科学・教育雑想コーナー 連載第8回/2003年9月10日
コンピュータサイエンスから見た人間の脳 @ 
 コンピュータサイエンスというと、一般的には非人間的なものだというイメージが強いのですが、実際のところは必ずしもそうではありません。コンピュータサイエンスの中には「認知科学(Cognitive Science)」という比較的新しい専門分野があるのですが、この領域の研究は1960年代半ば頃から、アメリカを中心にして大きな進展をみせるようになりました。現在人工知能研究などをはじめとするコンピュータサイエンスの最先端の仕事に関わる人たちのほとんどは、この認知科学の立場から諸々の研究を進めているわけなのですが、ある意味でそれらの研究は人間そのものの探究と言ってもよいかもしれません。
 人間の知覚の問題や認識力、思考力などの問題を、神という名の超越的存在に委ねるのではなく、人間の理性に基づいて一つひとつ説明づけていこうとしたのは紀元前のギリシャ人たちが最初でした。いわゆるギリシャ哲学、換言すれは、人間の知性とそれに基づく合理性重視の科学的思考法がその時代に誕生したのです。むろんギリシャ哲学の理念そのものはたいへん素晴らしかったのですが、残念なことに、ギリシャ人たちはその理念を徹底して具現化するための確実な方法を持ち合わせていなかったのです。
 ところが、40年ほど前に、このギリシャ哲学の古典的な問題をもう一度根底から考えなおしてみようという動きがアメリカを中心にして興ったのです。そして、その時に多くの研究者たちが強力なツールとして注目したのがコンピュータでした。コンピュータというものを媒介に、数学者、物理学者、医学者、文学者、言語学者、心理学者など、あらゆる分野の最先端の研究者の英知を結集し、もう一度人間の根源的問題を考えてみようということになり、やがてその動きが認知科学という新たな学問領域へと発展していったのです。
 認知科学においてはコンピュータというものはオグメンテーション・ツール、すなわち、思考増幅の道具として、別の言い方をすれば、思考の顕微鏡、思考の望遠鏡として位置づけられるようになりました。コンピュータというものを、人間の思考を飛躍的に拡大発展させる補助手段だとみなしたわけです。心の顕微鏡、心の望遠鏡というふうに考えてもらってもよいでしょう。
 むろん、コンピュータはシミュレーション(simulation)ツールとしても重要視されるようになりました。たとえば脳の研究などにおいては、コンピュータ技術を活用してシナプス(脳神経細胞)のモデルをつくり、人間の脳内で起こっている現象を詳細に調べてみるわけです。また、コンピュータにはデータを高速演算処理する能力がありますから、複雑な立体構造をもつ図形の処理に利用されたり、医療診断システムの頭脳として活用されたり、核磁気共鳴反応を応用した人体の断面写真撮影や脳の構造の解析などに用いられたりするようになりました。
 人間の思考の原点は脳の中にあるわけですから、脳の各部の活性反応を調べながら、そこでどのようなことが起こっているかを実際に研究してみたり、一種のバーチャルリアリティ技術を活用して精密な脳の立体映像をつくりだし、これこれのメカニズムが働いているのではないかと推定しながらいろいろ細かいチェックをおこなっていくわけです。ともかく、そのようにコンピュータを使いながら、文学や芸術の分野をも含めた様々な立場の研究者の知恵を結集し、人間というものを根源的に考えなおそうというわけですから、認知科学とは学際的でしかもたいへんダイナミックな研究ジャンルでもあるのです。ただ、日本ではその存在はまだあまり知られてはおりません。日本においては、認知科学の学会が発足してからまだ十数年しか経っていないようなのです。

 はじめに述べましたように、 コンピュータの研究に関わっている人というと、世間からはメカニカルな思考をもつあまり人間の本質というものに関心のない人物だと誤解されがちなのですが、それは大きな間違いです。コンピュータサイエンスの最先端分野に関わる研究者たちは皆、人間というものがどんなにすごいものであるかということを再認識させられているというのがほんとうのところなのです。人工知能の研究などをどこまでも進めていくと、結局は、人間とは何かという問題に突き当たらざるをえないのです。
 最近も、ゲーリー・カスパロフというチェスの世界チャンピオンをコンピュータが打ち負かしたとかいう話題がマスコミをにぎわしました。マスコミはなかなかそこまで深く報道してはくれないのですが、私たちはこのニュースの裏に隠されている問題をもうすこし深く考えてみなければなりません。コンピュータが人間のチェスチャンピオンに勝ったのだから、ついにコンピュータが人間に勝ったと考えるのは早計なのです。
 もしもディープ・ブルーと名づけられたそのコンピュータが人間のチャンピオンと同じような極力無駄を少なくした効率的な思考方法(ヒューリスティックと呼ばれています)をとって勝利をおさめたというのならそれなりに評価はできるかもしれません。しかしながら、コンピュータの能力はいまのところそこまでは到達していないのです。人間的な思考法をプログラムとしてかなり取り込んであるとはいえ、全体としてはしらみつぶし的な方法で、すなわち、人間なら一目見ただけで指さないような手筋をもあれこれと検証しながら、計算力という腕力に任せて処理をおこなっているだけなのです。だから、途方もない演算力をもつスーパーコンピュータが必要となってくるのです。もちろん、チェスに関しては、すべての状況を詳細に調べ上げそのうえで指し手を選択する能力にかぎるならコンピュータが人間をうわまわったことは事実です。
 ただ、人間のすごさというのはもっと違うところにあるようなのです。それに話をゲームのみに絞ってみても、日本の将棋などはヨーロッパのチェスに較べてルールも指し手もはるかに複雑多様です。そのため、日本の将棋を最新のスーパーコンピュータに教え込んでも、まだまだ人間の名人には及ぶべくもありません。ましてや囲碁となると、コンピュータにとって人間の名人ははるかに遠い存在です。現在は我が国のコンピュータサイエンスの第一人者になっている研究者がまだ東大の大学院のドクターコースにいたとき、コンピュータに囲碁を教えるということを研究のテーマにしたことがありました。彼は二年間くらいそのテーマに取り組んでいたのですが、その後たまたま会ったときに研究の進み具合を尋ねると、
 「囲碁の場合はとても複雑怪奇で、現代のコンピュータではまだとても手に負えませんね」
と言うのです。アマチュアの二・三段レベルまでならともかくとしても、プロ棋士の実力にまで到達させるのは絶望的に難しい――ルールがずっと単純ではるかに変化の少ないチェスだったら可能なのだろうけれど、囲碁の場合は問題外だというのです。そして、その状況は現在でも変わってはいないようなのです。
 詰め将棋などの場合、人間なら誤った手筋に入るとそれから先はいくらやっても無駄だということが何となくわかり、そこで手を止めるのですが、コンピュータのほうは、放っておくとそこから先も延々と演算を続けていきます。「どうやらこの手筋は間違っているらしい。だからそろそろこの手順は放棄したほうがいいだろうな」という人間的な状況判断がコンピュータにはできませんから、何手以上に手数がのびたらそこで演算を中止しろとか、これこれの状況の時はその筋を捨てよとか指示するプログラムを組み込んでやらないかぎり、スーパーコンピュータといえどもたちまちハングアップしてしまうのです。ところが、実際の将棋や囲碁では、その状況判断のプログラムを作るのが絶望的に難しい。囲碁などでは、「勝つ」ということがどういう状況なのかを教え込むことさえ容易ではありません。ですから、コンピュータがチェスの名人を負かしたというだけで、すぐにコンピュータが人間の思考能力を追い越したという話にはならないのです。しかも、コンピュータにチェスのプログラムを教え込んだのは同じ人間なわけで、コンピュータが自分でそのプログラムを考えたり、その自動修正をしたりしたわけではありません。
 もっとも、人間の思考判断のメカニズムとは異なるメカニズムに従って作動するコンピュータという機械が、チェスというゲームにおいて人間のチャンピオンを打ち負かすところまで発達を遂げたという点は高く評価するべきでしょう。演算速度を誇るスーパーコンピュータといえども、自ら解決すべき問題を発見し、その問題を解くために高度な微分方程式を立てるなどということはできませんが、与えられた方程式や計算式を解く速度に関しては最早人間の及ぶところではありません。それと同様に、複雑なルールや設定をもつチェスゲームそのものを発案することはできないが、実際のチェスゲームにおいてはコンピュータが人間のチャンピオンを破ることができるまでになったということは(ただ、この場合も人間がコンピュータを操作しなければならないわけですが)、それなりに大きな意味のあることは違いありません。

 話は変わりますが、人間の大脳の脳神経細胞数はおよそ140億個だそうです。それに対して大脳の10分の1の重さしかない小脳の神経細胞は1000億個以上あるといわれています。いったいそれはなぜなのかというのが研究者たちの長年の疑問でした。すこし以前までは小脳には運動などに関わる二次的な機能しかないとも言われてきました。大脳が殿様なら小脳はせいぜい小間使い程度の家来にすぎないとみなされていたわけです。ところが、近年、コンピュータサイエンスサイドからの脳の研究が進み、小脳の機能について新たな発見がなされました。
 現代では、脳の研究は、従来のような医学や生理学、病理学的な立場にくわえ、コンピュータを活用した工学的な立場からも研究がおこなわれるようになっています。工学的な立場から脳を研究する学者は、生理学の研究データをもとにコンピュータで脳の部分モデルやシナプス網のモデルを構築してそのメカニズムの解明にあたっており、近年の工学的な側面からの脳研究の成果には目を見張るようなものが数多くあるのです。
 記憶には、まず「遺伝子的記憶」、すなわち、DNAの中に組み込まれている億年単位の生物学史的記憶があります。次に脳の働きによる後天的な「学習記憶」があるわけですが、これは三つに大別されます。一つは脳内の海馬の働きによる短期記憶です。短期記憶を司る海馬という器官は、コンピュータでいうと現在作業中のデータを処理するCPUという演算装置に相当しています。次にコンピュータのハードディスクやフロッピィディスクに相当する長期記憶がありますが、これは記述的記憶と手続き的記憶とに分けられます。記述的記憶とは言語をはじめとするいわゆる知識に関係する記憶で、それを実際に処理しているのは大脳です。いっぽう手続き的記憶とは、自転車の乗り方に代表されるように、長い生活の中で体感的に身につき、意識しなくても必要に応じて反射的に出てくる行動のベースとなる記憶のことです。そして運動能力と深く関わるこの手続き的記憶を扱うのは小脳です。
 小脳が運動能力と深く関わる手続き的記憶を処理する器官だということはいま述べたばかりなのですが、実はそれ以上に重要な機能が小脳にはあるらしいということがわかってきたのです。小脳欠損者の場合、うまく主語と述語を結びつけることができなくなる、より具体的な例を挙げると、主語と述語を正しく組み合わせて文章を完成するというような作業が全くできなくなってしまうというのです。言語において単語のような意味的な知識は大脳で処理しているのですが、最も根源的な発語行動のメカニズムはどうやら小脳によってコントロールされているらしいのです。初めて自転車に乗るときなどは、右に倒れるから左にハンドルを切ろうなどと大脳で思考しながら進もうとするものだからうまくいかず、すぐ倒れそうになってしまいます。ところが自転車に乗ることに慣れてくると、何も考えなくてもうまくバランスをとりながらスイスイと漕ぎ進めるようになります。むろん、その頃には自転車のハンドル操作は小脳によってコントロールされるようになっているわけです。どうやらそれとまったく同様のことが言語に関しても起こっているらしいのです。
 言葉を憶えたての子どもは主語と述語の使い分けがうまくできません。しかし大脳を使いながらたどたどしい発語を繰り返すうちに、やがてその処理プロセスを小脳が代替するようになり、そうなるとあとは自然に言葉が話せるようになるというのです。
 1000億個以上もの神経細胞からなる小脳は、それまで想像されていた以上にすごい働きをする器官ではないかと考え、そこに光を当てた研究者たちがいます。その研究者たちがアルツハイマー症の患者の脳をPET(陽電子放射線断層撮影法)を用いて調べると、大脳が機能していないのに小脳の部分が通常以上に激しい活性反応を示しているということがわかってきたのです。本来大脳がやるべき仕事を、大脳が正常に機能しないため小脳が代替しようとして活動しているからではないかと彼らは考えているようです。また、たとえば、一流のジャンプの選手やマラソンランナーなどがどこでどう姿勢を制御したりスピードをコントロールしたりするかといったようなイメージトレーニングをするとき、その選手の脳を同じPETを用いて調べてみると、やはり小脳が強い活性反応を示すようなのです。どうやら小脳には大脳のシミュレーション機能があって、大脳に不都合が生じた場合に備えて待機し、いざというときには大脳をバックアップするようになっているらしいのです。不慮のトラブルに備えたコンピュータのバックアップ機能と似たような働きを小脳が担っているというわけです。(続く)  
                                   (ほんだ・しげちか)


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