科学・教育雑想コーナー 連載第17回/2004年1月28日
フラクタル理論の話(2) 
<B.MANDELBROTの夢>
 残照にあやつられるままに、夕空いっぱいに息をのむような輝きを見せながら、ゆるやかな、しかし、いつ果てるともしれぬ多様な変化を繰り広げる雲々の美しさのなんと感動的なことでしょう。河原の自然石の見せるあの流麗な紋様と石全体を包み込む絶妙このうえない曲面群のなんと見事なことでしょう。冠雪を誇るかのごとく傲然と聳え立つ高山の偉容や、吹きおろす風にさざめく山湖の水面の神秘的なたたずまいを私たちはなんと形容すべきなのでしょう。さらにまた、望遠鏡の向こうに広がる荘厳な大宇宙のドラマをどう描き表わしたらよいものなのでしょう。
 自然の見せる玄妙な構造美につねづねいたく感動し、それらをなんとか巧みに表現できないものかと考えた一人の詩人がいました。しかも、その詩人は、巷の詩人たちが用いるような日常的な言葉によってではなく、数学の世界の言葉によって自らの詩を記し残そうとしたのでした。知る人ぞ知るその野心的な詩人の名を、BENOIT B. MANDELBROT(ベノア・B・マンデルブロー)と言います。
 数学で扱われる関数や曲線・曲面群というものは、通常、極度に抽象化かつ理想化されていますから、それらのなかにある種の調和的な美しさを見出すことができるのは事実です。しかしながら、それらを用いて自然界の事象のそなえもつ多様な構造を実物に似せて再現したりシミュレートしたりしようとすると、たちまち大きな困難に突き当たってしまいます。自然界の事物のほとんどは、複雑このうえない非線型の(すなわち、理想化された数学的な関数を用いては表現できない)曲線や曲面群が無数に組み合わさって構成されているため、多くの場合にはそのような試みは徒労に終わってしまうからなのです。
 そもそも、近世に至って非ユークリッド幾何学が誕生し、トポロジーとして一般化されるまでは、古代オリエントや古代ギリシャ以来の数学の歴史、とりわけ幾何学の歴史は、「無秩序に見えるもの」や「整合性と調和牲に欠けるもの」を異端的なものとして排除していく過程そのものだったと言ってもよいでしょう。「整合性」と「数学」とは同義語であり、また、「整合性に欠ける」と「数学的でない」とは同義語であったというわけなのです。
 ところが、数学の詩人、マンデルブローは、その異才をもって、あえて非数学的な諸構造に挑戦し、自然界に広く見られる不規則な事象や、無秩序の生みもたらす玄妙な構造を、数学という言葉の網でなんとかして包み込むことはできないかと考えなおしてみたのです。よしんば、それが不可能だとしても、その歴史を通して無秩序なものを排除し続けてきた数学的世界と、無秩序なものに見えるもののほうが多い自然界の諸事象とを可能なところからでも融合させていくことはできないだろうかと考えたのです。それまで背反的なものとして理解されていた「光の波動性」と「光の粒子性」とを、光の二面性として包括的に了解することによって光の実態が深く認識され、量子論の飛躍的発展へとつながったあの画期的な発想に通じるものがそこにはあったと言ってよいでしょう。
 秩序と無秩序、整合と非整合、調和と非調和、規則性と不規則性などのような相対立する概念をどのように考えていくべきであるかという哲学的問題はギリシャ時代にすでに提起されていたもので、なにも今に始まったことではありません。「規則性と不規則性とは相補的かつ相対的なものであり、そのどちらもが絶対的なものとして独立しては存在しえず、いっぽうがあって初めて他方も意味づけられるものである」ということが哲学的に示唆されてすでに久しいところでもあります。また、「ある事象を規則的とみなすか不規則的であるとみなすかは、その事象を認識する側の視座のとりかたと基準尺度の選択に左右される」という立場から、幾多のすぐれた思想家たちが諸々の論理を展開してきたこともよく知られている通りです。
 そのような事実からしますと、規則的な幾何学図形や既知の関数の描く軌跡などを、スケール(縮尺)を多様に変化させながら何重にも組み合わせ階層化することによって、不規則かつ無秩序に見える対象物を表現しようという着想そのものは、マンデルブローの独創になるものとは言えないかもしれません。実際、その事実を彼はその自著の中ではっきりと認めてもいるようです。
 マンデルブローの業績ひとつは、IBM客員研究員という当時の彼の立場を大いに活かし、最先端のコンピュータ技術の助けを借りながら、現代数学の諸成果を踏まえたうえで前述したような着想を大きく発展させ、一見無秩序に映る数々の自然現象や自然事象というものを具体的に説明したり解明したりする方法を提示したことでしょう。マンデルブローが発展させた方法に従うことによって、たしかに、それまで不規則あるいは無秩序とされてきた自然界の現象をある程度までシミュレートしたり、より深くそれらの現象を考察したりすることが可能となったのです。
 マンデルブローは、「フラクタル(FRACTAL)」と自ら名づけたその論理体系を、過去の現代数学の研究成果をも自在に導入駆使しながら今後もいっそう拡大発展させ、最終的にはより新しくより大きな数学の研究領域の創造へとつなげたいと考えていたようです。彼の著作や論文の中には、カントール、デデキント、ペアノ、リベーグ、メンガー、ハウスドルフ、ミンコフスキー、ヴェスコーヴィッチらをはじめとする現代数学界の巨匠たちの業績ついてのきわめて該博な考察と論及が見受けられます。フラクタル理論は、けっしてコンピュータ・グラフィックス次元の応用のみを目的として提唱されたものではなく、純粋の数学理論として、当時の数学の最先端領域にあったトポロジーを遙かに超える壮大な研究領域の開拓を目指した野心的試論でもあったのです。
 その後、物理学をはじめとする他の領域の研究などとも融合し複雑系の理論へと発展していったフラクタル理論は、流体力学の研究や気象学の研究などにも応用されようになってきてはいるようですが、現段階では、純学術的な分野におけるその真価のほどは、なお未知数であるといったほうが正確なところなのかもしれません。その意味からしても、今般のフォトニック・フラクタル技術についての発表はたいへんに興味深いものに思われたのでした。
 もともと数学の理論として展開されているものを数学的記述法と数学記号抜きで説明するなどということは、30cmの直線定規だけを用いて自然石の表面積や重さを測定するようなものなのですが、その暴挙をあえて承知したうえで、このあと、フラクタル理論のさわりを日常的な言葉によって紹介してみることにしようと思います。(つづく)
                                   (ほんだ・しげちか)


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