科学・教育雑想コーナー 連載第20回/2004年3月10日
夕日の石廊崎にて 
 ある雑誌記事の取材のために伊豆半島に出向いたついでに、久々に石廊崎を訪ねてみました。西寄りの強風の吹きまくる一日のことでしたが、空は雲ひとつなく晴れわたっていたので、黒潮に洗われる石廊崎の突端に立てば素晴らしい夕陽が見られるだろうと思ったからです。午後五時十五分頃、岬の先端へと続く尾根上の広い公営駐車場に着いたのですが、かつてはかなりの賑いをみせていたその駐車場に他車の影はなく、しかも、その入口には、この駐車場は五時三十分をもって閉鎖する旨の注意書きが掲示されていました。
 この無料駐車場から石廊崎の先端までを往復するには急ぎ足でも三十分以上かかります。この日の日没時刻は午後五時四十五分くらいでしたから、夕陽が沈むのを眺めてから駐車場に戻ってきたのでは車が出られなくなってしまいます。やむをえないので、すこし離れたところにある国道の路肩に車を駐め、本来の駐車場を抜けて岬のほうへと歩き出しました。安全管理上の問題や管理担当者の勤務時間の都合でこういうことになっているのでしょうが、意地悪い見方をすると、これではまるで、「石廊崎では夕陽は見るな! 石廊崎の星空は見るな! 満月に照らされる石廊崎の海は見るな!」と言っているに等しいとも思われます。通常の観光客の訪れる時間帯とは異なる時刻に訪れるお客のために、なぜ小さな駐車スペースくらいは残しておけないのでしょう。
 もちろん、私自身は過去なにかにつけてこの一帯を歩きまわっていましたから、いざとなったら他にも石廊崎に抜ける裏ルートがあることを承知してはいましたが、夕陽や星空を見ようとしてやってくる一般旅行者のほとんどはそんなことなど知るよしもありません。石廊崎の観光は明るいうちにやるもので、安全上もなにかと問題のある日没時や日没後になどにこんなところを訪れるのは変り者のやることだ、などという勝手な思い込みがあるとすれば問題だと言わざるをえません。
 明るい陽光のもとで目にするものだけが大自然の美しさなのではありません。夕陽のもとで見つめる自然も、月光のもとで眺める自然も、ほのやかに星明かりのなかに浮かぶ自然も、そして闇の奥に眠る自然も、美しさという意味ではみな同等なのです。しかも、成長期にある人間が将来にそなえて自然のなんたるかを学び、のちのちの自然観や人生観の根幹となる原風景をその心の中に形成するのは、むしろ後者のような自然体験が不可欠なのです。離島育ちの私などは「闇を砥石にしておのれの感性を磨き上げた」といっても過言ではありません。過剰な安全思想や保護施策は人間本来の能力というものを損ないこそすれ、それを高めることは絶対にないでしょう。
 実を言うと、息子や娘がまだ幼稚園児や小学生だった頃、私は日没前後の時刻や深夜などにこの石廊崎一帯に何度か連れてきたことがありました。そして、幼かった彼らに、夕陽を見せたり、満月を眺めさせたり、星空を仰がせたり、懐中電灯を頼りに夜の岩場や波の打ち寄せる荒磯を歩かせたりしたものです。昨今の風潮からするならば、そんな危ないことをするなんて非常識きわまりないということにもなるのでしょうが、こどもたちはそんな小さな冒険を結構楽しんでいたように思います。
 そんなことなどを想い出しながらともかくも岬の先端へと向かって歩き出したのですが、私の心中は複雑でした。日本国中を旅するのでよくわかるのですが、安全管理が十分できないという理由だけで、探訪時間が日中だけに制限されるようになってしまった自然公園や自然探索路が増えてきているのは事実です。表面的にはもっともらしいことのように思われるかもしれませんが、よく考えてみますと、このような状況は本質的な人間の成長や自立にとって憂うべきことだといってもよいでしょう。自らの不注意でなにか事故が起こったりしたときでも、自己責任をとらず、すべてを社会制度や教育システムのせいにする昨今の大人たちの態度が、結果的に過剰な「安全性絶対視」の現状を生みもたらすことになったのでしょうが、長期的にみた場合、そういった考え方が我々の社会にとってほんとうにプラスとなるとはとても考えられないのです。
 台風の本場で育った私などは、南九州の離島の断崖の上などにどんな暴風雨にも耐えうるほどに頑丈な構造の宿泊用展望ハウスを建造しておき、猛烈な台風の襲来したときなどに、想像を絶するまでに凄じい風雨や耳をつんざくような雷鳴、牙を剥き出して荒れ狂う海の光景などを体験してもらうのもよいかもしれないと考えています。台風の猛威を体感できる展望所などというものを本気で造って宣伝したら、好奇心旺盛な都会育ちの人などにはずいぶんとうけるだろうなと想像したりもしています。猛威をふるう台風そのものの様態も大変なドラマですし、台風襲来前後の空や海の異様な光景などにも思わぬ発見も数多くあったりしますから、都会育ちの人々などにとって一見の価値があることは疑うべくもありません。こんなことを述べると顰蹙をかうかもしれませんが、私自身は、いまの日本社会の教育に欠けているのはよい意味でのそのような好奇心や冒険心の育成なのではないかと考えています。
 駐車場を抜けてしばらく歩くと、見覚えのある長大な半円筒状の建物のそばに出ました。かつては「ジャングル・パーク」として各種の熱帯植物や動物類を見学したり観察したりすることのできる石廊崎名物の施設だったのですが、無残に荒れ果てたその建物の入口付近には「当園は閉園しました」と記された小さな看板が掛かっていて、カランカランと風に空しく揺れていました。幾重にも重なり長々と続くその建物の左外側にそって石廊崎の突端方向へと歩きながら、あちこちの破れ目などからその中を覗くと、手入れもされぬままに取り残されたかたちの熱帯植物類を含めてその内部は悲惨このうえない状態になっていました。
 バブルがはじけて以降、観光客が激減してジャングル・パークの運営会社は倒産し、廃園となった施設そのものを解体撤去する費用もないままに放置され、このようなことになってしまったのでしょう。国内のあちこちでテーマパークの経営が成り立たなくなり、どこもその始末に困り果てているようですから、石廊崎のジャングル・パークなどもその事例のひとつにすぎないのでしょう。廃棄された施設とはいえ、これだけの規模のものを解体処理するとなると、おそらく何千万円、下手をすると一億単位もの費用がかかるでしょうから、問題の解決は容易なことではないでしょう。
 このジャングル・パークには、ずいぶん昔にこどもらを連れて二、三度入園したことがあり、そのときはそれなりにもの珍しくも面白くも感じたのですが、そのいっぽうにおいては、当初から、私のなかには、「なんでこの自然の景観に恵まれた石廊崎に……」という思いがあったりもしました。結局のところ、一時的な経済力にものをいわせただけの理念もなにもない似非自然教育の化けの皮が剥げ、そのつけがまわってきたということなのでしょう。
 岬へと向かう途中のお店もみな廃店となりぶざまな様相を呈していました。それにしても、石廊崎の素晴らしい自然の景観そのものに魅せられてやってくる人々だってまだまだすくなくはないだろうに、以前だったら考えられないこの廃れ様はいったいどうしたことなんだろう――そんな疑問が一瞬私の脳裏をよぎりました。そしてそのあと、ふと思いもしました。つまるところ、これもまた、成長期における本物の自然教育や自然体験の欠如のゆえに、現代の中年層や若年層の多くが自然美に感動したり自然の妙や自然の驚異を楽しんだりする能力、さらには自然そのものへの適応能力を失ってしまった結果ではないのだろうかと……。もちろん、少子化が進み、わざわざ石廊崎のようなところを訪ねる家族がすくなくなったということもあるのでしょうが、それだけでは説明がつかないような気がしてなりませんでした。
 そんなとりとめもない想いにひとり耽りながら灯台の脇を抜け、ほどなく石廊崎の突端に立ったのですが、幸い、そのあたりは昔のままの景観をとどめていました。西風が猛烈に吹きまくり、周辺の岩などに掴らず立ったままでいると風圧で身体がぐらつくほどでしたが、散在する一帯の大岩礁にドスーンとばかりにぶつかり砕け散る激浪の純白の飛沫が、眼下の海面を霧のように覆っていました。太陽は大きく水平線目指して傾き、西の空は息を呑むような茜色に染まっていました。太陽が沈む方向の水平線上にはほとんど雲はかかっていなかったので、久々に素晴らしい落日を見ることができるのは確実でした。
 石廊崎の突端に着いたときは私ひとりだけだったのですが、あとから一組の男女がやってきました。自分のほかにも粛々とした冬の夕陽を楽しむ者がいることを知って心から嬉しく思いつつも、いっぽうで、恋人同士と思われるその男女の「二人だけの孤独」の邪魔をするのもいささか気がひけたので、私は海をはさんで前方に大きく突き出しているもうひとつの岬状の岩場へと移ることにしました。太陽が沈むまでにまだ十分ほどはあるので大急ぎで行けばまだ間に合うと判断したからでした。
 半ば駆け足状態でもう一度灯台の脇を通り抜け、立ち入り禁止となっている立札を無視して荒れ果て廃屋化した無人の店の敷地を横切ると、地元の釣り人しか知らないような細い魚道のある林の中に入りました。石廊崎周辺の岩場をさんざん探索し、以前にその付近の海中で素潜りしたこともある私は、周辺の地理には十分に通じていました。蔦や草に覆われ半ば消えかかった林の中の細く薄暗い魚道を抜けると、再び大きく視界が開け、目指す岬状の岩場の上に出ました。真紅の輝きをますます濃くした太陽がちょうど水平線に差しかかろうとしているところで、その周辺の空はもの悲しいほどに真っ赤に燃えたっていました。
 太平洋側にあって、石廊崎は水平線の向こうに沈む夕陽が見られる数少ない場所のひとつです。日本海側なら水平線に沈む夕陽が見られるところはいくらでもあるのですが、地理的な理由からして太平洋側ではそのような場所はほとんどありません。この日の太陽はそんなこちらの期待に応えてくれでもするかのように、ゆっくりと水平線の向こうに姿を隠していきました。その姿は豆粒ほどの大きさにしか見えませんでしたが、石廊崎の突端に残してきた若い男女もきっと二人だけの孤独にひたりながら素晴らしいこの日の夕陽を眺めやっていたことでしょう。
 太陽が沈むと西寄りの空で三日月が青く鋭い輝きを見せはじめ、それからほどなく宵の明星をはじめとする星々が三々五々、空のあちこちで澄んだ光を放ちはじめました。そして風に乗って轟々と響き渡る潮鳴りが、海面上に突き出た岩上に立つ私の身体の奥深くまで言葉にし難い懐かしさを伴って伝わってきました。原風景――そう、幼い時代に自らの心の底に刻み込まれた原風景が、時代錯誤とも老いの冷や水とも嘲られても仕方のないような愚行の果てに、石廊崎の光景と二重映しになって胸中に甦ってきたのでした。
 それがどれほど意味をもつのかはともかく、この歳になってもこんな馬鹿げたことをやりながら旅のひと時を楽しむことができるのは、「教育」された結果、すなわち「教え育てられた」おかげでというよりは、「学育」の結果、すなわち「学び育った」ことのおかげなのではないかと、つくづく思いもするのでした。

 なお、最後に一言お断りしておきますが、諸般の事情により、この科学・教育雑想コーナーの連載は今回をもっていったん終了させていただくことになりました。いたらぬ拙文に長い間お付き合いくださいました読者の皆様には心からお礼申し上げる次第です。         (ほんだ・しげちか)


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