「マセマティック放浪記」 2001年5月2日
Mathematics Odyssey May 2, 2001
今度は生きたカモシカと

  毒舌の切れ味だけは相変わらずの石田翁と雑談に花を咲かせたあと、揃って近くの温泉に出かけた。そしてそこの露天風呂につかりながら、のんびりと二時間ほどの時を送った。帰り道には美味そうな鮨を買い込み、気の向くままにそれらをつまんでは、さらに二、三時間ほど話し込んだ。たまたまヴァイオリニストの川畠成道さんのことなども話題にのぼった。
  川畠さんのヴァイオリンの素晴らしさを石田翁に伝えたのは私だったが、それ以来、翁もすっかりその音に魅せられてしまったらしく、ベッドルームの一隅にはヴァイオリンを手にした川畠さんの写真が一枚貼ってあった。見方によっては偏屈このうえない老人だが、イギリスBBC勤務をはじめとする長年の海外生活で鍛え上げられた審美眼は的確そのもので寸分の狂いもない。容易なことでは人を認めもせず褒めもしないこの老翁の目と耳に、川畠さんは適ったということなのだろう。
  無事表敬訪問を終えて石田邸をあとにしたのは午後九時半頃だった。一泊しても構わなかったのだが、あえてそうしなかったのは、十三日の金曜日のうちに別れるのが双方の美学にもかなっているような気がしてならなかったからだった。穂高町から松本を経て塩尻市街に抜けたあと、国道十九号沿いのファミリーレストランに飛び込んだ。そしてそのお店の一角に陣取って原稿書きに没頭しているうちに、時刻は十四日土曜の午前零時を過ぎてしまった。
  そこで一件落着となればよかったのだが、困ったことに、体内に棲む気まぐれ虫が、機を窺っていたかのようにもそもそとうごめきはじめた。そして、ノートパソコンのキーを叩き続けている私の耳元に、その虫が、「もう一度高ボッチに登って美しい朝焼けを見ていくのも悪くないぞ!」と、誘い煽りたてるような言葉を囁きかけてきたのである。気まぐれ虫の誘惑に抵抗するのは難しい。すぐに車に戻った私は、結局、深夜の高ボッチ山頂目指して再度アクセルを踏み込むことになってしまった。
  塩尻峠から高ボッチ方面への林道に入って間もなく、突然、前方に黄色い光の粒が点々と浮かび上がった。反射的にブレーキを踏み、ヘッドライトに浮かぶそれら二十個ほどの光点に見入ると、あるものは静止し、あるものはわずかに揺れ動きながら一斉にこちらを凝視している感じである。黄色い光の点が二個一組になっているらしいことから、それらが動物の眼であることはすぐにわかった。北海道で夜道を走っている時などにしばしば出遭うエゾシカの眼の輝きによく似ている。そう思いながら徐々に近づいてみると、やはりそれらは野生の鹿の一群であった。その様子からすると、この近辺には相当数の鹿が棲息しているらしい。
  鹿の群と別れ山頂方面に向かってどんどん高度をあげていくうちに、ちょっとした疑問が湧き上がってきた。前日拾って車に積み込んだカモシカの後脚先端部と表皮の一部らしいものは実際には鹿のものだったのではないか、という疑いを懐きはじめたのだ。しかもその思いは走行を重ねるうちにいっそう強くなってきた。
  だが、千二百メートル近くまで高度を上げたときのこと、突然、そんな疑念を一掃してくれるような出来事が起こったのだ。大型の動物のものらしい黒い影が一瞬車の前方を横切り、右手の山の斜面を少し駆け登ったところでぴたりと静止した。車を停めて様子を覗うと相手もじっとこちらの動向を探っている気配である。すぐさま懐中電灯を取りだしその黒い影のほうを照らし出すと、黄色く大きな相手の両の眼が、光輪の中で異様なまでにひときわ明るく輝いて見えた。全体的な風貌はどこか黒山羊のそれに似ていて、頭部には大きく後ろに反った感じの二本の角が生えている。しかも、懐中電灯の光を吸って黒く浮かび上がった長い顔の側面は、ふさふさとした長毛で覆われているようだった。魔王ルシェフェルの不気味な容貌をも連想させるその独特の相貌は、どう見てもカモシカのものに違いなかった。
  光を浴びながらしばらくじっと佇んでいた相手は、こちらがそれ以上近づくことができないとわかると、急な斜面を悠然と歩みのぼり、そこで大きく横に向きを変えて草か何かを喰みはじめた。いくぶん遠目ではあったけれども、黒い肢体の形だけはライトの光を通してじっくりと観察できた。明かに先刻見かけた鹿のそれとは色も形も違っている。後脚の大関節から蹄にかけての先端部は思いのほか細く短く、車に積んである二個の脚部そっくりであった。問題の遺骸の一部を見つけたのもそこからほどない所だったから、やはりそれらは当初考えた通りにカモシカのものだったのだ。
  次第に遠ざかるカモシカの黒影を見送ったあと、私は再び山頂方面に向かって車を走らせた。すでに除雪が終わっていたため、今度はなんの苦労もなく高ボッチ山頂駐車場に着くことができた。時計を見るとまだ午前三時前だったので、とりあえず日が昇るまでその場で仮眠することにした。
  午前五時少し前、人の話し声を耳にして目を覚ますと、驚いたことにかなりの数の車が駐車場にとまっているではないか。眠っている間に次々とやってきたものらしい。除雪が終わり頂上まで行けるという情報がたぶん前日のうちに流れていたのだろう。ナンバーを確認してみめるとほとんどが地元の車のようだった。
  ほどなく東の空から太陽が昇ってきた。空全体はかすかに煙った感じで、条件がベストの時の眺望に較べればいまひとつではあったが、それでも前日よりはずっと展望がきいた。北アルプスの山々もよく見通すことができたし、うっすら霞んではいたが遠く富士山の姿を望むこともできた。
  山の景色を眺めたあと、車の中で四時間ほどぐっすりと眠った。目が覚めたときには気温もかなり上がっていて、吹きぬける風も心地よい涼風に変わっていた。西側足下の安曇野越しに視線を送ると、穂高、常念、槍ヶ岳などの山々の頂きが、高く昇った太陽の光を浴びて白く鋭く輝いて見えた。
  山頂駐車場をあとにする前に、ビニール袋に入れて積んでおいたくだんのカモシカの脚部の先と表皮の一部がどうなっているかを確認してみた。拾った時にはかなり乾いているように見えたのだが、車内の温度が高いせいもあってかなり腐食が進んだらしく、鼻を突くような異臭を発している。表皮の体毛もちょっと触っただけでポロポロと抜け落ちてしまう有様で、とてもそのまま長期にわたって保存できるような状態ではなかった。
  しかたがないので、塩尻峠へと向かって下る途中で前日カモシカの遺骸を見つけた場所に車を停め、背骨の一部を埋葬したのと同じところに残りの部分も埋めてやることにした。まさか高ボッチでカモシカの遺骸の一部を発見し、結果的にそれらを埋葬してやることになろうとは予想だにしていなかったのだが、それもまた「他生の縁」と呼ばれるもののひとつではあったのだろう。
  塩尻峠で国道二十号に合流し、もう少しで岡谷インターチェンジに到着ようという時になって、突然また脇道病の発作にとりつかれてしまった。岡谷インターチェンジから中央道に上がらず、その少し手前で右折して塩嶺城パークラインに入り、辰野方面に抜けてみようと思い立ったのである。ずいぶん昔に二、三度通ったことのある道なのだが、当時は細いダートの山道で、深い林に覆われ展望もほとんどきかなかった。ところが、地図で調べて見ると、近年はすっかり道路が整備され快適なドライブウエイへと変貌を遂げているらしい。塩嶺城パークラインなどという洒落た呼称をつけられたのも多分そのためなのだろう。それならば一目その変容ぶりを見ておくのも悪くないだろうというわけだった。
  塩嶺城パークラインに入ると再びどんどん高度があがりいっきに展望が開けてきた。通行車こそ少ないが、道路は完全舗装され周辺の景観も昔と違って綺麗に整えられている。木立の間からは穂高や乗鞍など、北アルプス方面の山々も遠望された。気分をよくしながらしばらく走ると、小広いパーキングエリアのある展望台に着いた。まだできて間もない感じの展望台である。
  展望台に立った私は望外の風景に思わず息を呑んだ。眼下いっぱいに諏訪湖が広がり、その向こうには八ヶ岳連峰がパノラマ写真そのままに雄大な姿を見せている。これまでにもいろいろな角度から諏訪湖や八ヶ岳の景観を眺めてきたが、この位置と角度からそれらを目にするのはこれが初めてのことだった。右下はるかには、諏訪湖の水が天竜川水系となって流れ出るあたりの谷間と、その谷を跨いで三方にのびる中央道と長野道が鳥瞰された。展望台の位置が程よい高さと距離方角にあるためか、諏訪湖そのものの景色も他のビューポイントから眺めるよりもいちだんと素晴らしかった。
  だが、それにもまして驚いたのは八ヶ岳の展望の見事さだった。一口に八ヶ岳とはいうものの、この連峰は横に長く大きく伸び広がっていて、その全容を一望のもとにおさめるのは意外に難しい。私の知るかぎりでは、東側の野辺山高原一帯や秩父山系周辺の山野には、蓼科山から編笠岳までにいたる八ヶ岳の全貌を望めるところは見当たらない。中央高速道の茅野、諏訪あたりからはかなりよくは見えるのだが、いかんせん高度が低すぎるうえに近辺に人工物が多過ぎる。高ボッチ山からの眺望はそれなりに満足いくものではあるが、展望角度の関係で八ヶ岳連峰を構成する個々の山々の形を十分に把握するのは容易でない。
  ところが、この展望台からは、霧が峰高原の車山、蓼科山、横岳、縞枯山などにはじまり、天狗、硫黄、赤岳、権現、編笠にいたるまでのすべての峰々とその形までをはっきりと望むことがでるのだった。個々の峰々の名と形を正確に刻み記した案内板を見るまでもなく麦草峠の位置さえも識別できたのは、想いの外のことであった。名前すらついていない展望台ではあったが、その眺望に少なからず圧倒された私は、八ヶ岳を縦走した青春の日の記憶を甦らせながら、しばし深い感慨に耽り続けた。



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