「マセマティック放浪記」 2002年1月2日
Mathematics Odyssey January 2, 2002
川畠成道さんの近況

  しばらくぶりに三鷹のお宅に川畠成道さんを訪ねてみた。夜八時頃のことだったが、お父さんの正雄さんの案内で通された二階の部屋で、川畠さんはまだリハーサルを続けているところだった。全身を使った激しい弓捌きに呼応して、一七七〇年代ものの名器ガダニーニが、魂の奥底までしみとおるような高く澄んだ音を発していた。
  素人目にはどこにでもありそうな古びたヴァイオリンにしか見えないのだが、それを川畠さんが手にした途端に、圧倒的な威厳と存在感を放ちはじめるのだから不思議なものである。このガダニーニをごく間近で目にするのも何度目かになるが、どうしてこの楽器があれほどに神聖な響きを発するようになるのかと首を傾げたくもなるのは私だけではあるまい。名器というものは、それを扱うに相応な人物の存在あってこそ、その隠し秘めた真価を発揮するのであろう。
  ほどなくこちらの気配を察知してヴァイオリンを弾く手をとめた川畠さんに、「どうぞ、リハーサルを続けてください」と伝えると、「いいんです、練習しているときりがありませんから」という、穏やかさの奥に凛としたものを秘めた独特の声が返ってきた。ここ一、二年ほどのうちに川畠さんにはある種の風格がそなわってきたように思う。ひとつの道を極めようとひたすら研鑽を積む人に特有な存在感とでもいうべきだろうか。
  壁には昔川畠さんが使っていたらしい小振りのヴァイオリンが二、三基掛けられていた。それを横目で眺めながら、現在のガダニーニでヴァイオリンは何基目なのかを尋ねてみると、八基目だという答えだった。川畠さんのソリストとしての人生はまだ始まったばかりで、まだまだこれから先が長い。今後もずっといまのヴァイオリンで通すつもりなのか、それともある時期が来たら別のヴァイオリンを使うことになるのか、またその場合には現在のガダニーニはどうなっていくのだろうか。奏者と楽器との相性の問題も重要なようだから、ただ高価な歴史的名器でありさえすればよいというわけにはいかないに違いない。
  是非一緒に食事をという川畠家のご好意に促され、私と同行者の岩井さんとは、成道さん、御両親の正雄さん、麗子さんの三人と並んで食卓を囲んだ。そして、御馳走に舌鼓を打ちながら雑談に花を咲かせたが、そんな談笑を通して、最近の川畠家の御苦労のほどなどを窺い知ることもできた。諸般の事情により、最近、所属マネージメント会社が変わったために、それにともなう事後処理や新たな展開への対応が何かと大変であるらしい。また、時の人の宿命と言ってしまえばそれまでだが、連日の超ハードスケジュールのゆえに想わぬハップニングなども起こったりしているようだった。
  昨年十二月の鎌倉での演奏会のとき、川畠さんはひどい風邪にかかり体調が最悪の状態だった。しかし、だからといって演奏会を簡単にキャンセルするわけにはいかない。無理を押してステージに立ち演奏を始めたまではよかったのだが、風邪の影響で耳がいつもの調子ではなかったため、協奏者のピアノの音が実際の音程よりも低く聞こえたという。そのため、ピアノの音を基準にして奏でられる川畠さんのヴァイオリンの音は本来あるべき音程より高くなってしまったらしい。
  関係者が途中でそれに気づいたため、急遽、演奏は中止され、残された時間をトークでつないでなんとかぎその場を凌いだのだそうだ。むろん、このような場合には、当日の聴衆を別のコンサートなどに無料招待したりしてカバーするなどの対応策がとられるらしい。その翌日は遠く離れた別の会場でのコンサートだった。やはり体調はかんばしくなかったのだそうだが、前日のことを教訓にして、耳に聞こえる音の高さより低めに抑えてヴァイオリンを弾いたところ、結果的には大変素晴らしい演奏になったのだという。耳だけが頼りの川畠さんらしいエピソードではあった。
  目の不自由な川畠さんには、身の回りの世話をするため、常にお母さんの麗子さんが同行しておられる。強行スケジュールが続いているある日の夜こと、演奏会主催者による接待を受けたあと、麗子さんと成道さんは午前零時頃に四谷から立川方面に向かう中央線の電車に乗った。お父さんの正雄さんには、麗子さんから、武蔵境の駅に着く頃に電話するので駅まで車で迎えにきてほしいという連絡が入っていた。
  正雄さんは家を出る準備をして待っていたが、予定時刻がずいぶんと過ぎても麗子さんからの連絡はなかった。心配になった正雄さんがとりあえず武蔵境の駅へと行ってみると、なんと、ヴァイオリンケースを肩にした成道さんが一人だけ深夜の駅改札口の内側にぽつんと立っていたのだという。慌てず騒がず泰然と構えているところなどはいかにも成道さんらしいのだが、正雄さんの驚きは大変なものだったらしい。だが、それ以上に慌てたのは麗子さんのほうだったに違いない。
  帰りの電車が混雑していたため、成道さんも麗子さんもずっと立ちっぱなしだった。ところが、武蔵境のすこし手前の駅でたまたま席が空いたので麗子さんはそこに腰をおろした。そこまではよかったのだが、連日の強行軍で心身ともに疲労の極みに達していた麗子さんは、不覚にもそのまま深い眠りに落ちてしまったのだった。麗子さんが眠っていることなど知るよしもない成道さんは、いつものように武蔵境で下車したが、麗子さんのほうはそのまま乗り過ごしてしまったのだった。
  何が起こったのかよくわからない成道さんは、とりあえず自力で改札口までやってきた。だが、切符は麗子さんが預かったままだったし、所持金もなかったので、そのままそこで麗子さんがやってくるのを待っていたのだという。もっとも、極力何事もプラスに変えて考える成道さんのことだから、もしかしたらその状況をそれなりに楽しんではいたのかもしれない。切符をもった麗子さんが最終電車で武蔵境の駅まで引き返し、二人の待つ改札口に姿を見せたのは、正雄さんが改札口で成道さんの姿をみつけてからずいぶんとたったあとのことだったようだ。
  成道さんには、その夜帰宅してぐっすり眠るいとまさえもなかった。翌朝早くには東京を発って大雪の会津若松に入り、一時間半ほどの講演をすませたあと羽田に直行、沖縄の那覇に飛んで同地の演奏会に臨むという強行軍で、成道さん自身の体調のほか、気象条件に影響されやすい微妙な楽器ヴァイオリンが、その差およそ三十度という極端な温度変化についていけるかどうかも心配であったらしい。
  歓談の盛り上がりついでに、私は川畠さん父子にひとつだけ愚問をぶつけてみた。大編成の交響楽団の場合でも指揮者は団員個々の楽器の音をそれぞれ正確に把握しているというが、それは事実なのか、という長年胸に秘めていた質問だった。正雄さんと成道さんとで多少見解の相違はあったものの、ヴァイオリンやビオラなどの弦楽器の場合には、音が一種の束となって響きわたるので、大指揮者といえども個々奏者の音を明確に聴き分けるのは難しいだろうとのことであった。むろん、ソロ楽器の場合や、弦楽器類でも指揮者が特定の奏者に五感を集中している場合には、話は別であるらしかった。
  この日の二日後に川畠さんのサード・アルバム「愛の哀しみ」がビクター社から発売されたが、川畠家にはすでにそのCDが届いていたので、それを聴かせてもらいながら、心地よい気分で時を忘れて歓談に興じることができた。ファースト・アルバム「歌の翼に」も、セカンド・アルバム「アベマリア」も素晴らしかったが、今回新発売のこのサード・アルバムはそれ以上に素晴らしいと言ってよいかもしれない。芸大の先生でもあるお父さんの正雄さんも、曲目の好みは人それぞれなので別問題だが、演奏自体の出来はサード・アルバムが一番よいとの意見だった。
  来る二月一日(金)には、午後七時から初台の東京オペラシティコンサートホールで川畠さんのサード・アルバム発売記念ヴァイオリンリサイタルが開催される。また、三月三十一日(日)には同じく東京オペラシティホールで同記念リサイタルの追加公演が行なわれることになっている。コンビを組むピアニストも最も息の合うダニエル・ベン・ピエナールときているから、その演奏にはとても期待がもてそうだ。チケットの料金も全席一律で、CDと同じ税込み三千四十五円とたいへん安い。この料金であの聖なる響きが聴けるのであれば言うことはない。
  現在、川畠さんは一時のハードスケジュールから解放され、新春のリサイタルにそなえロンドンで静養中なので、きっと今度の記念リサイタルでは最高の演奏を聴かせてもらえることだろう。所属事務所を変え、心気一転して新たな飛躍を目指す川畠さんを支え励ますためにも、一人でも多くの方々にご声援願いたいものである。私自身も当日は何を差し置いても会場に足運ぶことにしたいと考えている。



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