「マセマティック放浪記」 2001年12月5日
Mathematics Odyssey December 5, 2001
雉酒プロジェクト

  良質の雉肉の長期冷凍保存と年間安定供給の問題は一応の解決をみたが、いまひとつ解決しなければならない問題があった。雉肉の販路拡大に欠かせないその調理法と賞味法の研究開発である。一般によく知られているのは雉鍋で、それはそれでなかなかの味なのだが、鍋にするだけではあまりにも工夫がなさすぎる。
  我が家でも届けられた雉を添付のレシピ通りに鍋にして食べてみたが、煮詰めるほどに、香りも味も抜群のなんともコクのあるスープが得られ(雉汁ラーメンなどをつくったらさぞかし美味いことだろう)、贅沢なことこのうえなかった。だが、そのいっぽうで、せっかくの雉肉なのだから、雉ならではの繊細な味わいを存分に楽しめる特別な調理法があってもおかしくないという思いもした。
  古来、皇室などでは雉料理が伝承されてきているという話などもあるなかで、三嶋さんらはいろいろと料理に関する過去の文献を漁ってみたらしいが、こと雉料理に関しては、これはという資料や記事は見つからなかったようである。そこで何人かの料理研究家にも尋ねてみたが、やはり決定的な解答は得られなかった。もともと野生の雉は捕獲が難しく、容易に入手できるようなものではなかったので、調理法の伝承も途絶えがちになってしまったのかもしれない。
  三嶋さんのお宅のすぐ近くには、エッセイストで、料理研究家としても著名な本間千枝子さんが住んでおられる。本間家と三嶋家との親交は長年にわたっており、本間さんと三嶋さんとはお互い気心の知れた間柄である。また、三嶋さんの奥さんも以前から料理研究家の前田侑子さんの助手を務めたりしている料理のプロである。そんなことなどもあって、三嶋さんの周辺では雉肉の美味しい調理法の研究が始まった。いろいろと工夫が重ねられ、塩釜、蒸し焼きなどをはじめとする、雉肉の美味さを最大に活かすいくつかの料理法なども考案された。
  そんななかで突如浮かび上がってきたのが、現在では幻の存在と化した「雉酒」なるシロモノなのだった。平安時代から現代にいたるまで宮中では毎年元日の朝に雉酒が供される慣わしになっているという記録もあるし、昭和に入ってからも、ごく一部の事情通の好事家らによって密かに雉酒が珍重されてきたらしいこともわかってきた。だが、困ったことに、いくら調べても雉酒なるものの造り方がいまひとつはっきりしなかった。
  雉酒はやはり幻のままで終わるのかと諦めかけた折も折、貴重な手掛かりを与えてくれる文献がついに発見されたのだった。三嶋さんがずいぶんと時間をかけて検索し、苦労して入手したその文献とは小林勇(一九〇三〜一九八一)の筆になる「雉酒」という題名の随筆だった。小林勇は岩波書店の発展に尽くし、幸田露伴や斎藤茂吉らをはじめとする多くの作家や学者の著作を世に送り出した人物である。こよなく酒を愛した小林は、洒脱な文章で知られる随筆家としても名高い。
  その随筆「雉酒」の中で、小林は、――当時の理化学研究所長の大河内正敏、その弟で画家の大河内信敬、作家の幸田露伴、物理学者で作家の寺田寅彦、それに筆者自身の五人が集まって昭和初期のある冬の夜に酒宴を開いた。その時、「お雉さま」と呼ばれ、正月に宮中の儀式で用いられるという珍しい酒が出された。それは、雉の手羽肉や腿肉、胸肉などを薄く切ってこんがり焼き、ほどよく焼き上がった肉を酒器に入れて上からお燗した熱い酒を注ぐというものだった。酒が飲み頃になるまでに、雉肉から滲み出た高貴な香りや成分が酒と融合して、なんともいえない美しい色合いになった。鰭(ヒレ)酒、海鼠腸(コノワタ)酒などに較べればはるかにうまく、上等で、露伴は雉酒を五杯、日頃酒をほとんど飲まない寅彦もおかわりをした。それに味を占めた小林らは、中央気象台の岡田武松、藤原咲平の科学者二人をも巻き込んで幾度も雉酒を楽しんだ――といったようなことを述べている。
  事が動く時とはえてしてそういうもののようで、「よーしっ、これだ!」と意気込んでいた三嶋さんのところに、いまひとつ思いがけない朗報がもたらされた。雉料理のレシピづくりで指導を仰いでいる本間千枝子さんから、昔お父さんがよく雉酒を嗜んでおられ、雉酒を飲む時に用いられた酒器もそのまま残っている、という願ってもない情報が転がり込んできたのである。 
  本間千枝子さんによれば、雉酒は父君自慢のコンコクション(調整物混合飲料)だったのだそうで、つくりかたもそう難しくないという。雉の笹身を薄く三枚くらいに削ぎおろし、上質の塩をごく微量ほどこしてから炭火で炙り焼く。そして、それを 四十五度くらいの燗酒の中にジュッとつけ、五、六分待ってから飲むのだそうだ。父君のご存命中に本間さん自身も数回だけ味わったことがあるそうで、その美味しさはなんとも形容し難いとのことだった。
  前述した小林勇の随筆中に見られる雉酒と、むかし銀座にあった粋な小料理屋の主人直伝なのではないかという本間さんの父君ご自慢の雉酒とは少々処方が異なってはいたが、ここまで判ればあとは実験あるのみだった。三嶋さんらがさっそく雉酒つくりに挑んだことはいうまでもない。多少の試行錯誤はあったようだが、結果は大成功であった。前者の雉酒には独特の野趣と深みがあり、後者の雉酒には比類なき上品さと厳かさがあって甲乙つけがたいが、その高貴な香りと美味さは双方に共通のものであることも判明した。しかも、この雉酒には、多飲しても二日酔いにならないというおまけまでついていた。
  かくして甦った幻の酒、「雉酒」の美味さに三嶋さんらは確信をもったが、自画自讃になってもいけないというわけで、慎重のうえにも慎重を期することにした。そして、本間千枝子さんの少なからぬ計らいのもと、帝国ホテルで開かれた利き酒の会に登場した雉酒は、味にうるさいその道のプロたちからも絶大な評価を受けるところとなったのだった。
  雉酒の再現に成功した三嶋さんらは、そこでとどまらず、さらにもうひと工夫試みてみることにした。雉酒をつくるには、むろん、冷凍した雉肉を一羽分まるごと購入し、それを自分で調理して用いるのが最善だが、当然それなりに手間も費用もかかってしまう。そこで、より手軽に雉酒を楽しんでもらえるように、あらかじめ雉エキスだけを抽出しておき、それを燗酒や冷酒とほどよく調合するようにしたらどうだろうと考えた。それが成功を収めれば新商品として売り出すこともできるし、広見町の雉プロジェクトも一大展開が可能になるというわけでもあったった。
  三嶋さんらはいろいろと研究を重ねたすえに独自の抽出法を考案し、雉肉の旨味成分を抽出した上質の雉エキスをつくることに成功した。そして、日本食品分析センターに依頼し、その雉エキスの含有アミノ酸の分析をしてもらうと、なんと十八種類ものアミノ酸が大量に含まれていることが明かになったのである。雉酒が抜群に美味く、しかも身体によい秘密が、それら十八種のアミノ酸にあったことはいうまでもない。
  実際に抽出した雉エキスを清酒と調合して試飲してみると、直接に雉肉を用いた場合に較べてもそんなには遜色ない味と香りとを楽しめることも判明した。ごく最近になって問題の雉エキスは「雉酒の素」として、愛媛県広見町とその協力企業の雉酒本舗とによって商品化され、徐々にだが市販されはじめているようだ。
  広見町産の高麗雉の笹身と胸肉から抽出される上質の雉エキスからなる「雉酒の素」には燗酒用と冷酒用の二種類がある。燗酒用は清酒と雉酒の素を9:1の割合で、また冷酒用は清酒と雉酒の素を3:1の割合で調合して飲むのだが、それぞれに味わい深いものがあるという。もちろん、燗酒で味わうのが雉酒本来のありかただから、正統性にこだわるか方などは燗酒用を試されるほうがよいだろう。ついでに述べておくと、雉酒用の清酒には純米酒の中口を用いるのが最善であるらしい。高級吟醸酒などを用いたりすると、中に含まれる香料その他が逆効果をもたらし、せっかくの雉エキスの高貴な香りや味がかき消されてしまうことにもなりかねないからだそうだ。
  内親王様のご誕生以来、国内には慶賀ムードが広がっているが、この際、酒に目のない方々は、そんな祝賀ムードに便乗して伝説の雉酒で祝杯をなどというのは如何なものだろう。本物の雉肉を用いて本格的な雉酒で祝杯をという方は、広見町物産展示販売施設「森の三角ぼうし(http://sankaku-boushi.com)」に、また、手軽に雉酒の素で一杯という方は、「雉酒本舗(http://www.kijizake.com/)」にアクセスし、雉酒関連情報を入手されたらよいだろう。



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