科学・教育雑想コーナー 連載第2回/2003年6月18日
宇宙人がいないことを証明せよ? 

 もう2年ほど前のことになりますが、アサヒ・コムのコラムで小泉首相はきわめて非論理的な人物だと書いたことがあります。あえてそんなことを書いたのは、この首相、論理的でない割には、相手の質問をはぐらかしたり、論理をすりかえたりすることだけは得意なようで、総理就任当初から、自分に不都合となるような言質をとられることだけはどうあっても避けようとする、いささか身勝手な振舞いばかりが目だってならなかったからでした。もっとも、その当時はまだ小泉首相の手腕や実行力に期待をよせる世論の声が高く、私のような人間のささやかな批判的意見など掻き消されてしまいそうな状況でしたから、そんな記事などあってなきがごとき有様ではありました。
 一見したところでは正義感と行動力に満ち溢れているかのようなそのコワモテな姿とは裏腹に、折々目にする意外なほどの姑息さや無責任さにはいまだに呆れさせられるばかりです。ただ、外見の豪胆さの奥に自分よりも強い者に対する臆病さと従順さを秘めた首相のそんな特質は、政治家として身につけた処世術の転化したものというより、この人物の幼少期からの育ちと生活環境を通して培われたものであるように思われてなりません。マザーコンプレックスの資質の裏返しとでも言いましょうか……。いずれにしろ、これまでの言動をみるかぎりでは、小泉首相が真の意味での理詰めタイプの人物でないことだけは確かです。
 たぶん、この首相は、様々な国際状況や政治的局面を冷静かつ論理的に考察し政策上の結論を導き出すタイプの政治家ではなく、直観的あるいは感覚的にまず結論を出しておき、その結論を擁護するためにあとからもっともらしい理論や説得法を考え出す、信条先行型の政治家なのでしょう。このような政治家が行政の頂点に立つような場合、その直観的あるいは感覚的判断と選択が状況的にプラスの方向にはたらくようなら偉業をなしうることもあるでしょうが、マイナスの方向にはたらくようだと危うさもまたかぎりなく大きくなりますから、それなりの警戒は欠かせないところでしょう。
 ところで、最近、国会の場でそんな首相の非論理的一面をよく象徴するような珍発言がみられました。イラク問題に関して、ある野党議員が「首相はイラクが大量破壊兵器を隠しているというアメリカの主張を支持しているが、いまだにそれらは発見されていないではないか」という趣旨の質問をしました。すると、首相は、「フセイン大統領だっていまはどこにいるかわからない。でも、フセインが見つからないからといって、彼がいないということにはならないじゃないか」と反論しました。とっさの答弁なのか、あらかじめ誰かが入れ知恵しておいたものなのかはわかりませんが、この議論のすりかえはなかなかに巧妙なものではありました。
 首相の発言を好意的に補足解釈すれば、「イラクのフセイン政権はかつてクルド人制圧のために化学兵器を使ったことがある。そのときに化学兵器があったのだから、たとえいますぐ見つからなくても、化学兵器や核兵器がどこかに隠されているかもしれない」ということになるのでしょう。うっかりすると誤魔化されてしまいそうですが、よく考えてみますとこの主張はどこか変です。
 第一点は、フセイン大統領は確かに存在していたが、いっぽう、首相の比喩的発言の中の「フセイン大統領」に相当する「核兵器や化学兵器のような大量破壊兵器」が実際に存在していたかどうかはなお不明であるということです。フセイン政権がクルド人弾圧に化学兵器を用いたのは事実かもしれませんが、高性能の化学兵器が米英の主張するほど大量に存在していたのかどうかは不確実ですし、核兵器にいたってはその存在は推測の域を出るものではありません。
 第二点は、フセインは確かに見つかっていないけれど、もしかしたら、もう死んでしまっているか、生きていてももうなんの力も持ってはいないかもしれない、場合によってはイラク国外に逃亡しそこで隠遁生活を送っているかもしれないということです。それと同様に、かりにイラクに大量破壊兵器が存在していたとしても、それらはすでに密かに廃棄されているか、廃棄されていなくても老朽化して性能が落ち使用不能になってしまっているか、ことによると北朝鮮のような国に密かに搬出されそこに隠しおかれているかもしれないのです。
 第三点は、フセイン大統領が発見されようが発見されまいが、イラクをはじめとする中東情勢にはもはや大きな影響はないでしょうが、大量破壊兵器の存在が立証されるか否かは国際政治の動向をも大きく左右するということです。大量破壊兵器の存在を理由にイラクに侵攻した米英政府やそれを証拠もなしに支持した日本の小泉政権などは、その政策の正当性を国際的に示すために、すくなくとも「大量破壊兵器が存在していた」ことだけは立証してみせてくれなければならないでしょう。
 ある人が暴力事件を起こして逮捕起訴され、有罪判決を受けて刑期を終えたあと、過去を十分に悔い改め社会復帰したとしましょう。小泉首相流のすりかえ論法に従えば、このような場合でも、「お前は一度暴力事件を起こした。だから、これからもいっそうの重犯罪をおかす可能性がある。絶対に犯罪を起こさないということをお前自らが立証できないかぎりは、お前を犯罪者として強制収監する」ということになってしまいます。

 その時の国会中継を見ていてさらに私が驚き呆れたのは、べつの野党議員に、「イラクに大量破壊兵器の存在を証明することができるのか?」と問い詰められた首相が、半ば怒りを顕わにした口調で、「ではあなたは、イラクに大量破壊兵器が存在しないと証明できるのか。それが証明できないなら、やはりそれらの兵器はあるかもしれないじゃないか」と開き直った答弁をしたときでした。なんという無茶苦茶な答弁だろうと思い、その野党議員にもっと的確な反論をしてほしいと期待したのですが、その議員はなにやら煙に巻かれてしまった感じでそれ以上の追及をしようとはしませんでした。
 話の本質をわかりやすくするために、ここでちょっと議論のテーマを変えてみることにしましょう。みなさんが、かりに「宇宙人がいることを証明しなさい」と求められたとしてみましょう。現代科学技術の範囲でこの証明が可能であるかどうかはともかく、この証明をするには実際に宇宙人を発見するか、なんらかの方法でその存在を確実に示すことができれば十分です。要するに、この問題はどんなに困難でも証明可能であるとは言えます。
 では、「宇宙人が存在しないことを証明しなさい」と求められた場合はどうでしょう。ちょっと考えてみれば明らかなことですが、そんな証明は絶対に不可能です。宇宙人が存在しないことをどうしても証明したければ、そのはてまでの距離が150億光年あるともいわれる大宇宙の隅々までをめぐりめぐって、どこにも宇宙人がいないことを確かめてまわらなければなりません。気の遠くなるような時間をかけて変遷する大宇宙において、現実にそんなことなどできるはずがありません。
 あることの存在証明は可能ですが、不存在証明はほとんどの場合不可能なのです。不存在証明が可能なのは、証明すべき対象事象やその要素の存在範囲が有限、しかも、我々人間の手に負える程度に有限である場合にかぎられます。「あることが成り立つ」ことを証明するように求められて窮したとき、「そのことが成り立たない」ことの証明が不可能であることを逆手にとって、「だからそのことが成り立つかもしれない」と強弁するのは、詭弁を弄する人間のとる常套手段といってもよいでしょう。抽象的な数学の世界の事象についてならまだしも、私たちの住む現実の世界の事象に関しては、存在証明と不存在証明とはけっして同等でも相補的でもないのです。
 事例を示せばよいわけですから、「イラクに大量破壊兵器が存在することを証明すること」は可能ですが、「イラクに大量破壊兵器が存在しないことを確実に証明すること」は論理的にも物理的にも不可能です。厳密にそんなことをしようとしたら、イラクの全施設や民家は言うに及ばず、砂漠を含む全国土を掘りかえしてみるしかありません。しかも、何百メートル、何千メートルもの地中深くまで……。崩壊したフセイン政権の肩を持つつもりは毛頭ないのですが、「大量破壊兵器が存在する」と主張するからにはあくまでそれを立証すべきなのであって、それをうまく回避しようとする小泉首相のような詭弁論法は、この際徹底的に批判されてしかるべきなのです。
 首相の答弁が論理的であるか否か、あるいは適切であるか否かの問題以前に、重要な審議の行なわれている国会の場で、このようなうわべだけの、ひどいすりかえ論法を弄ぶということは、この人物が、国会答弁というものを真面目には考えておらず、また、イラク問題を自国の利害と深くつながる切実な問題であるとも感じてはいない何よりの証ではないでしょうか。外見の格好よさだけに惹かれてこの首相を支持しその手腕に期待した我々国民は、この際、すこしは自分たちの判断の甘さを反省したほうがよいのかもしれません。
                                   (ほんだ・しげちか)



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