「マセマティック放浪記」 2002年5月22日
Mathematics Odyssey May 22, 2002
卒業生に賢治の詩を贈った友

  定塚さんは毎年一篇の詩を選び出し、それを送辞の代わりとして卒業生たちに贈っていたのだった。国内外の高名な詩人たちの名詩ばかりで、しかも、我々おとなたちにとってさえもその含意を汲みとることは容易ではなさそうな詩ぞろいであったが、定塚さんは難しいことを百も承知で、学窓を巣立つ生徒たちにそれらの詩を贈っていたようなのである。
  たとえば、フリードリッヒ・シラーの「希望」、河井酔茗の「ゆずり葉」、宮沢賢治の「生徒諸君に寄せる」、ハイネの「人生航路」、ボードレールの「異邦人」、石川啄木の「飛行機」、ゲーテの「別離」と、ちょっと並べてみただけでもかなり奥が深くて難しい詩ばかりであったが、たぶん定塚さんは独自のやりかたでその内容をできるだけほぐし、巣立ちゆく生徒たちにそれらの素晴らしさを伝えようと努力していたのだろう。そこには、常々、自分の教え子たちを未熟な中学生とみなすのではなく、独立した人格をもつ立派なおとなとして認めようとしてきた定塚さんの確固たる教育姿勢が偲ばれるのだ。
  いますぐにそれらの詩のすべてがわからなくてもいい、先々の人生のどこかにおいてそのような詩があったということを誰かひとりでもよいから想い出してくれさえすればいい、そして、必要ならそれらを心の糧にしてほしい――おそらく、定塚さんの胸中深くには、巣立ち行く教え子たちに対するそんな切なる願いなども込められていたに違いない。
  もちろん、定塚さんが、高名な詩人の作詞になるシューマンやシューベルトの歌曲を長年歌い続けてきたという背景はあるだろう。だが、たとえそうだとしても、いまどき中学生にそのような詩を真剣な気持ちで贈ろうとする教師がいったいどれだけいるだろう。また、そういった一教師の教育に対する熱意を評価する大人たちがいったいどれほど存在することだろう。
  口々に世の不景気を嘆きはしても、魂のこもった一連の言葉が未来の世界に対してもつ重要性など、我が国の大人たちのほとんどはもはや意に介してなどいないことだろう。中学生や高校生の国語力をはじめとする学力の低下が危惧されているが、それはひとえに大人たちの責任なのであって、けっして子どもたちに責任があるわけではない。重々しいその口調と身振りにもかかわらず、命の鼓動の伴わぬ言葉しか吐くことのないどこかの国の政治家などは、小さな泉でもかまわないから、清冽な命の言葉の湧き出でる真の泉をもう一度探しなおしてほしいものだ。
  いまこの国に重要なのは「米百俵の精神」そのものよりも「米百俵の精神」を生み出すことのできる根源的な土壌の育成のほうであり、ベストセラーを狙った数々の日本語ブームの書籍そのものよりも、創造的で感性豊かな日本語を生み出す社会環境や生活環境のほうなのである。名プレイヤーの個性的な運動フォームを真似することはできたとしても、そのような見事なフォームを生み出せる筋力や反射神経、バランス感覚などを身につけるのは容易でない。そういったものは、ほどよい精神的な感動や緊張感、さらには数々の身体的なリスクや生活実感が自然なかたちで混在する環境の中で、それなりの長い時間をかけて徐々に形成されるものだからである。
 
  せっかくだから、定塚さんが卒業生に贈った詩のひとつ、宮沢賢治作の「生徒諸君に寄せる」をここに紹介しておこうとおもう。すでにご存知の方も多かろうが、そのいっぽうで、初めてこの詩を目にし、心洗われる思いでその一行一句に魅せられる人もまたすくなくないことだろう。偉大な教育者でもあった詩人宮沢賢治の時代を超える洞察力と、この詩を選び出した定塚さんの的確な選択眼とにあらためて私は敬服するばかりである。

  なお、「生徒諸君に寄せる」というこの詩は、もともと全体として未整理かつ未完成のままで宮沢賢治の詩作ノートの末尾に残されていたものである。以下には定塚さんが卒業生に贈ったものをそのまま転載しておくが、推敲段階の詩文を含む詩作ノート記載の原文はこれよりかなり長く、各部の構成と配列もいくぶん異なったものになっていることをお断りしておきたい。また、原詩では旧かな遣い表記だったものが現代かな遣いに改められており、もとは漢字表記だった部分が一部かな表記に変えらえてもいる。たぶん定塚さんが資料として用いた書籍の執筆者か賢治の詩を専門とする研究者か編集者が、詩としてのかたちを整え一般にも読みやすくするためにそのように編集しなおしたものであろう。
  賢治の詩には完成されたかたちで残されたもののなかにも難解なものがかなりあり、詩文中に用いられている漢字や梵語、特殊用語などをどう読みどう解すべきかについて、その道の専門家でさえも戸惑うところがすくなくない。地質学の専門家で博覧強記そのものだった賢治は、法華経をはじめとする諸仏典や東西の様々な哲学思想、さらにはその時代の先端科学の世界に深く通じており、それら該博な知識を自在に駆使しながら膨大な詩作に没頭していた。死後に世に出たもののほうが多いから、不明の点も多いのだ。


  生徒諸君に寄せる  <宮沢賢治>

 この四ケ年が
 わたくしにはどんなに楽しかったか
 わたくしは毎日を
 鳥のように教室でうたってくらした
 誓っていうが
 わたくしはこの仕事で
 疲れをおぼえたことはない

 諸君よ紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
 諸君はそのなかに没することを欲するか
 じつに諸君はその地平における
 あらゆる形の山岳でなければならぬ

 諸君はこの颯爽(さっそう)たる
 諸君の未来圏から吹いてくる
 透明な清潔な風を感じないのか

 それは一つの送られた光線であり
 決せられた南の風である
 諸君はその時代に強いられ率いられて
 奴隷のように忍従することを欲するか
 むしろ諸君よさらにあらたな正しい世界をつくれ
 宇宙は絶えずわれらによって変化する
 潮汐や風
 あらゆる自然の力を用いつくすことから一足進んで
 諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ
 新しい時代のコペルニクスよ
 あまりに重苦しい重力の法則から
 この銀河系を解き放て
 新たな時代のマルクスよ
 これらの盲目な衝動から動く世界を
 すばらしく美しい構成に変えよ

 新しい時代のダーウィンよ
 さらに東洋風静観のチャレンジャーにのって
 銀河系空間の外にも至って
 さらに透明に深く正しい地史と
 増訂された生物学をわれらに示せ
 衝動のようにさえ行なわれる
 すべての農業労働を
 冷たく透明な解析によって
 その藍いろの影といっしょに
 舞踊の範囲に高めよ

 新たな詩人よ
 雲から光から嵐から
 新たな透明なエネルギーをえて
 人と地球にとるべき形を暗示せよ


  ちなみに述べておくと、チャレンジャー(原詩ではキャレンジャーとなっている)とは、一八七二年から一八七六年にかけて太平洋各地や大西洋の南半球部分で学術調査を行なったイギリスの海洋調査船のことである。海洋最深部のある北太平洋のチャレンジャー海淵は、この調査船にちなんでその名がつけられた。ずっとのちに米国で打ち上げられたスペースシャトルがチャレンジャーと命名されたことは、予言者としての賢治像さえも彷彿とさせるほどに因縁めいていてなんとも興味深いかぎりである。
  定塚さんの自分史の最終ページには、最後の職場になった旭川市立神居古潭中学校の学校通信「古潭だより」の一文が転載されており、その文章は「教えることは学ぶことであると、私は遅まきながら実感している」という言葉で結ばれている。教育界では昔から幾度となく口にされてきた言葉ではあるけれども、長年にわたって生徒たちと真剣勝負を続けてきた定塚さんがしみじみと語るその言葉には、けっして借り物などではない重々しさが感じられてならないのだった。
  また、かねがね、私自身も、「教え育てる」という他律性の強い響きをもつ「教育」という言葉よりは、「自ら学び育つ」という自律的な色合いの濃い「学育」という言葉のほうにより好感を抱いてきたので、定塚さんの想いには心底共感することができた。
  巻末には、自らの恥を忍んで公開に踏み切ったという小、中、高時代の全成績表や詳細な生活記録などのコピーも添付されていたが、そういった定塚さんの型破りな行為などにも私は大いに好感をもつことができた。同僚や多くの友人知人、さらにはかつての教え子たちが早晩それらを目にするだろうことを百も承知で、定塚さんは正直に昔の自分の姿をさらけだして見せたのだ。誰にでも学業成績の善し悪しはあり、さまざまな社会的行動面での得手不得手は存在する。教師はもともと万能人間ではありえないし、またそうである必要もないことを、定塚さんはあえて示したかったのであろう。
  自分史の「あとがき」の最後にある「これからの人生も迷いながらのものだとは思いますが、自分なりに精一杯生きていくことをここに誓って結びといたします」という言葉を読みながら、「定塚さん三十七年間ほんとうにご苦労様でした」と私は心の中で呟いていた。
 そして、そう呟く私のかたわらのCDプレイヤーからは、かつて定塚さんが指揮した旭川市立中学校マンドリン部の奏でる曲が、まるでその退職を悲しみ惜しむかのように甘く切なく流れ出ていた。



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