはじめたとき、突然思い浮かんだのが旧友の評論家芹沢俊介さんだった。
  芹沢さんのところにはシグマ版初版の贈呈本が一冊あるはずである。すぐに電話をかけて確認してもらうと、たしかにあるという。保存状態もよいということなので、事情を話して泣きつき、大至急私のところへその初版本を送り届けてもらうことにした。芹沢さんには復刊版ができたら真っ先に届けるからと約束したが、楽天では三刷り版でも一万円以上しているらしいとは話さないでおいた。その初版本をもとにした復刊作業の結果は上々で、まさに、神様、仏様、芹沢様となったようなわけであった。今月初旬にタイトルと装丁を一新した「図説・創造の魔術師たち」のサンプル本が届けられたが、旧原版なしでの復刊書とはおもわれないほどに素晴らしい本に仕上がっていた。
  ところで、話がそこまでで終われば文字通りハッピーエンドというわけだったのだが、どうやらそうもいかなくなってきた。復刊作業が無事終了し、立派な復刊書が出来上がってまもないあたりから、工学図書の笠原さんや倉澤さんのにこやかな微笑みが妙に気になりだしてきたからである。その微笑の奥には、「さあ、復刊書のほうは出来上がったから、近いうちに次の依頼原稿を書いてもらうことにしましょうね。タイトルだけでもなるべく早めにお願いしますよ!」という暗黙の要請が隠されていることは明らかだった。ほどなくして、復刊話を持ち込んだのはヤブヘビであったらしいと悟ったのだが、もはやすべては手遅れのようだった。



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