「マセマティック放浪記」 2001年7月25日
Mathematics Odyssey July 25, 2001
北旅心景・夕日街道北上

  道外からの旅人にはあまり馴染みのない、石狩海岸と石狩川河口域とを訪ねてみた。石狩海岸の石狩港付近はちょっとした工業地帯になっているが、そこをすこしばかり過ぎると車道沿いに広々とした原野が現れる。北海道ならどこにでもある光景で、もちろんガイドブックなどでことさら紹介されているわけでもないが、花々の咲き誇るこの季節の景観だけは一見に値する。
  爽やかな初夏の風の吹き抜ける一帯の野原は、命輝く時節とあって見渡すかぎり花盛りだった。野を一面に覆うエゾタンポポの鮮やかな黄色が目に染みる。その輝くような黄色い花の絨毯にちょっとアクセントをつける感じで点在しているのは、赤紫のハマナスの花だ。タンポポの黄色やハマナスの赤紫に圧倒されてあまり目立たないが、淡いピンクのハマヒルガオやハマエンドウの紫の小さな花などもはっとするほどに美しい。上空では何羽ものヒバリが、陽光に酔いしれるかのように、声高らかに舞い囀っていた。
  石狩川河口の流路は海岸線に対し直角にはなっていない。石狩川は河口付近で海岸線にほぼ平行な角度に向きを変え、そのまま日本海へと流れ込んでいるのだ。したがって、河口流路左岸と海とに挟まれた陸部は低い丘陵をなして砂嘴状に細長く伸び出ている。気の向くままにアクセルを踏み続けていると、車はいつしかその砂嘴状地形の上に出た。車を駐めて海側におりてみると、黒っぽい色の砂浜が遠くどこまでも続いていた。石狩浜と呼ばれるこの一帯の海辺は、銭函海岸ともども北海道では数少ない海水浴場として知られている。
  まだ海水浴シーズンには早いその広い砂浜の真中に、ただ一組だけ、シートを敷きそれに寝そべって肌を焼く一群の人影が見うけられた。札幌からやってきたという若くて愛らしい三人の女の子たちで、砂浜を駈けめぐるペットの子犬ともども、ちょっとした絵になっていた。もちろん、彼女らが海中に入った様子などなかったから、その静かな浜辺での日光浴だけを楽しむつもりでやって来たのだろう。
  彼女たちとちょっとだけジョークまじりの会話を交わしてから車に戻り、五分ほど走ると、石狩灯台周辺に広がる「はまなすの丘」に出た。この地を訪ねたのは初めてだったが、「はまなすの丘」と称されるだけのことはあって、よく整備された木道を歩きはじめた途端に、原野一面に咲き乱れるハマナスの花が、これでもかと言わんばかりに己の存在を訴えかけてきた。青い空から一直線に降り注ぐ陽光を浴びて、いまを盛りと真紅の花びらが眩いばかりに輝いている。そして、そのハマナスの紅に競い挑むかのように、あちこちに群生するエゾタンポポの花々が金色とまがうばかりに眩い光を放っていた。季節の主役を我がものにせんと存在を誇示し合うそれら二つの花々の間にあって、ハマヒルガオやハマエンドウ、その他の花々などはいささか困惑気味な表情を見せていた。
  河口流域で石狩川が大きく蛇行しているということは、地理の知識としてなら昔からよく知ってはいたのだが、実際にその様子を目にするのは初めてのことだった。はまなすの丘の木道をすこしはずれ、群生するグミの枝々を掻き分け進むと石狩川の水辺に立つことができた。河口から逆流する海水の影響もあってか、ほとんど水は動いていない。川の水を指先につけて舐めてみると、こころもちショッパイ味がした。しばしその場に足を留め、鏡のように滑らかな川面の向こうに広がる風景に見とれるうちに、いつしか体内時計の秒針が静止し、やがて逆方向へと回りはじめる感じがした。
  駐車場そばのヴィジターセンターの売店では、ハマナスのソフトクリームなるものを売っていた。どうやら、ハマナスの花の色素と薫りを混入したソフトクリームであるらしい。「ここでしか食べられませんよ」というお店の人の言葉に乗せられ、二百五十円の代金を払って試食してみたが、まあまあの味ではあった。

  いったん国道二三一号に戻り、大きくうねる石狩川を眼下におさめながら石狩河口橋を渡ると、ほどなく厚田村に入った。美しい緑に彩られた原野と牧場地帯とがどこまでも続き、そのなかを縫い貫くようにして車道がのびている。信号がないし通行車輛も少ないから、その気になれば高速道路並みのスピードだって出せる。嶺泊という小集落を過ぎたあたりで急に眠気を催したので、左手に広がる海岸段丘上の草原に車を駐め、青く輝く日本海と行く手の山並みを眺めながらしばし午睡をとることにした。ちょうど正午前のことだったから、文字通りの午睡だった。
  大きく跳ね上げた後部ドアから吹き込む爽やかな大気と、窓越しに差し込む陽光とがほどよくミックスし、フラットにしたリアシートいっぱいに横たわるこの身を心地よく包んでくれた。明日のために眠るのではなく、この一瞬一瞬のためにのみ眠っている、換言すれば、時間の脅迫から逃れ、ただ眠るためだけに眠っている――そんな満ち足りた思いにひたりながら、私は深い眠りに落ちたのだった。豪華なホテルの一室や誰もが認める風光明媚な観光スポットとはおよそ無縁な、見方によってはなんの変哲もない風景と環境のもとで真の安らぎを得ることができるというのは、いつものことながら不思議な話ではあった。たぶん、それは、無意識のうちに自らを縛る時間の鎖が一時的に切断されることによって生じる特異な現象なのだろう。
  三時間ほど熟睡したあと、私は再び夕日街道を北上しはじめた。石狩町から浜益村を経て留萌市に至り、さらに、留萌から羽幌町、天塩町を経て稚内へと続く日本海沿いの一連の道路は、部分的には、石狩国道、増毛国道、天売国道などと呼ばれるが、それらの国道から眺める夕日の美しさのゆえに、夕日街道と総称されたりすることもある。そのうち、羽幌町から天塩町を経て稚内に至る部分は、かつて一帯に棲息していたオロロン鳥にちなんでオロロンラインなどとも呼ばれたりしていたようだ。
  厚田村の中心街を過ぎ浜益村へと向かう途中で、車は垂直にそそりたつ豪壮な断崖地帯を縫い走る海岸道路へと差し掛かった。鋭く切り立つ断崖の足下を大小幾つものトンネルが切れぎれに、しかし、果てることなく続いている。ところどころに設けられた小展望所やトンネルの切れ目から見え隠れする風景は、鋭く切り立つ岩と青潮の寄せる海とのコントラストが絶妙で、絶景と呼ぶにふさわしいものだった。
  ゴキブリと間違いそうな濃昼(ごきびる)という変わった地名の場所を過ぎ、国道から分岐して逆毛という小集落をまわる道に入り、海食崖の続く愛冠海岸を見下ろす峠を越えると、千本ナラと呼ばれる天然記念物の樹木のある地点に出た。千本ナラとは根元に近い幹の部分から枝先の部分まで、いたるところが異常なほどに枝分かれしたミズナラの巨木で、一帯を圧するその枝ぶりはなんとも異様な感じだった。付近には同様の巨木が三、四本立ち並んでいて、それらの幹にはいろいろと願い事を書いたシャモジが多数結わえ付けられていた。地元では一種の御神木として祀られているのであろう。
  再び国道二三一号に合流、浜益村の中心集落を過ぎると、車はまた険しい海食崖沿いの道に入り、ほどなく雄冬岬に到着した。標高一四九一メートルの主峰暑寒別岳から浜益岳、雄冬山を経て西にのびる稜線は、この雄冬岬付近でいっきに日本海へと落ち込んでいる。厚田から浜益、増毛を経て留萌に至る国道一帯が豪壮このうえない海岸美に恵まれているのは、そのような地形上の理由からである。
  雄冬岬をすこし北側にまわったところには雄冬岬展望台が設けられていた。急斜面を上がりきったところにある駐車場から、さらに徒歩で急峻な歩道を登りつめたところにその展望台は建っていた。四面総ガラス張り、二層のなかなか立派な造りになっていて、眼下には広大な日本海とその沿岸地帯を、背後には荒々しい岩峰の屏風状に連なる暑寒別の山並みを望むことができた。ここから日本海に沈む夕日を眺めたらさぞかし素晴らしいことだろうとは思ったが、あいにく日没まではまだ三時間ほどもあったので、夕日見物は断念した。雄冬岬という地名からも想像されるとおり、このあたりの真冬の荒涼とした夕景には、夏のそれとは違って凄絶なまでの迫力があるに違いない。
  増毛町を過ぎ留萌市に入ったのは午後五時半頃だった。留萌市街をいっきに走り抜け国道二三二号に入った私は、アクセルを一段と強く踏み込んだ。昔に較べると、道路はすべての点で信じられないほどによくなっている。道幅も広く舗装も完璧なため、一般国道であるにもかかわらず、大型トラックなどが時速百キロ前後のスピードで爆走していたからである。
  次第に西の海に向かって傾く太陽を横目に見ながら快適なドライブを続けるうちに、小平町鬼鹿の道の駅「鰊番屋」に到着した。鰊の豊漁にわいた往時の大きな鰊番屋の建物が歴史文化財として保存されていて、内部は民俗資料館になっているようだったが、開館時刻を過ぎていたため中に入ることはできなかった。海沿いの広場からの眺望はなかなかに素晴らしかった。左手はるか後方では、暑寒別岳から雄冬岬へと続く峰々が、折りからの夕日に映えて神々しいばかりの輝いていた。右手の海上には徐々に水平線に近づく夕日を背に黒く低く浮かぶ細長い二つの島影が望まれた。むろん、それらは、天売島と焼尻島の島影に相違なかった。
  広場の一角には、六回に及ぶ蝦夷地探検で知られる松浦武四郎の銅像が立っていた。アイヌ民族のよき理解者であり、北海道という地名の名づけの親でもあったと伝えられる武四郎も、この北辺の海辺にあって、ひとり美しい夕日を眺めながら、その苦難の旅路と己の生の不思議さに想いを馳せていたのだろう。
  夕波のひた寄せる渚を歩きながらしばらく時間を潰していたのだが、皮肉なものでなかなか太陽が沈んでくれない。仕方がないので苫前町方面に向かってのんびりと走り出した。苫前市街に入る前に、海岸伝いのこの国道のどこかで日没を拝めるだろうという計算だった。意外なことに、小平町から苫前町に入った途端に風力発電用の巨大な風車が次々と姿を見せはじめた。相当な数の風車が立ち並び、海風をうけてゆっくりと回転している。
  ユーモラスだがどこか人を小馬鹿にしたようなその動きを見ているうちに、車がウマかロバで自分がほかならぬドンキホーテその人でもあるかのような錯覚に襲われた。あとで地元の人に聞いてわかったのだが、苫前町は風力発電日本一として知られる町で、町内には四十基を超える発電用風車があるらしい。クリーンエネルギー確保の必要性が叫ばれる昨今にあって、ひとつのモデルケースというわけなのだろう。それはそれで結構なことなのだが、もしも、将来、日本の海岸線のいたるところにこの種の風車が立ち並ぶということになると、問題は別だと言わざるをえない。
  一片の雲の影さえもない水平線上に太陽が大きく近づいたのは、苫前市街のすこし手前に差し掛かったときだった。すぐに私は車を路肩に駐め、夕凪に静まる砂地の浜辺に降り立った。そして、天売島のすこし左手の海中に没んでゆく真っ赤な夕日にひとりじっと見入りながら、世の中ために何一つ役立つことなどしてこなかった己の人生を振り返った。もっとも、だからといって、余生を世の人々のために献げ尽くそうなどという殊勝な決意をする気にもなれなかった。午後七時二十分、夏至からまだまる一日しかたっていない真紅の太陽が、この愚かな身に最後の光を投げかけでもするかのようにして海中へと姿を消した。
  苫前市街に入ってまもなく、「苫前ふわっと」という公営の温泉施設らしい建物が目にとまったので、さっそくそこに飛び込み、一日の汗を流すことにした。泉質は鉄分の多い弱塩泉だったが、ここの露天風呂からの眺めは望外のものだった。正面はるかなところには、一目でそれとわかる利尻島の島影が、黄昏の空を背にぽっかりと浮かんで見えた。また、右手前方の海上には、天売と焼尻の両島が仲良く並んでその存在を誇示していた。たまたま一緒に湯につかっていた地元の老人の話によると、この露天風呂からは、天売島と焼尻島との間に沈んでいく荘厳な夕日が眺められることもあるらしい。
「苫前ふわっと」の「ふわっと」という言葉の意味が私にはいまひとつよく理解できなかったが、ふわっとした気分でその温泉施設をあとにできたのは幸いだった。車に戻って一通り携行品の整理を終えた私は、野営に適した場所を求めておもむろにアクセルを踏み込んだ。北の夜空を高く舞う北斗の星影がひときわ印象的だった。



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