「マセマティック放浪記」 2001年12月12日
Mathematics Odyssey December 12, 2001
文学的宇宙論講座?

  先月半ばのこと、茨城県友部町にある茨城県教育研修センターに出向いた。同センターの職員の方々、すなわち、茨城県下の小、中、高の教員研修指導担当のベテラン指導教官五十人ほどを対象にした講演会に、講師として引っ張り出されてしまったのだ。ひらたく言えば先生の先生を務めておられる方々相手の講演だから、近年、知性よりも「痴性」の占めるウエイトのほうが大きくなったこの身としてはいささか気おくれする思いだった。
  毒にも薬にもならない軽い乗りの講演ならフリーランスの常としてそれなりに場数を踏んできてはいる。しかし、教育の専門家を相手にした真面目な講演となると、ずいぶん久しぶりのことである。フリーランスの世界に身を投じてからというもの、そうでなくても乏しいかぎりの専門的知識や能力は日毎に退化し、その場しのぎの漫然とした雑学的素養だけが垢のように積もってしまった。おかげで肝心の頭脳のほうはスポンジ状化、いまばやりの表現を借りれば狂牛病状態化し、学術的あるいは教育的に有意義な講演などまともにできる状況ではなくなってしまっている。
  そんなところに、宇宙について何か話してほしいなどという、とんでもない依頼が舞い込んできたのだから、困ったことはいうまでもない。そもそも茨城県には日本の学術研究の中枢をなす筑波研究学園都市があるから、宇宙関連の優れた専門研究者などいくらでもいるはずだ。宇宙開発事業団直属の筑波宇宙センターだって存在している。そんな茨城県の教育研修センターに出向いて、しかも、数学、科学哲学、文学、あるは紀行体験がらみのテーマならまだしも、本来専門外の宇宙の話をしろというのだから、何かの間違いだろうと思わざるをえなかった。
  ことの発端は、この拙稿を毎週欠かさず読んでくださっているという数学担当の教育研修センター職員、松延和典さんが、拙著「宇宙の不思議がわかる本」(三笠書房)を手にされたことにあったらしい。その結果、同センターの山内洋行所長と相談のうえ、私を呼ぼうということになったようなのだ。やばいよなあ、出版社の調子よい誘いに乗ってあんな本なんか書くんじゃなかった――などと悔やんでみても、もはや後の祭りだった。
  茨城県内の大学や研究所にはその道の専門家が大勢いるから、そのなかのどなたかに依頼したらと一旦は辞退したのだが、どうしてもとの話である。それなら、私ではなく、もと種子島並びに筑波宇宙センター所長で、前述の文庫本の共著者、菊山紀彦さんではどうだろうと伝えると、実際にあの本を執筆したのはあなたのようだから是非お願いしたいと、先方はまったく引いてくれる気配がない。
  多忙な菊山さんに代わって、前書きを含め宇宙論全般に触れた同書の一章から五章までを執筆したのは確かに私だし、国際宇宙ステーション等の具体的な宇宙開発について述べた六章と七章も、菊山さんの新聞原稿や講演録を私が整理し再文章化したものだ。だが、いったいどうしてそんなことまでわかったのだろう。以前に、「高ボッチ山頂にて」という一文を本欄に寄稿したとき、ちょっとだけそれらしいことを述べはしたかなあと思っていると、なんと、松延さんが電話の向こうで、「あの時の文章に魅せられて、私は高ボッチ山まで行ってみたんですよ」とおっしゃるではないか。とても人様に感動していただけるような文章ではなかったのだが、そこまで言われるともう逃げ出すわけにもいかなくなってしまった。
  当日は時間にはずいぶんと余裕をもって自宅を出発したのだが、途中予想外の大渋滞に遭遇し、講演会場のセンター駐車場に着いたのは講演開始予定時刻のわずか十五分前という有様だった。所長室に通され、とりあえず山内洋行所長と簡単な挨拶を交わしたが、実に温厚で柔軟なお人柄の方だった。茨城県教育研修センター所長という肩書きからして、台上に聳え立つブロンズ像みたいな方であってもおかしくないとも想像していたのだが、それは私の取り越し苦労に過ぎなかった。考えてみれば、私のような不良中年暴走族(このぶんだと、いずれは不良「老年」暴走族になってしまうことだろう)をセンター職員研修講師に招こうというのだから、相当型破りで度量の大きな方には違いない。「遠慮なく、なんでも自由にしゃべってもらって構いません」という所長の一言で、私はすっかり気が楽になった。
  センター到着後十分ちょうどで私は講演会場の壇上に立つことになった。およそ一年ぶりのスーツにネクタイ姿とあって、スーツやネクタイのほうが面食らってオロオロしている感じだった。当日の講演に先立って、「文学論的宇宙論講座」という講演テーマと講演概要についてA4版で八ページほどの図版入りレジメントをあらかじめ送付してあったので、とりあえずはそれをベースにして話を進めることになった。
  講演の冒頭において、私自身は宇宙論の専門家ではないので、言うなればパウロ的立場で、それも極めて伝道能力の劣る贋パウロ的立場で話をさせてもらうことになるという主旨のことを述べた。しょっぱなから逃げ口上をうったなと言われればそれまでだが、そう切り出したのには実はそれなりの理由があった。宗教の世界ばかりでなく、宇宙論をはじめとする各種先端科学の世界にも、キリスト(教祖)的役割を担う人々とパウロ(伝道師)的役割を担う人々とが必要だと常々私は感じてきた。知人の京都大学教育学部子安増生教授などのように、ずっと以前から、すべての学問にはキリスト役とパウロ役が必要だと提唱し続けてきた人もあるくらいである。
  全身全霊を傾けて深遠な教義を生み出す教祖とその教義をわかりやすく人々に説く伝道師が宗教にとって必要なように、科学界においても、独創的な先端研究に全力を傾ける教祖的研究者と、先端研究の成果をわかりやすく一般の人々に伝える優れた伝道師的科学解説者(サイエンスライター等)の両方が必要なことは言うまでもない。
  教祖にあたる人物が伝道の仕事も的確にこなせれば理想的ではあるのだが、現実にはそれはほとんど不可能に近い。時間的制約もあるうえに、自らの研究データを基に専門的言語(数式や各種記号等の科学記述言語)を用いて理論を構築する能力と、巧みな比喩を用いたりしてその論理の概要を一般言語でわかりやすく伝える能力とはもともとべつのものだからだ。アインシュタンやホーキングの書いた相対性理論や宇宙論の解説書の意味するところが結局のところ一般人にはよくわからないのは、理論そのものの難解さにくわえて、もうひとつそのような事情があるからにほかならない。
  ただ、科学界にもパウロ的役割が必要であるとはいっても、これまたそう容易なことではないのである。その役割を務めるには、ある程度まで先端科学理論の専門的記述を理解したり外国語文献を含む関連資料を読みこなす能力のほか、広汎な科学哲学的素養と日常的言語による一定レベル以上の明快かつ的確な文章表現能力をそなえていることが前提となる。
  研究者が象牙の塔にこもっておればよい時代は終わり、大学や各種研究機関と、産業界さらには一般大衆との協力関係が不可欠となったこの時代、科学の世界におけるパウロ的人材の確保は急務なのではないかと思われる。欧米では昔から優れたサイエンス・ライターはそれなりの社会的評価と待遇を受けてきたが、我が国においてはその道の直接の専門家ではないということで、サイエンス・ライターは独立した職業として高く評価されることはほとんどなかった。唯一例外があるとすれば、立花隆氏くらいのものではなかろうか。しかも、立花氏の場合はサイエンス・ライターとしての活動は同氏の仕事の一部に過ぎないし、他分野での優れた業績とその知名度との関係もあって科学ジャンルでの仕事も高く評価されているという経緯もある。
  私個人としては、これから先、一部の大学などには、科学の世界のパウロ、すなわち有能なサイエンス・ライターや科学解説者を養成する学科などを設立すべきではないかとさえ考えている。そこで養成された人材は、たとえサイエンス・ライターなどにならなくても、大学や企業の各種研究機関の広報担当者や対外的な渉外担当者として重要な役割を果たすことができるだろう。
  以前から東大や国際キリスト教大といったごく一部の大学には教養学部(一般教養過程の教科を学ぶという意味での教養学部ではなく、学際的な総合能力をもつ人材を育成する専門学部のことである)が設けられている。教養学部出身者には科学界の伝道師を務めるに格好の人材も少なくはないのだろうが、我が国ではそんな学部の存在意義すらこれまでほとんど理解されてこなかったようである。
  フリーランスに転じてこのかた、様々な一般向けの科学書や科学記事の原稿執筆にも携わってきたし、科学に関する講演などもいろいろとこなしてきたが、そんな折には、無能であっても、せめて四流五流の伝道師もどきくらいの仕事はしたいものだと心がけてきた。逆にいえば、科学関係の世界においていまの私にできるのはその程度のことしかないというわけでもあったのだ。
 
  パウロ談議が長くなってしまったが、そんなスタンスをとる理由を説明したあと、私は続いて「なぜ宇宙論は難解なのか?」という話をした。宇宙論という陽画の世界の背後には、その前提となる科学記述言語(各種数式や科学記号類)や認識論の根底的定義に関わる陰画の世界が隠されている。その陰画の世界の一端でも垣間見ることができるならば、すくなくとも宇宙論が難解な理由だけは納得してもらえる。宇宙論の記述には怪奇面妖な数式を用いざるをえないこと、日常言語でそれを記述したり語ったりするにはおのずから限界が伴なうことなどもいくらかはわかってもらえるかもしれない。まあ、そんなようなことを考えたからだった。
「宇宙の不思議がわかる本」などという本の筆を執った当人が、講演の冒頭で「なぜ宇宙論は難解なのか?」などという話をするなんて本末顛倒も甚だしいかぎりだが、同書にそのようなタイトルがつけられたのは、「わかる本」シリーズを刊行している出版社サイドの意向によるものである。本来なら「宇宙の不思議を考える本」とか「宇宙の不思議に迫る本」くらいにしておくべきところではあるのだろう。
  詳細は省略するが、アインシュタインに一般相対性理論の展開を可能ならしめた非ユークリッド幾何学(リーマン幾何学)の定義の異質性や、人間の認識尺度と自然界の法則との相関性にまつわる解決不可能な問題の存在、さらにはその理由などについて話をした。そして、いかなる自然科学の法則も宇宙における客観的かつ絶対的存在ではありえないということ、宇宙論とは、結局、文学と同様に人間の認識を暗黙の前提とした一種の宇宙描写(科学言語によって宇宙を詠んだ前衛詩)であることなどを述べた。
  また、大宇宙における人類の位置付けとして、「人間とは歪んだ、そして曇った鏡かもしれない。しかし、それはまた、宇宙が自らを映し見るための掛け替えのない鏡のひとつにほかならない。宇宙のドラマがどんなに壮麗かつ深遠をきわめていようとも、そのドラマを認識しそれに感動する存在がないならば、そこには漆黒の闇と永遠の無とが広がっているばかりである」という、いくぶん実存主義がかった人間肯定論を述べたりもした。
  続いて、太陽を直径1mmの円「。」だと仮定すると、その中心から水星までが4,15cm、金星までが7.77cm、地球までが10.7cm、火星までが16.4cm、木星までが55.9cm、土星までが102.6cm、天王星までが206.5cm、海王星までが323.6cm、最遠の冥王星までが452cmということになり、その場合、太陽系のおよその直径は900cmになるという説明をした。そしてそのあと、この計算でいくと約10万光年といわれる我々の銀河系の直径はどのくらいになるだろうかという質問をしてみた。
  ちなみに述べておくと、この答えは68万kmである。太陽の直径は地球の直径の108倍だから、もしも地球が「。」の大きさであるとすると、銀河系の直径は7344万kmということになる。銀河系の中心部の厚さは2万5千光年ほどだといわれるから、こちらのほうは1836万kmに相当している。途方もない銀河系の大きさをある程度は想像していただけることだろ。銀河系一個でこの有様だから、銀河が数千億個も存在するというこの宇宙の大きさは想像に余るというほかない。
  このあと話は、時空4次元の歪みのイメージのしかた、カール・シュバルツシルト半径とブラックホールの意味、フリードマンの宇宙モデル、ハッブルの法則と宇宙の膨張、ダークマターやグレイトアトラクタ問題、2.7°K宇宙背景放射とビッグバンとの関係などといった具合に展開した。さらに、宇宙は無から誕生したとするアレキサンダー・ビレンキンの量子論仮説やスティーブン・ホーキングの無境界宇宙論などの原初宇宙の誕生に関わる理論、真空エネルギーの相転移という概念で宇宙膨張のメカニズムを説く佐藤勝彦やグースらのインフレーション理論について一通り触れた。
  そして、最後をコーネル大のフランク・ドレイクらによってはじめられたSETI(The Search for Extraterrestrial Intelligence、地球外知的生命体探査計画)の話で結んだ。現在では多くの天文学者や宇宙物理学者が、人類以外の知的生命体の存在を信じているといわれている。その推定値をにわかに信じるわけにはいかないが、ドレイクなどはこの銀河系だけでも約三百の知的文明が存在すると考えているくらいである。
  講演に先立っての私の最大の心配事は、下手な話が受講者の方々の格好の睡眠剤になってしまうのではないかということであった。だが、幸いなことに、睡眠を楽しんでおられる方々はごくわずかのようだった。もしかしたら、無理をして瞼を開いていた方が多数あったのかもしれないが、そこは図々しく開き直って楽観主義的判断に徹することにした。
  まあそこまではよかったのだが、最後に壇上に立った山内洋行所長の詩の朗読に不意を突かれ、私は顔を赤らめひたすら狼狽するばかりであった。「渚」というその一篇の詩はすでに絶版となっている拙著の最終章におさめられた自作の詩だったからである。どうやら図書館かどこかであらかじめ調べおかれたものらしい。
  なんとか大役を果たし終え東京へ戻ったのであるが、後日、松延さんと山内所長のお二人からあらためてお礼状を頂戴した。私を呼んだ直接の責任者である松延さんに御迷惑をかけてしまったのではと危惧していたのだが、結果的にはたいへん好評だったとかで(ほんとうは大不評だったのかもしれないけれど)、とりあえずは胸を撫で下ろした次第だった。
  この際、恥をかきついでに、問題の「渚」という詩をご紹介しておこう。もう十年以上前に綴った私の詩作品のひとつである。うまい詩とはとても言えないしろものだが、私なりに深い想いこめ、二重三重の含みを秘めて詠んだものには間違いない。それをどう感じ、どう読み解いてくださるかは皆さんにお任せするしかない。


           渚

たしかこの渚をこころもとない足取りで歩いたような気がします
そう……まだ幼かった頃です もう遠い昔のことです
砂に足をとられながら 寄せる波に小さな靴を濡らしながら……

さがしていました ながいあいだ この渚を……
そのときあなたはひとり坐っていました
すぐ近寄れそうで それでいてどうしても近寄れないところに

歩き疲れて砂の上で眠ったような気がします
ふと気がつくともう夕暮れでした
遠い海面が赤紫に輝いていました
はっとしてあたりを見回すと 渚と垂直に二筋の足跡がつづき
海の中へと消えていました

その日が最後でした あなたの姿を目にしたのは
あれからずいぶんとさがしました 遠い記憶のこの渚を……
砂と波と夕陽が解いてくれるような気がしたからです
わたしという この小さな存在の方程式を……

解けなかったのですね あなたにも
あなたはわざと 解のない方程式を渡したのですね
この浜辺で 幼かったわたしに
解けないことも 解く必要もないことも知りながら

おかげでわたしは生きてきました
小さな謎をいつもどこかで気にかけながら
わたしもまた渡すべきなのでしょうか
わたしもまた残すべきなのでしょうか
解けないとわかっている存在の方程式を……
生命という名の赤いビーズを無数につなぐ
目に見えない細く長い糸として……



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