「マセマティック放浪記」 2001年7月4日
Mathematics Odyssey July 4, 2001
無謀登山?

  登るにつれてますます細く険しくなる山道を三十分ほど進むと再び沢に出た。冷たく澄んだ水が流れほとばしるその沢はそこで二手に分かれていた。これまで私の知る限りでは、天然物のワサビは、清冽かつ豊富な湧水の流れる断崖直下の急斜面のようなところを好む。そうだとすれば、地形的にみて先に行った男たちが目指したのは左手の沢のように思われた。だが、登山道のほうは、左右に分かれた二つの沢にはさまれる尾根筋へと続いていた。
  男たちの居場所が定かではなかったので、大声を出して呼びかけてみたが応答らしきものはまったく聞こえてこなかった。どうしようかとしばし躊躇はしたものの、もしかしたらもっと上のほうまで行ったのかもしれないと考え、再び登山道を歩み始めた。呼吸と歩行のリズムを整えながら一歩一歩急斜面を登るうちに、また沢に出た。
  見るからに冷たくてうまそうな清水が流れていたので、まずは手と顔を洗ってさっぱりした気分になり、それから、近くの蕗の葉を一枚とって漏斗状にまるめ、それで何杯も水を掬っては飲み干した。子どもの頃から沢水は飲みなれているので、一見しただけで、その水が飲めるかどうかや味はどの程度かといったようなことはおよそ判断がつく。予想にたがわず、それは五臓六腑にしみわたるようなうまい水であった。
  この地点でもう一度、どこかそう遠くないところにいるはずの男たちに大声で呼びかけてみたが、あいかわらず応答はなかった。もはや自分の意思で自由に行動するしかないと決断した私は、引き返すべきか、それともそのまま石黒山の頂上を目指すべきかを秤にかけた。そして結局、後者のほうを選ぶことにした。すでにかなりのところまで登って来ているので、あと一時間半も頑張れば標高千メートル弱の山頂に着くはずだという計算もあった。また、山頂に立てば、若い頃体力に任せて歩きまわった朝日連峰主稜の山々を遠望できるのではないかという期待もあったからだった。
  すでに述べたように、成り行きが成り行きだったため、食糧や水その他の必要装備は言うに及ばず、ハンカチの一枚さえも携行してはいなかった。ただ、まだ時間も早く天候も良好で、体調のほうもすっかりもとに戻った感じだったで、沢水さえあればなんとかなるだろうと考えた。もちろん手元に地図などなかったが、朝日山系全体のおおまかな地形は頭にはいっていたので、初めて登る山ではあったが、その点ではとくに不安は感じなかった。
  しばらくすると、それでなくても細い道は藪と落ち葉と倒木に覆われ立ち消え寸前の状態になった。湿って土質が柔らかい部分に踏み跡が残っていないかどうか、じっくりと確認してみたが、それらしいものはまったく見つからなかった。そして、そのことは、私を誘った二人の男たちがここまでは登ってきていないことを物語ってもいた。彼らはやはりさっき横切った沢筋のうちのどれかに分け入っていったのだろう。そうだとすれば、沢歩きの準備などまったくしてこなかった私が、無理して彼らを探さず、この登頂ルートを選んだことは適切だったのかもしれなかった。
  一帯の平均的な樹高はかなり低くなってきたが、樹林相が密なこともあって稜線はなかなか見えてこなかった。いつもならそれなりの重さのザックを背負っているので、急坂などでは自然に身体が前傾して体重全体が足元にかかり、うまく安定がとれるのだが、手ぶらというのは妙に身体が立ってしまい、かえってバランスが悪い。変なところに変な力が加わる感じで、その点はいささか意外でもあった。ともすると途切れがちになるルートをなんとか勘を頼りに踏み繋ぎながらさらに進むと、突然、行く手に、これでもかと言わんばかりの様相を呈しながら、この日最大の難斜面が現れた。どのくらいその急登路が続くのかはわからなかったが、それは、どうみてもよじ登るしかないような軟土と岩との混った斜面だった。
  細々とその急斜面を縫い伝う隘路は、ところどころまだかなりの残雪に覆われていて足場が悪いばかりでなく、雪融け水が流れ出しているために、あちこちがツルツルグシャグシャになっていた。そうでなくても結構体力を消耗しそうなところなのに、厄介なオマケまでついているというのだからたどうにもたまったものではなかった。ピッケルやアイゼンといった本格的な装備はともかくとしても、豪雪地帯の融雪期の山には、万一に備えてスキー用ストックの一本くらいはもってくるのが常識である。それなのに、そのストックはおろか、水も食糧も持っていなかったのだから無謀登山の謗りをうけても仕方のないところであった。
  靴が滑ってどうにもならないところや、なんとか登れてもちょっとバランスを崩したら滑り落ちてしまいそうなところは意図的に道をはずし、少々大変でも低木の藪を掻き分け、木の枝や草の根につかまって強引によじ登った。標高千メートル足らずの山としては想像以上に手強いという思いはしたが、ここまでくるともう意地というものだった。妙なもので、先刻のひどい体調不良などどこかへ吹き飛んでしまった感じだった。
  当然、何度か足を滑らせため、手足はどろどろになりジーンズの裾も泥土でべとべとになったが、もうそんなことはどうでもよかった。なにはともあれ、石黒山の頂上に立とうという気持ちのほうが先走っていた。ちょっと大袈裟かもしれないが、この程度のことで登頂を断念してしまったら、自分のチャレンジ精神も、旅に身をたくしてきた人生ももう終わりだとでもいったような思いが胸の奥に渦巻いていた。
  残雪で埋まった隘路を回避するため急斜面の藪にとりつき、そこをなんとか抜け切って登山道に戻ると、そこだけちょっと平らな感じになり、道幅も広くなった。それはまあよかったのだが、融けかかった雪と地面の泥とが混ざり合ってグシャグシャになっていた。前方を眺めながら、どこを選んで通り抜けようかと考え込んでいると、突然、何かがこちらを睨んでいるような気配を覚えた。はっとしてそのほうに視線を送ると、登山道脇の低木の枝から私の動きを探っている一匹の大きな野生の猿と目が合った。
  よく見ると、チシマザサの根か茎の部分らしいものを片手に持ち、その先を口にくわえている。ちょうど人間が爪楊枝を使っているときのような格好だった。相手は、「いったいテメー、こんなところに何しにやって来たんじゃ?。このあたり一帯は俺様の縄張りなんだぞや。どうしても通りたいっていうんなら通行料よこさんかい!」とでも言いたげな目つきでこちらをじっと見つめている。体格も毛艶もすいぶんとよかったから、もしかしたら群を率いるボス猿だったのかもしれない。
 「あんたには申し訳ないが、こちらもいま必死なんだらか、遠慮なく通してもらうよ!」とばかりに、ドロドロになった道の脇のほうを突き進むと、相手はこちらに怯む様子がないのを見て取ったらしく、慌てて藪の中へと姿を消した。これで一件落着と思いきや、思わぬ災難がこの身に降りかかったのはその直後のことだった。
  右足でグシャッと何かを踏み抜き、しかもその足をそのまま泥土混じりの柔らかい融雪面に突っ込んでしまったため、泥水と一緒に踏みつけたシロモノの一部が靴の中まではいってしまった。いったい何を踏み抜いたのだろうと思って、あらためて確認してみると、こともあろうに、それは黒茶に変色し、こんもりと盛り上がった動物の糞塚だったのだ。どうしようもないのでそのまま歩き出した途端に、足元から人間のそれとそっくりの強烈な臭いが立ち昇り始めた。どうやら、私が踏み抜いたものは縄張り表示を兼ねた野生猿の糞塚だったようなのだ。
  人間と近い猿の排泄物とあれば、人間のものそっくりの臭いがしてもおかしくはない。足やジーンズの裾を洗うにはもう一度沢のところまで下るしかないが、それからまた登ってくるのでは、さすがに身がもちそうになかった。仕方がないので、結局、悪臭に耐えながら、そのまま頂上目指して再び歩き出した。頂上にほどない稜線直下の急斜面もところどころ残雪に覆われ、登るのが大変ではあったが、幸いなんとか乗り切ることができた。稜線に出るちょっと手前のタルミからは、大きく深い谷をはさんで、まだ深い残雪に覆われた朝日連峰主稜の山々を一望することができた。若い時代に歩いたことのある峰々だけに、当時の自分とこの日の無残な自分とを比較してみる胸の思いはなんとも複雑なものであった。
  稜線に出たあと、石黒山頂上までは多少アップダウンがある程度の平らな道だった。頂上間近の小広い平坦地には、避難小屋らしきものがあったが、屋根は無残に破れ、壁も床も壊れていて、こんなところに避難したらかえって遭難してしまいそうな有様だった。この日登ってきた状況からしても、登山者がそう多いとは思われないから、避難小屋の管理が十分でないのはやむをえないことなのかもしれない。
  頂上に着くまでに、結局四時間近くを要してしまった。むろん、その中には樹木の幹に身を預け、にわかに生じた体調の不良を整えていた一時間ほどの時間も含まれている。石黒山頂上からの展望は日本海側に向かって大きく開けており、眼下に広がる山麓や平野越しに日本海を望むこともできた。足下は急峻な崖となって切れ落ちていて、そちら側に下る道はなさそうだった。
  はからずも足跡を刻むことになったこの山頂での最大の収穫は、通行止めのため結局再訪を断念せざるを得なかった奥三面ダムの一部を、左手眼下はるかに眺めることができたことだった。見えたのは、昨年同地を訪ねた時にはまだ架橋工事中だった大橋のあたりで、当時からすると三面川の川幅が広がり、かなり水が溜まっているようだった。しかし、その様子からすると、今期の雪融けが終わるまでには満水になるという新潟県当局の当初の予測と違って、ダムが満水になるにはまだまだ時間がかかりそうな感じだった。たぶん、あの上屋敷地区の貴重な縄文遺跡群もまだ水没してはいないことだろう。叶うことなら、それらが完全に水中に姿を消す前に、せめてもう一度だけその姿を目にしてみたいものだと思うのだった。
  靴の臭いのことなどもしばし忘れ、しばらく頂上で休んでいると、中年の男性がひとり登ってきた。ほぼ毎週手頃な山に登っているという新潟在住のIさんという方だった。Iさんは私を見るなり、「なんにも持たないで山に登ってきたんですか。そんな人に遭うのは初めてですよ!」と半ば呆れ、半ば感心するかのような顔で話しかけてきた。私のほうもすかさず、「僕だって初めてですよ、こんなムチャクチャな登山をやったのは…」とそれに応じた。ありのままのことを述べただけに過ぎなかったのだが、それでも、はじめのうち、Iさんは、怖いもの知らずの素人の無謀登山だと受取ったようだった。
  その後の話の流れから、私が朝七時過ぎに菓子パン半分を食べただけだと知ったIさんは、残ったものでよければと、半分食べかけのパンを差し出してくれた。こんな場合の山男の温情は心底有り難いと思わねばならない。私はすぐにそのパンを頂戴し、少しずつ味わうようにして胃袋におさめたのだった。私の靴の異常な臭いが気にはなっていたろうに、Iさんはそのことについては何も触れなかった。
  下山は二人一緒だった。往路のルートを逆に辿るだけだったので、様子がわかっているぶん、復路のほうがずっと楽だった。ただ、よくぞこんなところを、このくたびれた靴を履いたままで、しかも一時的とはいえ体調不良で動けなくなったあとで、諦めもせずに登ってきたものだと、我ながら呆れざるを得なかった。
  いちばん近い沢に出たところで休憩をとり、まずは両の靴と手足、さらには顔とジーンズの裾を十分に洗い清めた。それから、冷たく澄んだ沢水をしこたま飲んだが、その水の味がこの世のどんな飲み物にもまして素晴らしく感じられたのは、状況がら、当然のことではあった。靴と足とを洗っている最中に、大きな野猿と出遭った話や、うっかりして糞塚を踏み抜いてしまった話をすると、Iさんもやはり野猿に出遭い、威嚇されたとのことであった。たぶん、おなじ猿だったのかもしれない。
  下山には二時間半ほど要したが、とくに大きなトラブルもなく登山口の駐車場に到着した。新潟のIさんとはそこで別れ、私は先に去って行く車をじっと見送った。ただ、はじめに私を誘った例の葉ワサビ採りの男たちの車はもうそこになかった。先に下山し帰ってしまったのだろうが、私がまだ車に戻っていないことくらいわかったはずだから、せめて書き置きの一つくらいしてくれていてもよさそうなものだとも考えた。私を誘ってくれたのが根っからの好意によるものだったのか、それともからい半分だったのかは正直なところいまでもよくわからない。
  エンジンをかけハンドルを握った私は、いっきに村上市郊外にある瀬波温泉目指して走り出した。瀬波温泉の一角には「龍泉」という日帰り入浴者専門の温泉がある。泉質もなかなか良いし、ぬるめの露天風呂は私のような長風呂好きの人間にはぴったりである。広い仮眠室も用意されているから、疲れているような場合にはゆっくりと休めて大変に有り難い。よく整った入浴設備からすると、その入浴料金もとても良心的なものである。
  瀬波温泉の龍泉には一時間たらずで到着した。ウィークデイとあってお客も少なかったから、広い浴槽がいくつもある露天風呂を独占してこころゆくまで心身の疲れを癒し、それから、空腹を満たすべく十分な食事をとった。終わってみれば、それなりに有意義ではあったが、とにもかくにもハップニング続きの一日ではあった。



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