「マセマティック放浪記」 2001年1月17日
Mathematics Odyssey January 17, 2001
ネットワールドの黎明期

  PC-VANやNIFTY-SERVEといったパソコン通信会社が誕生し、サービスを開始したのは十数年前のことである。当時のパソコン通信会員の平均年齢は現在に較べるとはるかに高く、三十五歳から四十歳くらいではなかったかと思う。その頃はまだコンピュータがきわめて高価なものだったうえに、通信速度も1200bps程度と遅く、そのぶんだけ通信時間も長くならざるをえなかった。だから、調子に乗って長時間チャットにはまったりしていると電話代その他の通信費はばかにならない金額になったりした。若者たちが気軽にパソコンを買って通信に参加するわけにもいかなかった時代のことだから、通信会員の平均年齢が高かったのは当然のことだった。
  当時の通信仲間内では「ミカカ料に苦しんでます!」なんて言葉が挨拶代わりに飛び交っていたものだ。カナ文字の「ミ」がアルファベット文字の「N」と、また同じくカナ文字の「カ」がアルファベット文字の「T」と同じキーになってなっているのをキーボード上で確認してもらえばわかるように、「ミカカ料」とは「NTT料」、すなわち電話代のことだった。当時富士通に勤めていたある通信仲間のように、気がついた時には一ヶ月の通信費が四十万円にものぼってしまうという悲惨な事態に見舞われる者なども出現した。
  リアルタイムで一度も会ったことのない人々との会話が楽しめるチャットにはまり、毎晩数時間以上も回線をつなぎっぱなしにしていたことがその悲劇の主因ではあった。さらにまた、初期のパソコン通信システムには一定時間端末機からの送信がなければ通信回線を自動的に切断する機能が組み込まれていなかったから、通信中に眠り込んだり、なにかの事情で回線切断を忘れたりすると、知らぬ間にその間の膨大な通信費が加算されるという泣くに泣けない事態も起こった。日本の通信費はまだ高く、インターネット普及のためにはより大幅な通信費のコストダウンが必要なことは言うまでもないが、当時の状況にに較べれば最近はずいぶんとましになったとは思う。
  幸いなことに、私の場合、仕事がらもあって民間企業などからパソコンを無償貸与され、また長期間無料アクセスが可能な特殊個人IDを通信会社から試供されてもいたから、電話代さえ自己負担すれば、各種の通信試行実験をしたり、暇な時などにパソコン通信を存分に楽しんだりすることはできた。もっとも、最小限の費用でパソコン通信を享受する便宜をはかってもらった代償に、好むと好まざるとにかかわらずコンピュータ関連の仕事をさせられたり、通信をはじめとするコンピュータ分野がらみの原稿を書かされたりするはめにもなった。「只ほど高いものはない」という諺ほどではないにしても、結果的にはそれと五十歩百歩の状態に追い込まれたわけである。
  それにまた、「通信を存分に楽しんでいた」などと言えば聞こえはよいが、実際には、楽しむというのを通り越してその不思議な魔力にすっかりとりつかれた状態にあったから、時間のロスときたらこれまた大変なものであった。ようするに、夜な夜なチャットをしたり、常連メンバーが集まるフォーラムを覗いたりBBC(掲示板)に何かと書き込んだりしなければ気がすまない「パソコン通信中毒症」に陥りかけていたのである。最近話題になりはじめている「インターネット中毒症」や「iモード中毒症」の前段階的症状とでも言ったものだったと考えてもればよい。当時の通信システムの処理能力の低さやトラブルの多さも手伝って、時間的ロス(ロスだったのかゲインだったのかは本当のところよくわからないのだが……)もまた相当なものにならざるをえなかった。
  当時のnifty-serveではチャッティングコーナーはCB(current board)と呼ばれていた。そして、夜になると指が勝手に動き出し、いつの間にかCBコーナーにアクセスしている病的状況のことを、通信仲間たちは当時から「CB中毒症」と呼んでいた。そして、CB中毒症の特効薬は「課金」しかないというジョークなどが交わされたりもしていたものだった。「課金」とは当時のnifty-serveの従量制月額通信料のことで、まるで税務署の徴収する課税金をも連想させるこの表現をnifty-serve自らが用いていた。しかもこの課金、パソコン通信にかかる電話料と同じくらい高かったのである。昨今の「インターネット中毒症」にもこの手の特効薬が効けばよいのだが、様々な割引制度ができプロバイダー利用料金も電話料金も格段に安くなった現在では、その効力を期待するのは無理なようだ。

  当時は文字情報だけを送受信するのが精一杯で、データ量のきわめて多い画像のやりとりなどは困難だったが、それでも、チャットのコーナーやBBS、名物フォーラムなどは盛況をきわめていた。strangerというハンドルネームとPEI00015という懐かしいIDを用い、常連会員として四六時中私が顔を出していたnifty-serveの場合、同通信ネットの開局から二、三年経たころの登録会員数はまだ二万人ほどで、実動会員にいたってはその一割の二千人ほどでに過ぎなかったようだが、初期特有の物珍しさも手伝って結構な賑わいぶりであった。
  当時のシステムはよくダウンしたり、そうでなくてもちょっとアクセス数が増えただけでデータ処理速度が超スローになったりしていた。チャットの最中にドンと落ちてしまったり、「ハロー」と入力すると一、二分してからようやくモニター画面に「ハロー」という表示があらわれたりすることなどしょっちゅうで、そのため間の抜けた珍妙なチャットが繰り広げられることも少なくなかった。時にはチャットの途中なにかの拍子で回線が切断され、自分のハンドルネームがチャットコーナーに表示されたまま残ってしまうことなどもあった。この「幽霊」と呼ばれる状態に陥ってしまうと、他のチャット仲間が呼びかけても無反応のままであるばかりか、当人が再アクセスしようとしても「二重ログインです」という表示が出て、にっちもさっちもいかなくなる有様だった。
  パソコン通信の初期の時代は会員の平均年齢が高かった反面、個性豊かで好奇心旺盛な各界の著名な人物などが結構顔を出していて、チャットコーナーや掲示板、名物フォーラムなどは多士済々の感があった。当時はどのコーナーもハンドルネームかIDだけを使った匿名での参加が可能だったから、ほとんどの者が本名や職業経歴をいっさい公開することなくパソコン通信を楽しんでいたが、ネット上で長く付き合っていると徐々に相手がただ者ではないことがわかってきたりして驚かされることもしばしばだった。
  時代の移りとともにネットが広く一般に普及して会員年齢層の大幅な若年化が進み、またBBSなどへの匿名の書き込みなどが規制されるに及んで、初期の名物常連会員たちは次第にネット界から姿を消していった。私自身も、ネットがどのようなものであるかを一通り体験し、それに関する著作を上梓し終えたあと、あれほどまでにどっぷりとつかっていたネット界に一線を画すようになった。最近ではネットへのアクセスは仕事上どうしても必要なときだけに限るようにしているのだが、その意味ではIT革命の声高らかな現代の趨勢とはまるで逆のことをやっていると言ってよい。当時の若手常連会員で、いまもネットで活躍中の者もまだかなりいるあようだが、彼らももうそれなりの年齢に到達しており、かつてのようなムチャクチャぶりを発揮するわけにもいかなくなっていることだろう。
  私が盛んにネットに出没していた頃は、チャットやメールなどを通じて相手が魅力的でしかも十分信頼に値する人物であるとわかると、本名や職業を相互に伝え合い、直接に対面して親交を結び合うこともすくなくなかった。日常的な生活を通じては絶対に出逢うことのない人々とのストレートな対話の場を難なくつくりだしてくれる通信ネットの威力に、いい歳をした初期の中年ネットマニアたちはおおいに感動したものである。まだ多くの人々はコンピュータ通信に無関心であり冷ややかでもあったが、私自身はこの時代すでにネットの将来性を確信するようになっていた。
  いま流行のiモード携帯電話によって不特定多数の未知の相手との交信を楽しむことなどは、初期のパソコン通信の延長線上にあるわけだ。一昔前のあの不思議な感動を思えば、若者たちがそれに熱中するも当然のことだという気がしてならない。
  実名を列挙するわけにもいかないが、当時のnifty-serveのCB(チャットコーナー)やBBS(掲示板)の常連メンバーの中には、当時からその世界では著名だったり、その後に著名な存在になった学術界、芸術界、文学界、法曹界、放送出版界、政界、実業界などのスペシャリストが多数いた。たとえば作家ひとつを例にとっても、既に直木賞作家や芥川賞作家だった者、ほどなくそれらの賞を受賞した者など数人の名を挙げることができる。あえて書かせてもらうとすると、当時はまだ作家としてスタートしたばかりだったが、その後直木賞を受賞し、現在では押しも押されもせぬ流行作家になっている乃南アサさんなどもそんな常連の一人だった。
  それなりの専門知識を持つ上に人一倍好奇心も遊び心も旺盛な連中が寄り集まってチャットを繰り広げたりしていたわけだから、壮絶なバトルあり、底抜けのジョークあり、悪ふざけあり、くどきあり、人生相談ありで、それはそれは賑やかなものだった。現在の状況がどうなっているか確認はしていないが、もしかしたら当時のチャットのほうが熱気に溢れていたかもしれない。まだ画像が送信できず文字画面だけで交信しなければならない状況ではあったが、そのぶんよけいに想像力が喚起されるという一面もあった。画面の文字だけを眺めていると相手が絶世の美女や美男子に見えてくる「チャット美人症候群」や「チャットハンサム症候群」に陥る者なども少なくなかったように思う。
  チャットやフォーラム、BBSなどで廻り逢った異性に対し恋心を抱くようになり、忙しい仕事の合間を縫って連日のように言葉のかぎりを尽したメールを書き送り、ようやくのことで相手とのオフライン(オンラインをもじった言葉で、直接交信相手に会うことをいい、一時期、パソコン通信仲間で大流行していた)の約束を取りつける。そして、高鳴る胸を抑えながら、いざ約束の待ち合わせの場に臨んでみると、あれほどに期待と確信を込めて築き上げたはずの理想の異性像はどこへやら……、かわりに現れた、何かの間違いではないかないかと我が目を疑いたくなるような相手に向かって、ひきつった顔でその場しのぎのジョークを飛ばし、ここは我慢と密かに己を御しながら深い反省と後悔のひとときを過ごすといった事態も生じた。
  あわよくば一夜をともに明かし……などという当初の思いはどこへやら、急用ができたからという苦しい口実をつけたりして、一夜どころか一時間も経たぬうちにそそくさと席を立つ。そして、幻影を実体と信じた己の愚かさを恥じながらぐったりとした気分で帰途につく。しまいにはネット会社や電話会社に貢いだお金ばかりかチャットやメールのやりとりに費やした時間までがなんとも惜しまれてならなくなる。あれほど頻繁にメールを書き綴ったのがうそのように、翌日からは相手に簡単なメッセージを送る気力さえも消え失せて、申し訳ないとは思いつつも、チャットなどでまた出逢って親しく話したりするのがなんとも億劫になったりもする。それならと別の出逢いを求めてまたチャットの場に顔を出したりすると、ハンドルネームやIDを目ざとく見つけたくだんの相手は、チャットの秘話機能を使って二人だけで話さないかとしきりに誘いをかけてくるものだから、ますます対応に窮することになったりする。
  いささかオーバーな書き方に思われるかもしれないが、インターネット時代に先立つパソコン通信の世界では笑うに笑えないこのような事態がしょっちゅう起こっていたのである。皮肉なことに、このようなケースにかぎってオフライン後は攻守すっかりところをかえ、逆にうんざりするようなラブ・メールの攻勢にあうことも少なくなかったようである。そのような時に裏IDのひとつも欲しくなるのはまた自然の成り行きに違いなかった。



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