「マセマティック放浪記」 2001年10月10日
Mathematics Odyssey October 10, 2001
北旅心景色・湯の滝

  この日の朝、久々に展望台に立って摩周湖を見下ろしてみたが、すでに濃い霧が発生していて、湖面のごく一部しか目にすることはできなかった。若い頃登った対岸のカムイヌプリ(摩周岳)の山影はむろん、湖の中央に浮かぶカムイシ島さえも見えなかった。霧の摩周湖といわれるように、ほどよい霧はこの湖の演出に欠かせないもののひとつなのだが、何事も過ぎたるは及ばざるがごとしで、ほとんど視界のきかない濃霧となると話は別である。
  たまにだが、眼下はるかな湖面だけがまるでやわらかい真綿を敷き詰めでもしたかのような白く濃い霧に覆われることがある。そんな時の摩周湖は神秘的で美しい。それに日の出や落日が重なったりすると、霧が赤や紅に染まって感動はいっそう大きなものになる。青く澄んだ月光の下で眺める霧の摩周湖などは「幻想的」の一語に尽きる。だが、そういった摩周湖の姿を目にしたいと思ったら、天候のほかに太陽や月の運行状況など、諸々の条件を見はからったうえで出かけなければならない。当然のことながら、訪ねる時間帯も通常の観光客のそれとは大きくずれこんでしまう。
  朝日に映える美しい摩周湖を眺めようというこの日の思惑は外れてしまった。だが、幻夢にまごうばかりの摩周湖の景観には過去何度も出逢ったことがあったので、とくに落胆することもなかった。車中に戻り、二、三時間原稿を書いたあと、清里峠からちょっと登ったところにある裏摩周展望台にもまわってみたが、こちらのほうはもっと深い霧に包まれていて、まったく視界はきかなかった。摩周湖にはカムイヌプリの懐に抱かれるようにして一箇所だけごく小さな浜辺が存在している。視界のいい日なら、この裏摩周展望台からは、小型調査船が一隻だけ置かれているその浜辺のあたりを望むこともできる。
 
  裏摩周展望台から根釧原野方面へと抜け、養老牛温泉、中標津、計呂地あたりを気の向くままに巡ったあと、標茶を経て再び弟子屈に出た。そして、通りすがりのお店で夕食をとると、阿寒湖方面へと向かって走りだした。深山を縫うこのあたりの国道を夜中に走行していると、エゾシカやキタキツネなどが道路脇からいきなり飛び出してくるもすくなくない。道路がよく信号がないうえに通行車輛もほとんどないときているから、どうしても車の速度が上がってしまう。そんなときエゾシカなどにぶつかられたりしようものなら、相手ばかりか、こちらのほうもただでは済まない。途中で濃い霧も湧いてきたので、ヘッドライトをビームにしたたまま慎重にアクセルを踏み続けた。
  大小のホテルや土産物店の立ち並ぶ阿寒湖畔はそのまま通過し、しばらく足寄方面へと進んだあと、左折してオンネトーへと続く林道に入った。周囲を深い樹林帯に囲まれたオンネトーは、コバルトブルーの透明な水を湛え神秘的な色の沼で、その湖面には背後に聳える雌阿寒岳や阿寒富士が美しい影を落としている。だが、いくらなんでも、そんな夜遅い時刻にオンネトーを訪ねてみたって、景色が眺められようはずもない。実際の私の狙いは、オンネトーのすこし奥にある秘湯「湯の滝」で一風呂浴びることだった。
  いまでは、オンネトー探訪の観光バスの回転場にもなっている湯の滝入口の駐車場に着いたのは午後十時頃だった。国道から分岐してこの駐車場に着くまでに三度キタキツネと遭遇した。キタキツネは車の前方を横切るときも他の動物のようにバネをきかして素早く走り抜けたりはしない。胴長の体を支える四本の足をちょこまかと動かしながら通り過ぎていく。だから、そのぶんだけ車に撥ねられる確率も高い。
  阿寒富士の麓の広大な樹林帯の奥にあるため、昼間でも来訪者のほとんどない湯の滝を、こんな時刻に訪ねるなんて気違い沙汰だと思われても仕方がないが、そんな気違い沙汰の体験をするのは、これが初めてのことではなかった。お目当ての湯の滝までは、車止めのゲートの向こうに続く林道をここからさらに一キロ半ほど歩かなければならない。ナップサックにタオルや着替えを詰め込むと、私は懐中電灯を手にして車を降りた。むろん、他に車の影などあろうはずもなかった。
  深い樹林の中を縫う林道に入ると、あたりは文字通り漆黒の闇となった。懐中電灯を消すと、そこはもう自分の手先さえも見えない暗黒の世界であった。ただ幸いなことに、幼少期九州の離島で闇夜に親しんで育った私には、闇に対する恐怖感などまったくない。それに、若い頃から登山を趣味にしてきたから、闇夜に山奥をうろつくことなどお手のものだった。
  明るいことはいいことだという時代の風潮のもとにあって、我が国の夜の世界からは真の闇がほとんど姿を消してしまった。いまでは、三百六十度くるりと周りを見渡しても人工の明かりがまったく見当たらない真の闇というものを探すことのほうが難しい。シーンという闇の音さえも聞こえる漆黒の大気には、鈍った五感を鋭く甦らせてくれる不思議な力があったものだが、暗闇のもつそんな働きも忘れられてもう久しい。己の細胞の隅々にまでしみわたり、それらを浄化し活性化してくれる本物の闇を久々に体感することができ、私はすっかり嬉しくなった。
  森の奥からは時折夜鳥や夜行性動物の鳴き声が響いてきた。それらに耳を傾けながら二、三十分林道を歩くと、すぐ近くで落水の音のするちょっと開けた場所にでた。そこがほかならぬ湯の滝だった。左手前方にザーザーと流れ落ちる滝があり、その滝の水はその手前の小広い池の中へと流れ込んでいる。さらに、その池の水は、細い水路伝いに近くの沢へと流れ出していた。
  やはり深夜にこの湯の滝を訪ねたとき、この滝下の池のまわりの草地にはエゾシカの群がいて、ライトを向けると、彼らの目が一斉に澄んだ黄色に輝いて見えたものだった。だが、この夜は滝の水音だけがひたすら闇の中にこだましているばかりだった。懐中電灯を消して暗闇の中に立ち、すこしひらけた頭上の空を見上げると、点々と輝く美しい星々の姿が遠望された。それらの星々の瞬きは、まるで天空はるかなところにある村々の灯火のようにも思われた。そしてその光は、何十億年もの時を超えて体内深くにいまも眠る、遠く懐かしい命の記憶を揺り醒ましでもしてくれるかのようだった。
  小さな木橋を渡って滝下に近づき、流れ落ちる水に手を差し出すと、指先に温かい感触が伝わってきた。ちょっとぬるめではあるのだが、湯の滝という名の示す通りに、それは温泉の滝なのだった。もちろん、滝の水の注ぎ込む池の水のほうも温かかった。私は、滝の右手の急斜面を縫う細道伝いに源泉のあるところ目指して歩き出した。三、四分ほど登ったところには以前にはなかった小さな簡易更衣所とこれも最近のものらしい円形の露天風呂が設けられていた。夜間に入浴者があることなどはなから想定されていないから、むろん照明の類はいっさいなく、懐中電灯だけが頼りだった。
  私はそこからさらに上へと続く急な道を二、三分ほど登っていった。すると見覚えのある湯の滝の源泉が姿を現わした。深い樹林に覆われた山の斜面の一角にごつごつした天然の大岩で囲まれた細長い湯釜があって、そこにこんこんと温泉が湧き出ているのだ。ライトを当てると一瞬黒っぽく見えはしたが、実際には良質の透明な温泉であった。湧き出ているお湯の温度も四十度弱くらいなので、のんびりとぬるめの湯につかるのが好きな人などにはちょうどよい。 
  以前のようにこの源泉のお湯に直接身を沈め、こころゆくまで疲れを癒すことができたらと思ったのだが、残念なことに湯釜の脇には入湯禁止の表示とその理由を記した立札がたっていた。この温泉がマンガン泉という大変珍しい泉質のものだということは以前から知られていたのだが、北大などによる近年の研究調査によって学術的にも極めて貴重な存在であることが判明、現状を保存するため入湯禁止の措置がとられるようになったらしい。どうやら下の新露天風呂はその代替として造られたもののようだった。
  この温泉にはマンガンが溶けているのだが、糸状藻類のマンガン酸化細菌という微生物がそのマンガン成分を酸化し沈積させる。そのため、源泉付近や湯の滝の流床には現在でも酸化マンガン鉱床が生成中なのだそうである。温泉そのものは透明なのに黒っぽい色に見えるのは、マンガン酸化菌とそれによって生成された酸化マンガン鉱が底部一面に付着するためらしい。
  生命誕生からまだ間もない三十数億年前の時代には、地球上のいたるところでこのような現象が起こっていたようである。だが、現在ではこのような事象が見られるところは世界的にも極めて稀で、これまで発見された同様のケースのなかでも、この湯の滝の事例は最大規模のものだという。北大理学部や工業技術院の研究者がいまも研究を続けているが、最近では海外の専門研究者の来訪もすくなくないようで、この特殊な酸化マンガン鉱床をテーマに学会なども開かれているらしかった。
  誰も見てなんかいなかったけれど、そんな畏れ多い温泉とあっては入浴するわけにもいかない。そのため手先を源泉の中に差し入れ湯の温もりを確かめただけで引き返した。そして、そのかわりに新設された露天風呂のところへいくと、大急ぎで服を脱ぎ湯船の中へと飛び込んだ。絶え間なく湧き出るお湯の加減も上々とあって、まさにこの世の天国そのもの、もしかしたら森の中の小動物が呆れ顔でこちらの姿を眺めていたかもしれないが、そんなことなどすこしも気にならなかった。
  試しに懐中電灯を消してみると、一瞬にしてあたりは濃い闇に包まれたが、すでに目が闇になれていたので、自分の手先さえも見えない漆黒の闇の中にいるという感じではなかった。頭上に開いたまるく小さな夜空では、織姫の名をもつ琴座の一等星ヴェガが、その哀話を訴えかけでもするかのように青い光を放っていた。

  車に戻ってそのまま眠り、翌朝九時に目覚めた私は、もう一度湯の滝に出向いて朝風呂を浴びることにした。深々と繁る樹々の緑によって浄化された大気は爽やかそのものだった。湯の滝付近には、早朝にやってきたらしい三、四人のツーリストの姿も見うけられた。そのなかの一人が温泉滝の流れ込む池の中を覗いているので、なんだろうと思いながらそのほうに目をやると、驚いたことに魚の群が泳ぎ回っているではないか。大小無数の魚体が目にとまったが、大きいものは三十センチほどもあるようだった。以前には魚影らしきものなど皆無であったから、どうやらそれらは最近になって大繁殖したものらしい。
  北海道の渓流というとまず思い浮かぶのはイワナの仲間のオショロコマだが、冷涼な水に棲むオショロコマがいくらなんでも温泉の湯の中に生息しているわけがない。よくよく観察してみると、水槽で飼われている熱帯魚にどこか似ている。しかも魚種も一種類だけではなさそうだった。池を水源とする細流のあちこちに何段にもわたって目の細かいネットが張ってあるところをみると、魚が下流に逃げ出すのを防ぐつもりなのだろう。これらの魚を誰かが飼いでもしているのだろうかとも思ったが、それにしてはどこか不自然な感じだった。
  池から温水の流れ出る水路沿いに下流に歩いてみると、いたるところに体長二、三センチの稚魚らしいものの姿があった。その水路は百メートルほどいったところでやはり水温の高そうな渓流と合流していたから、その地点から下流側にもこの魚は生息しているに違いない。どういう事情でこんなことになったのかはわからなかったが、川の生態系に大きな影響がでるのではないかと心配になってきた。
  気持ちよく朝風呂を浴びてから池のところにおりてくると、ちょうど林野庁の森林監視員らしい男がやってきて、なにやら周辺の状況をチェックしているところだった。そこでちょっと声をかけ、なぜ池の中に魚がいるのか尋ねてみた。すると、相手はなんとも苦々しそうな口調で、その意外な理由を説明してくれた。
  彼の話によると、温泉池に生息しているのはテラピアやグッピーなどの熱帯魚なのだそうだった。数年前、心ない誰かがそれらの魚を放流、その後大繁殖してこんなことになってしまったのだというのである。池が浅く小さいため、成魚でも三十センチ以上になることはないのだそうだが、それらを除去することは大変困難であるらしかった。
  生態系への悪影響をおそれた国立公園管理当局も、過去三度も池の水を排水し繁殖した魚の完全除去を試みたようである。だが、無数の小さな卵まで取り除くことは不可能なうえに、熱帯魚の卵は乾燥に強いため、池に温水が戻ると残された卵が孵化してたちまちもとの状態にもどってしまうのだそうだ。いまでは付近の渓流のかなり下流までその生息範囲が広がっているが、幸い一定地点から先では水温が急激に下がるため生存が不可能で、なんとか事無きをえているという。
  その監視員はさらに仰天するような話をしてくれた。五月頃の融雪期に冬眠から目覚めたヒグマは、まだ山に餌となるものがすくないため、この池におりてきて中の魚を狙うようになってしまったというのである。観光客に万一のことがあったら大変だから、管理当局も神経を使っているそうだが、万全の対応策はないということであっった。阿寒一帯が緑に覆われる頃になると餌に不自由はしなくなるから、この時期は大丈夫だとのことだったが、私は内心ギョッとせざるをえなかった。
  そうとも知らず、深夜、ここの露天風呂に入って鼻歌気分だった私の様子を、深い樹林の奥からじっと窺っていたヒグマなどがいたかもしれない。まあ、あまりウマそうにも見えなかったろうし、とても一緒に温泉につかる気にもなれなかっただろうから、相手のほうが遠慮してくれたに違いないが、いささかギクリとさせられるなんともクマった話ではあった。たださすがに、昨晩遅く独りでここにやってきて露天風呂に入っていたなどと、監視員に正直に告白するわけにもいかなかった。
  学術上も極めて貴重なマンガン泉を守るため、心ない観光客によってこれ以上付近の環境が荒されるのは避けなければなりません。また、ヒグマなどによる万一の事故にもそなえなければなりません。だから、近いうちに温泉入浴は全面禁止し、新設の露天風呂も更衣所も休憩所も除去してしまうことになっています――監視員の男は最後にそんな言葉を付け加えた。
  彼の言う心ない観光客の一人であるかもしれない私は、その言葉をただ黙って聞くしかなかったが、この大自然の中の名湯もこれが入りおさめかと思うと、なんとも残念でならなかった。



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