「マセマティック放浪記」 2001年12月19日
Mathematics Odyssey December 19, 2001
冬の日に

  夕陽が美しい季節になってきた。私の住む東京郊外の町からは、西の方角に丹沢山塊とひときわ流麗な富士の姿とが折り重なって望まれる。晩秋から真冬にかけての時節は、ちょうど富士山のあたりに夕陽が沈んでいくので、ときたま、西空が真っ赤に燃え上がり山並が息を呑むようなシルエットとなって浮かび上がることがある。日輪がすっかり姿を隠したあとも、黄昏という言葉通りに荘厳な輝きの黄道光が残り、やがて藤色から深い藍色に空の色が変わる頃には宵の明星などが澄んだ光を放ち始めたりもする。東京の空もまだまだ捨てたものではない。
  そんな美しい夕空を見ながら、この冬は人心の奥底までが冷たく凍てつくくらいの凄まじい寒波がやって来るかもしれないなと思ったりもした。でも、人間というものは、おのずから感性の研ぎ澄まされざるをえないそんな時こそ、おのれの成長や飛躍を促す重要な出来事などに遭遇しがちなものではなかろうか。自分のささやかな人生を振り返ってみても、なにかしら前進の糸口を発見したり、想わぬ出逢いに恵まれたりするのは、冬の季節がほとんどだった。むろん、ここで言う冬の季節とは象徴的な意味合いをも含めてのことであって、文字通りの冬期のみをさしている訳ではないのだが……。
  冬の旅に心ひかれることのすくなくない私みたいな人間の眼からすると、この寒い季節はまた、若い女性が心身ともにひときわ美しく輝いて見える時でもある。師走や年始の喧噪に背を向け独り深い愁いを湛えながら、凍てつくような北風の中を、コートの襟をたて、それでもなお毅然として風上に向かって歩いている美しい女性の姿を見かけたりすると、うわぁ、素敵だなって、ついつい見とれてしまうこともある。

  もう十年以上前の話になるが、上野の国立博物館で催されていた百済観音展を見に行ったことがある。真冬の夕暮れ近い時刻とあって、陽はすっかり翳り、身震いするほどの冷たい風が博物館に通じる広場を容赦なく吹き抜けていた。その風の中を清楚な感じの黒のコートをまとった女性が、時の錬磨を偲ばせるそのしなやかな身体からはっとするような「麗気」を発しながら、やはり国立博物館へと向かっていくところだった。
  閉館時間直前であったことなども幸いして、百済観音展の会場はほどよくすいていた。いささか不謹慎ではあったが、煩悩多きこの身は、すこし離れたところから二つの百済観音を感銘深く拝観させてもらうことになった。そのうちのひとつが生身の人間の姿をした百済観音であったことはいうまでもない。
  国立博物館をあとにする直前、地下の売店で鳥獣戯画や平治物語絵詞の絵葉書をあさっていたのだが、ふと気がつくと、生身のほうの百済観音様がたまたまそばにやってきて、私と同じ絵葉書を手にして見とれておられるではないか。一瞬金縛りにあったような思いがしたが、そこはまあ修羅場を幾度か越えてはきた身ゆえ、じっと心を落ちつけ、兎の絵の葉書を指しながら「この絵なかなか洒落てますよね」って話しかけてみた。するとすぐに、「雪兎さんみたいですね、これって?」という澄んだ響きの声が、静かな微笑みとともに返ってきた。
  不思議に気が合ったこともあって、上野から渋谷まで、束の間の時間ではあったが、いろいろと話をしながら一緒に帰った。しょっぱなからなぜそんな話題になってしまったのかは忘れたが、ワーグナーの音楽の世界やメルヴィルの作品モビィ・ディック(白鯨)の思想背景などについて始まった話は、いつしかお互いの旅のエピソードなどにまで及んでいった。
「旅はよくします。わたしも厳しい冬に、雪と氷の輝く荒涼とした北辺の地を人知れず歩くのが好きなんです。たった一度しかないこの人生ですから・・・」
  そう話す彼女の言葉には何の気負いも感じられなかった。うかつなことに、渋谷での別れぎわになってはじめて気がついたのだが、実をいうと、その女性は知的なイメージで知られる某さんだったのだ。
  いつかオンボロ車に乗って一緒に遠い世界を旅しましょうと、半ば冗談交じりの約束をして別れたのだが、海外を一人旅することも多いという彼女のこと、もしかしたらいまごろは遠い異国の空の下にあるのかもしれない。そして、もしそうだとしたら、「他国を旅するようになってはじめて、日本の伝統文化の素晴らしさや自然の美しさをしみじみと感じるようになりました」というその時の言葉通りに、彼女は、この日本の文化に、さらには美しい冬の茜色の夕空に遠く思いを馳せているに違いない。 
  人生は一期一会……人間と人間の出逢いなどというものは、たとえそれがほんの一瞬の出来事であっても、その中に豊かな時間と真摯に向かい合う心とが凝縮されていれば、それはそれで素晴らしいものなのだという気がしてならない。
  その日の帰り道、西の夜空に浮かぶ三日月を仰ぎながら歩いていた私は、以前ある別れの折りに詠んだまま記憶の底に眠らせていた句のことを、突然に想い出した。 

    君行くや三日月凍る寒残し 

  その句を詠んだときとおなじように、この夜も寒気がひどく身にしみたからかもしれない。



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