「マセマティック放浪記」 2001年11月28日
Mathematics Odyssey November 28, 2001
広見町の雉戦略なるか?

 愛媛県広見町は、清流で名高い四万十川源流域の一角に位置している。リアス式海岸や、その地形を利用した真鯛の養殖などで知られる宇和島市のすこし東にあたっており、藩政時代までは奥州伊達家の流れを汲む宇和島藩に属していた。この地には、古式豊かな伊予神楽や鬼北文楽、五つ鹿踊りなどといった民俗文化上重要な古典芸能も残されている。最近、広見町農業公社の新施設建造に際し、先史時代の貴重な遺跡が発見されたりもしたようだ。もちろん、近年大問題になったような捏造遺跡などではない。
  たいへんユニークなこの広見町を以前に一度訪ねたことがあるのだが(その時の探訪記は2000年10月11日〜2000年11月01日のバックナンバー参照)、その際にちょっとだけ話題にのぼった「雉プロジェクト」のその後の展開が気にはなっていた。高麗雉(日本雉は鳥獣保護法の制約があって養殖には使えないのだそうだ)の養殖を町内で大々的におこない、それらをうまく流通ルートにのせたい、そして、できれば「雉の広見町」というイメージを全国的に広げたいという一風変わったプロジェクトで、最近、近代的な雉の加工処理場なども試験稼動し始めたと聞いていた。
  特殊冷凍技術とオペレーション・リサーチの専門家としてこのプロジェクトの顧問をしている知人の三嶋さんに、昨今の状況について尋ねてみたところ、実は「雉酒プロジェクト」という異色商品開発計画が進展中なのだとのことだった。そもそも「雉酒」とはいかなるシロモノなのか?――下戸のくせに好奇心だけは人一倍旺盛な私は、なにやら得体の知れないその正体を探索してみようと思い立った。
  もしも、そのシロモノが、文字通りの「珍品」であるなら、世のアルコール党にとってこれほどの朗報はないだろう。このコラムの相棒の永井明ドクターなどは泣いて喜ぶに違いない。それに、広見町の皆さんには先の訪問で何かとお世話にもなったことゆえ、この際、雉酒プロジェクトなるものの紹介に一役買っておくのも悪くない。まあそんなようなわけで、先方の迷惑など顧みず一年ぶりに広見町へと旅立った。
  もちろん、今回も先達の三嶋さんが一緒だったが、先達とはいっても、この人はナビゲータとしても交代ドライバーとしてもまったく役に立たない。ところが、アルコール・ワールドの関連事となった途端に途方もない能力を発揮するときているから、人間とはなんとも不思議なものである。広見町の雉プロジェクト顧問として「雉酒プロジェクト」なるものを考え出したのも、むろんこの人にほかならない。広見町や同町に協力する民間企業にとって問題のプロジェクトが吉とでるか凶とでるかはべつとして、「雉酒」という着想自体はなかなかのものであるように思われた。
  広見町ではすでに先導試行として相当数の雉の養殖がおこなわれており、まるごと冷凍加工されたものが既に一部販売ルートにのせられたりもしている。詳しい話は省略するが(興味のある方は2000年11月01日のバックナンバー「広見町新規事業探訪記」を参照してください)、雉プロジェクトのおおまかな流れは次ぎのようなものである。
  町営の雛鳥孵化育成施設で雉の卵を人工孵化し、孵化した雛を育雛場で一ヶ月ほど育てる。それらの雛は町内の養殖希望の農家に譲られ、各農家で成鳥になるまで育てられる。そして成鳥を再び町が買い戻す。雛の譲渡価格と町の成鳥買取価格との差額が農家の利益となるのはいうまでもない。広見町のほうは買い戻した雉を町営の加工処理場で商品化し、いくらかの値段を上乗せして販売ルートに流すというわけだ。将来一定量の雉肉が流通するようになればそれなりに採算は合うらしいのだが、本格的にプロジェクトが動き出してからまだ間もない現在は、関係者にとってもっぱら正念場というところであるらしい。
  そもそも、この雉プロジェクトにはクリアしなければならない難題が二つ存在していた。そのひとつは特殊な性質をもつ雉肉の冷凍処理技術上の問題、いまひとつは雉料理の調理技術を含めた雉肉のもっとも上手な賞味法の研究開発だった。流通量がそう多くない雉の場合、どうしても鶏などに較べて一羽あたりの販売価格が割高にならざるをえない。処理した雉の鮮度と味を保ち、いっぽうでその割高感を克服していくには、それら二つの難問を解消する必要があった。
  広見町の雉プロジェクト顧問としてその問題の解決に取り組んだ三嶋さんは、地場産業の関係者を対象に広見町農業公社で開かれた講演会でその研究成果を報告したが、なかなかにその話は面白かった。
  有名機械メーカーや大学の研究室がらみで長年冷凍技術の研究に携わった三嶋さんの話だと、食用畜類、魚類、食鳥類などの肉というものは長期冷凍保存が大変困難であるらしい。冷凍処理をほどこすと、凍結時に細胞内の水分が膨張するため細胞そのものをすくなからず破壊してしまう。しかも、生じた氷の微結晶どうしが次々に結合しより大きな結晶に成長するので、いっそう細胞破壊が進んでしまう。そのため、解凍時に旨味成分をはじめとする細胞内の諸成分がドリップ(旨味成分を含む多量の水滴)となって流出し、味も鮮度も大きく落ちてしまうのだそうだ。とくに、食鳥類の凍結品で解凍時にドリップの出ない商品の存在は、これまで我が国では確認されていないという。
  雉肉は鶏肉などと違って、最高に味がよくなる期間が一年のうちの一、二ヶ月に限られる。だから、味のよい雉肉を年間を通して流通させるには冷凍による長期保存が欠かせない。そうなると、ドリップを極力抑える冷凍技術の確立は避けて通れない問題であった。しかも、それにくわえて、雉肉の冷凍に関してはいまひとつ解決を要する難問があった。
  雉肉は処理後すぐに食べるより、二日ほど熟成させてから食べたほうが美味しいことは昔から知られていた。そこで、旨味の主成分であるイノシン酸等の増減状態を科学的に分析してみると、やはり処理後四十八時間ほど経過したところが熟成のピークになる、すなわち、その時点で雉肉内に含まれるイノシン酸その他の旨味成分量が最大になることが確認された。
  そうだとすれば、処理後四十八時間ほど経過してから冷凍処理するのがベストだということになるのだが、熟成とは要するに徐々に腐乱することにほかならないから、そのぶん大腸菌類が増えることになってしまう。食品の衛生管理には厳しい法的規制が設けられているから、大腸菌類の数は厳格に基準値以下に抑え込まれなければならない。大腸菌の増殖を抑制するには処理直後に急速冷凍するにかぎるが、そうすると、味の落ちる未成熟の雉肉になってしまう。
  技術的観点からするとなんとも厄介な問題ではあったが、三嶋さんらは、まず、成熟進行度と周辺温度との関係、大腸菌の増殖度と周辺温度との関係を詳細に調べてみた。またそのいっぽうで、近年ほとんど顧みられることのなくなっていた液体凍結法という冷凍法に再着目し、いろいろと予備実験を重ねてみた。そして、その結果、ようやく難題解決に漕ぎつけたというのである。
  雉肉の熟成を極力進めるいっぽうで大腸菌の増殖を可能な限り抑えるには、雉の処理後、摂氏八度の定温のもとで四十八時間ねかせておくのが最適であると判明した。また、解凍時のドリップを最小限に抑えるには、そのあとマイナス三十度からマイナス三十五度のエタノール液槽に雉を浸し急速凍結させるのが最良であることもわかってきた。
  ほとんどの冷凍加工工程では、現在、エアフラスト法による瞬間冷凍が主流となっている。気体を用いたこの方法は、熱交換率が小さいために、対象物の表面だけを凍結させるにはよいけれど、対象物の深奥部までを短時間で凍結させることは難しい。この方法で対象物の内奥部までを凍結させようとすると、長時間を要するうえに、発生した氷の微結晶が結合肥大化を繰り返し、どんどん細胞破壊を進めてしまうという。だからといって表面だけを冷凍したのでは、内奥部の鮮度低下は避けられない。
  ところが、エタノールを用いた液体凍結法の場合、冷媒の熱交換率が大きいため、対象物の内奥部まで急速に低温凍結が進む。そのため、内部の鮮度も保たれるばかりでなく、細胞内に生じる氷も微小結晶のままにとどまり、細胞破壊も最小限ですむという。実験結果をまとめたデータを見てみても、まったく問題ないレベルにまでドリップの発生は抑えられている。
  エアフラスト法と液体凍結法による凍結曲線を比較してみると、凍結速度の差は一目瞭然といってよい。液体凍結法の場合、冷凍サンプルの中心部温度が零度前後からマイナス十三度まで下がるのに三十分しか要しないのに対し、現在主流のエアフラスト法では、零度からマイナス一、二度のままの状態が約三時間も続き、そこから四十分ほどかかってようやくマイナス十三度ほどに下がっている。エアフラスト法の場合、サンプルの中心部がマイナス十三度になるまでに三時間四十分もかかっていることになるわけだ。
  面白いことに、液体凍結法を用いると大腸菌類の数までが冷凍開始時よりも減少することもわかってきた。もちろん、冷凍対象物を直接に冷凍液に浸すのではなく、冷媒に触れぬように真空パックして浸すわけだから、エタノールの殺菌作用によるものではなさそうだ。そのメカニズムはいまひとつはっきりとしないらしいのだが、温度低下が急激なため、大腸菌が細胞膜を通してあらかじめ水分を放出し凍結膨張に備える時間がないためだろうと推測されているようだ。水分が一挙に凍結膨張して細胞膜を破壊し、その結果大腸菌が死んでしまうのではないかというわけだ。
  三嶋さんらは、この液体凍結法を用いて先行予備実験をおこない、処理した雉を理想的な状態で約十ヶ月間長期冷凍保存することに成功した。こうしてようやく、広見町に「雉肉処理用プラント・ライン」を建設、ノンドリップで旨味成分を最大限に保った雉肉を安定的に通年供給できる見通しが立ったのだった。この液体凍結法を用いた専用凍結機が完成すれば、雉肉ばかりでなく、鶏肉や牛肉、豚肉、魚肉などのノンドリップ長期凍結保存にも威力を発揮することは間違いなかった。冷媒にエタノールを使うため、他の凍結法に較べてランニングコストが低くてすむことも大きな利点だった。
 
  三嶋さんらがおこなった予備実験のデータをもとに、エタノールを冷媒とする高性能の液体急速凍結機の開発に挑んだのは、神奈川県小田原市の中谷商工という機器メーカーだった。神奈川県小田原市に本拠をおくこの中谷商工グループは極めて高い工業用機器製造技術とすぐれた製品開発能力をもっている。各種の特殊機械や精密機器の製作に携わるほか、国内のCD原盤生産において他社の追随を許さぬ圧倒的シェアを誇っていることでも知られている。遠赤外線と共振する特殊セラミックを素材にし、安眠マットやドライブシートなどのような独創的な商品の研究開発にも余念がない。
  実験データは一応出揃ったとはいっても、それらをもとに実用に耐える機械を製作するのは容易でない。たとえば、冷媒となる大量のエタノール液を一定の低温に保ち、熱交換を安定的におこなう工程を実現するだけでも大変なことなのだ。そのほかに衛生管理上の厳格な条件を満たしながら冷凍対象品を効率的に凍結処理する工夫なども必要だし、冷凍処理工場のライン全体との関係なども考慮しなければならない。しかし、中谷商工の開発技術者はほぼ理想通りの液体急速冷凍機を完成することに成功した。
  完成した第一号機は広見町に新設された雉加工処理工場に納入された。私もこの工場を見学させてもらったが、屠鳥室、解体室、熟成室、クリーンルーム、凍結庫からなる当該施設はきわめて近代的なもので、しかも、厳格な衛生管理基準を十分に満たす構造になっている。なかでも、分類解体、殺菌、真空包装、予備冷却、急速凍結をおこなうクリーンルームには、他に類例を見ないほどに厳しい衛生管理体制が敷かれている。広見町に納入された第一号液体急速凍結機がこのクリーンルームにおさめられているのは言うまでもない。
  いまひとつ小型の液体凍結実験機も広見町に納入されていたが、こちらのほうはすりおろした山芋の長期保存処理に試用されているらしい。この凍結機を使ってすりおろした山芋を凍結保存しておくと、解凍した場合でも、味と粘り気はほとんど損なわれることがないとのことである。
  我が国の観光用大型客船「あすか」への調理用真鯛の納入を一手に引き受けているのは、一度私も訪ねたことのある秀長水産という宇和島の大手水産業者だが、この業者が「あすか」へ出荷する真鯛は、やはり液体急速凍結機によって凍結保存されたものであるという。「あすか」のシェフが、各業者の納入した真鯛を慎重に試食し、秀長水産の真鯛を選んだからだなのだそうだが、その秀長に液体凍結技術を紹介指導したのも三嶋洋さんである。



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