「マセマティック放浪記」 2001年11月7日
Mathematics Odyssey November 7, 2001
テロ対策特別措置法におもう

  テロ対策特別措置法が衆参両院を通過し、アフガニスタンやパキスタンに展開する米軍を支援するという名目で、海外への自衛隊派遣が現実のものになろうとしている。大規模テロを封じ込めるために我が国も国際的な協力を惜しんではならないということのようだが、自衛隊派遣がアフガニスタン領内のテログループ撲滅やアフガニスタン難民救済に実質的に役立つかどうかの判断より、この絶好の機会を利用し、自衛隊の存在を国威発揚に結びつけようとする一部の人々の執念のようなものだけが先行しているように感じられてならない。個人的な情報筋から耳にしたかぎりでも、今回のテロ対策特別法案成立までの過程においては、首相を直接に囲む内閣官房関係者より、実際に自衛隊を統括する防衛庁幹部のほうがはるかに慎重かつ冷静であったようである。
  さすがに顰蹙(ひんしゅく)をかったようではあるが、このように重要な法律の成立と引き換えに自党勢力の拡大を図ろうという、あまりにも見え透いた政治的動きがあったことなどは、なんとも情けないかぎりであった。一般国民がどう思おうと、現実の政治に関わる者にはそれなりの抜き差しならぬ事情があるし、政治というものはもともとそういうものだというのが当事者の本音なのかもしれない。だが、政治家が自己保身を顕わにしてそこまで開き直るというなら、我々国民にもそれなりの対応をする覚悟が必要となってくるだろう。
  湾岸戦争において金銭的支援のみをおこない人的貢献をしなかった日本は、まっとうな国際的評価を得られず、そのゆえにすくなからぬ屈辱を味わったということである。しかし、そもそもどこの国の誰がどのようなかたちと意図をもって日本をそのように低く評価したのか、また、そのために国内の誰が具体的にどのような屈辱を感じたのかということになると、いまだもって何一つ釈然とはしていない。
  すくなくとも、私の周辺には湾岸戦争後の国際的評価の低さによって実際に屈辱感を味わったという人がほとんど見当たらないところをみると、屈辱感に襲われたのは、大多数の一般国民ではなく、行政にかかわる一部の国会議員や外交関係者たちだったということになるのだろう。端的に言ってしまえば、国際的に評価されなかったということではなく、米国およびその友好国の一部に評価されなかったということなのだろうが、一兆円以上の金銭的支援をし、米軍に後方支援基地を提供しておきながら、その意義と負担の大きさについて国際社会に何ひとつアピールもしてこなかった行政責任者、とりわけ外交関係者の無能さぶりも非難されてしかるべきだろう。
  まだテロ対策特別措置法が法案段階にあったときのことだが、あるテレビ番組に出演していた小泉首相対し、視聴者から「もしも首相自身のお子さんがパキスタンやアフガニスタンに行かなければならなくなったとすれば、親としてどう思うだろうか?」という主旨の質問がなされた。この問いかけに対し、首相はまともには応じなかったばかりでなく、「そんな質問は次元が低い。そもそも実際に現地に出向くのは自衛隊員であり、かれらは入隊時に、任務とあれば生命に危険が及ぶようなところへも出向くという宣誓をしたうえで隊員になっている」という、いささか論点のずれた返答をしていた。
  あえて好意的に解釈すれば、その時首相は、国家レベルの問題を考える為政者としての立場からすると、そのような個人レベルの仮想的質問はナンセンスだと考えざるえないと言いたかったのだろう。だが、首相をはじめとする国会議員諸氏がそれほど次元の高い理念を持ち、国会審議に臨んでいるなどとは到底思われない。野次、冷笑、不真面目このうえない態度、閣僚や官僚の横柄な答弁、人間的温かさや良質のユーモアのかけらすらも感じられない攻撃的嘲笑、はじめから相手の意見など聞くつもりもない慇懃だが悪意と蔑視に満ちた言葉の数々と、どこに次元の高さなどあるかと言いたくなるのは、私だけではないだろう。
  私をはじめとする政治音痴の一般庶民は、なるほど次元の低い存在かもしれない。自分の身の回りのことしか考えることのできない卑小な人間なのかもしれない。しかし、いったん何らかの国難が生じたとき、危険を承知で実際に最前線に身を置きその難局に立ち向かうのは、たぶん国会議員自身や彼らの保護下にある一族の子息子女などではない。そのような非常時において毅然として艱難に立ち向かうのは、次元が低いと言われ、内心では議員諸氏からミーハー的だと蔑視されているかもしれない我々庶民、あるいはその家族や子どもたちなのだ。
  ことさらそのことを非難するつもりもないが、『日本女性「ファーストレディ」に贈る』という、歯の浮くような表紙の一文の下に堂々とサインを入れ、裏表紙に「ここに父のすべてがある」という子息の言葉を配し、中身が立ち読みできぬようにビニールで完全包装した写真集を買うのもほかならぬ庶民であることだけは、首相にも心しておいてもらわねばならないだろう。
  自衛隊員は入隊時に「任務とあれば生命に危険の及ぶようなところにも出向く」という誓約をしているとのことであるが、それは多分に形式的あるいは儀式的なものであって、個々の隊員それぞれが将来降りかかってくるかもしれない身の危険を真剣かつ具体的に考慮したうえで誓約したものではないだろう。誓約を云々するなら、ほかならぬ国会議員や国家官僚らもその就任に際しては公的責務をまっとうすると公約したり誓約したりしているはずだ。だが彼らのうちのいったいどれだけの者が誠意をもってその公約や誓約を守っていると言えるだろう。
  議員や官僚たちが、自らのことは棚にあげ、自衛隊員だけには入隊時の宣誓を厳守し、職務に忠実であることを要請するとするならば、身勝手も甚だしいとしか言いようがない。また百歩引いて、ある自衛隊員が誓約通りに行動することになんの躊躇いもないとしても、その両親や家族、恋人、友人らの抱く不安は想像以上のものであるに違いない。国際的な状況からして自衛隊の海外派遣がやむを得ないものであるとしても、もうすこし心ある発言や配慮が必要ではなかろうか。
  現在では状況はかなり違ってきているようだが、かつては、防衛大学の学生や陸海空の自衛隊員は、その多くを九州、東北、北海道などの地方出身者によって占められていた。経済的に恵まれない地方の出身で、能力もあり勉学意欲もある若者たちは、たとえそれが心の底から志望した道ではなかったとしても、自衛隊関係の学校への進学を選んだものなのだ。高校時代には既にすべての肉親を失い経済的にも困窮の極みにあった私なども、教師から防衛大学への進学を奨励されたりしたものだ。結果的には防衛大に進学はしなかったが、ちょっと状況が違っていたら、けっして勇ましくなんかない私のような者だって自衛官になっていたかもしれないのだ。
  私の知る範囲にかぎっても、自衛官あるいはその経験者には優れた人材がすくなくない。もともと能力のあるところにもって、ある種の使命感を抱きながら各種の研鑽を積んできているから、幹部級の自衛官ともなると二、三カ国語は自在に操ることができるし、自然科学や工学系の専門知識は言うに及ばず、法学、経済学、政治学、社会学、心理学といった社会科学系の分野に通じる者も数多い。しかも、幹部自衛官のかなりの者は、階級社会に属しているにもかかわらず、意外なくらいに柔軟で思想的にも自由であり、人間としては有力官庁の官僚たちなどよりよほど好感がもてるのだ。駐日々パーティーにの在武官として各国の日本大使館その他に勤務した経験のある者などは、みうつつをぬかしている無能な外交官連中よりも、相手国の文化行政その他の国情にずっと通じてもいるものだ。
  政府が真の意味で自衛官の存在意義を国民に認識させようと願うのなら、日の丸を掲げて彼らを海外に送り出すことに執心するまえにやるべきことがあるだろう。ごく自然なかたちで彼らのもつ能力を広く社会の発展に活用し、民間との文化実務両面での交流を深めていくような配慮を先になすべきなのだ。そのために必要とあれば、一時的に制服を脱いで活動することなども許されてしかるべきだろう。災害時の特別出動や演習風景の公開、そして今回のような日の丸の誇示を目的にした隊員の海外派遣だけによって、自衛隊に対する一般国民の広い支持を得ようとするのはどだい無理な話である。
  いささか唐突に思われるかもしれないが、勇ましい言葉を吐いてテロ対策特別措置法の成立に奔走し、日の丸を掲げた自衛隊の海外派遣を嬉々として煽りたてる与党国会議員諸氏にひとつだけ提案をしてみたい。十日でも二十日でもよかいから、まず勇気あるあなたがたが、パキスタンやアフガニスタンに出向き、民間のアフガニスタン難民支援活動に参加してもらいたい。もちろん、渡航費や滞在費くらいは自分で捻出してもらうしかないだろう。よもや飛行機に乗るのが怖いなどとは考えたりなさるまい。テレビなどで国会審議を見るかぎり、十日や二十日姿がなくても審議になんの支障もなさそうな議員などもあるようだから、そういった方々から優先的に出向くようにしてもらいたい。
  それが不可能だというのなら、パキスタンやアフガニスタンでのNPO活動やNGO活動に積極的に参加したり協力したりするように、一人でも二人でも自らの子息子女あるいは孫たちなどを説得するくらいのことはしてもらいたい。もしもそういったことが実現するなら、当該議員に対する国民の信頼は増すことだろうし、たとえその子息子女らが将来二世議員、三世議員になったとしても、その貴重な経験は彼らの政治活動の大きな支えになることだろう。将来の二世、三世議員を目指す自らの身内だけは安全なところに守り置き、他人だけを勇ましく煽りたてるというのでは筋が通らない。
  もちろん例外もあるのは承知だが、大衆を前にし、自信満々にコワモテな言動を見せる政治家や評論家というものを私はかねてからあまり信用していない。そのようなタイプの人物というものは表面的には何事にも果敢で意志も強そうに見えるのだが、裸の姿は意外なほどに脆弱で、真の危険を眼前にすると臆病な姿を露呈することがすくなくない。心理学的にみても、この種の人物は地位や権力への志向性がきわめて強い反面で、自分より権威ある者に対しては従順かつ無批判に振舞いがちなところがある。自分の行為が悪い結果を招いた場合など、早々に逃げをうち、その責任をとろうとしないのもこのタイプの人々の特徴であるようだ。今回のテロ対策特別措置法の早期成立を強く支持した国会議員や評論家の面々に、そんな影を帯びた人物がずいぶんと見受けられたことはいささか気になるところであった。
  前述したテレビ番組のキャスターが、最後に、「真の友とは、時によっては互いに苦言を呈し合うことのできる関係でもあるといわれるが、今後の状況次第では、アフガン問題について首相はブッシュ米大統領に自重を促すようなこともありうるか」という意味のことを問いかけたが、これに対しても首相は正面から答えようとしなかった。それが意図的なものだったのか、それとも長年のうちに身につけたこの人特有のスタンスのとりかたなのかは知らないが、言質をとられるのだけは避けたいという思いが感じられはした。いずれにしろ、過去の言動をみるかぎり、小泉首相は理詰め型の人物ではなさそうだ。
  たぶん、この首相は、様々な状況や局面を冷静かつ論理的に考察し政策上の結論を導き出すタイプの政治家ではなく、直観的あるいは感覚的にまず結論を出しておき、その結論を擁護するために理論や説得法を考え出す信条先行型の政治家なのだろう。このような政治家が行政の頂点に立つ場合、その直観的あるいは感覚的判断と選択が状況的にプラスの方向にはたらいておれば偉業をもなしうるだろうが、マイナスの方向にはたらくようだと危うさもまた大きいから、それなりの警戒は欠かせない。
  こうしてこの原稿を書き進めていると、こともあろうに、首相の母堂が逝去されたとの報道が飛び込んできた。およばずながら、一国民としてまずは御冥福をお祈り申し上げたい。このところ首相の表情がずいぶんと険しくなり、疲労の影が濃く浮き出ているのが気になっていたが、それというのも、多忙な国政上の心労にくわえて、母堂の病状への人知れぬ憂慮があってのことだったのかもしれない。首相就任当初の頃とは違って、このところちょっと冷笑的で怖いものさえ感じられる首相の言葉や表情に、一刻も早く人間的な温かみが甦ってくることを願ってやまない次第である。
  先の選挙で我々国民が首相に託したものは、テロ対策特別措置法の制定ではなく、行政及び構造改革の断固たる実践であったはずだ。先に結論ありきの断固たる小泉流で結構だし、また、そういった流儀でもなければ怪奇面妖な特権官僚群の跋扈するこの国の改革は不可能だろうから、是非とも初志を貫徹してもらいたものだと思う。



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