科学・教育雑想コーナー 連載第13回/2003年11月26日
難問奇問の出題の舞台裏は? 
 たまになのですが、どうしてもと懇願され、近隣に住む大学受験生たちの数学の学習相談にのってあげることがあります。未来の社会を背負う若い学生たちの感性を通してこちらのほうもなにかと学ぶことが多いので、それは私にとってもそれなりに有意義な時間ではあります。
 その点はまあよいのですが、ときおり彼らが持ち込んでくる入試問題の中にどう考えてみてもその出題意図が理解できない問題があったりしますと、さすがに、腹が立つのを通りこし怒りさえ込み上げてきたりもします。最近も、ある私立高校の生徒が、宿題なので教えてほしいといって持ってきた入試問題を眺めているうちに、そんな無茶苦茶な問題を作った大学の教師の顔が見たくなってきたものでした。もちろん、こんな問題を宿題に出す高校教師も教師ですし、どうせその教師自身は添付の問題解答や問題解説に目を通してから素知らぬ顔で生徒にその宿題を出したに違いないのですが、この際いちばん責められるべきはやはり出題者の大学の教師でしょう。
 ある私立大学の経済学部の数学の問題だったのですが、それは、この大学を志望する受験生の学力度から推測すると、たぶん誰一人として解けなかっただろう、いやそれどころか、はじめから手のつけようがなかっただろうと考えられるしろものだったのです。珍問難問の域などとっくにこえて、醜問の域にまで達していたと言ってよいでしょう。
 大学の名誉にかかわることですからその出題校名を明らかにすることはできないのですが、昨今の少子化の煽りをくらって極端な定員割れをおこしている大学の一つとだけ書いておくことにしましょう。あまりこんな表現はしたくないのですけれども、あえて言わせてもらうならば、そんな大学が、数学の出題範囲が数UBまでのはずの経済学部の入試問題に、数Vの微分積分の知識やロピタルの定理(高校の数Vの範囲外)などを総動員しなければ解けないような問題を出題すること自体異常だと思われます。経済学部は理工系なみの数学を必要とするとはいいますものの、国立大学や私立大学の超難関校といわれる大学だって、経済学部の場合には数学入試の出題範囲は数UBまでにかぎられています。
 ここで詳しいことを書くわけにもいかないのですが、それは、根号の中に三次式や分数式の入った関数のグラフを描き、それらのグラフの接線を求め、次にそのグラフの特定領域の接線が他の領域のグラフと交わる範囲での接点のX座標の最大値を定め、さらにそのときに接線とX軸、そしてもとの関数のグラフで囲まれる部分の面積を求めるという問題でした。
 まず、根号の中の三次関数(この三次関数のX軸との交点は整数一個と無理数二個!)や対数関数混じりの分数関数を微分して増減表を書き(分数関数の極限値を求めるときに、たとえ知っていても証明抜きで単に結果だけを暗記しているにすぎないロピタルの定理が必要だったりする。ロピタルの定理を使わないでその極限値を求めようとすると、たとえ求まったとしてもそれだけで試験時間が終わってしまいかねない!)、根号の中が正の値をとるXの領域を求めるだけでも一苦労で、この段階で「出題者のバカヤローッ!」と目をつりあげて罵りたくなってきます。
 なんとかそれが求まりますと、次には根号のついたもとの関数全体の一次導関数を(これがまた複雑な分数関数になるのである!)、それをもとにして切れぎれの(もとの関数の根号内が正の値になる領域だけの)増減表を描き(厳密にやるなら当然二次導関数も必要になってくる!)、さらにいくつかの関数値を求め、問題の関数のグラフを描かなければなりません。ここまでくると、「オメー正気かよぉ?、クソッタレがあ!」と怒りもあらわに絶叫したくなってきます。
 そのあと、複雑な無理式が分母にくる分数係数の接線の方程式を求め、それをゴチャゴチャ変形したり分母を有理化したりしたうえで、出てきた解の適否を判別してなんとか題意に適した接点の座標を求めます。そして、最後に、なんとか描きあげたへんちくりんな図形の面積をいくつかに分割しながら定積分してその計算結果を足し合わせるのですが、最終結果が求まる頃には目がすわってきて、「コンチキショーッ、殺してやるうっ!」と憤怒の度合いもついに頂点に達してしまいます。要するに「怒りの曲線」が最大値をとるというわけです。下手をすると「怒りの曲線」が尖ってしまって微分不可能な特異点になったり、かぎりなき憤怒のために関数値が無限大に発散したりすることにもなりかねません。ここまでくると、もう数学の本質とはまるで無縁な精神の拷問以外のなにものでもないからです。
 時間の限られた入試の現場で実際にこんな問題と遭遇したら、難関国立大学の理科系の受験生といえども完答できる者はほとんどいないのではないでしょうか。そんな状況から推察しますと、その問題を出題した大学の経済学部の受験生でこの問題に手をつけた者は誰一人いなかったことでしょう。もちろん、大学数学科レベルのより高度な数学の知識をそなえもつ人なら高みからその問題を見下ろすこともできますので、それなりの展望もきいて、直観的にその解答方針やポイントを押さえることはできるかもしれません。でも、受験生の知識の範囲で、しかも数学UBまでの履修範囲を前提とした受験知識の範囲ではとてもそんなことができるはずもありません。そもそも、そんなことができるくらいならそのような大学に行く必要などないのではないかと思われるくらいなのですから……。
 もしかしたら、こんな問題を出題した大学の先生は、一万人に一人くらいの忍耐力と集中力、さらには特異な数学的才能をもった人材を探し出すつもりだったのかもしれません。そうでなければ、受験生時代によほど嫌な思いをし、その結果それがトラウマとなってしまい、その反動で受験生に対するサディスティックな趣味に生き甲斐を感じるようになってしまった人物なのでしょう。
 出題者のほうはあらかじめ用意しておいた答えをもとにして、意地悪な落とし穴やクリアするのに特殊な閃きのいる障害物をあれこれと設けながら問題を作っていくからよいのですが、そうやってつくられた難問や珍問をいきなり解けと迫られる受験生のほうはたまったものではありません。しかも近年は複雑な任意の関数と、その関数の定義域を適当に入力してやるだけで自在にそのグラフが描けるパソコンソフトなどもありますから、問題を作成する側はいくらでも凝りに凝ったグラフや図形をデザインすることができるのです。かつてはグラフの形状がわからないから微分してその概形を求めていたのに、コンピュータの発達のおかげで、いまは正確なグラフを先に描いてから、微積分の問題をデザインするなどという、本末転倒なこともできるようになっています。
 たとえどんなに難しくてもそれが将来の本質的な研究などにつながるような問題ならある程度やむをえないのですが、計算量がやたら多くて単にひねくれているだけの難問なら、これほどに迷惑な話はありません。迷路の構造原理を考えさせるために迷路に挑ませるのならよいのですが、時間を制限したうえで、同じ迷路の原理を何重にもかさね繰り返し(こうした構造をフラクタル図形的構造ともいうのですが)、やたら複雑怪奇に設定した巨大迷路にチャレンジさせ、「時間内にこの迷路を抜けられないと、お前の人生は真っ暗だぞ!」と脅迫するような異常さは、笑ってすませられる問題ではないでしょう。

 では、あえてそんな出題が繰り返される背後にはどんな意図があるのでしょうか。どんなにやさしい大学でもそれなりのプライドを守るため、入学試験問題だけは一応の格好をつけた出題をしておかねばならないという事情はあるでしょう。また、出題担当の大学教師が不勉強で、受験生の数学の履修範囲に十分な配慮をしていないということもあるかもしれません。私立大学ということもあって、たとえ悪問が出題されたとしても、誰も実効性のある批判をすることができないため、例年おなじことが繰り返されているというようなこともないとは言えません。
 しかし、私にはいまひとつ特別な理由があるようにも思われてなりません。皮肉な見方かもしれないのですが、率直に述べさせてもらいますと、出題や採点の労力の省力化のためではないかということです。記述式の問題などにおいては、十分に計算し尽した良問をつくり、部分点や中間点などをきめ細かくつけるとなりますと、問題を作成したり多数の答案の採点処理をしたうえに、細かな点数の集計まで正確におこなわなければならない入試担当者の労力は大変なものになるからです。ですが、極端に問題が難しければ、誰も手のつけようがないわけですからその必要はほとんどありません。定員割れを起こしそうな大学の場合、入試の得点が実際どれだけの意味をもつのかはわからないのですが、様々な理由で、受験生の答案を含む入試関係資料をそれなりに整え一定期間保管はしなければならないきまりですら、この種の問題は痛し痒しといったところなのでしょう。
 たまたまこの話を教え子でもあるある予備校の教師にしましたところ、彼は、「たぶんいまひとつの意図は、それが難問であることを察知しそれを避けて通る的確な判断力や、かぎられた時間内で無駄を省き必要最小限のことを処理する能力の有無を調べることなのではないでしょうか」などという、なんともうがった見解を述べてくれました。なるほどと納得しながら、思わず笑い転げてしまいましたけれども……。
 ただ困ったことに、そんな難問奇問の余波が及ぶのはそれを出題した大学の受験生だけに留まりません。むしろその大学に関係ない人々への影響のほうが大きいといえるでしょう。受験書専門の出版社や予備校などはそれらの一癖も二癖もある問題を掻き集め、「超難問集」とかいったような類の問題集を作成し、難関校を目指す受験生の心理を煽り立てます。また、厳しい受験指導態勢を敷き、管理主義的傾向の強い一部の高校の教師などのなかには、その種の問題集を購入し、そこから選んだ問題を新たに用紙にコピーして教材にしたり、生徒への宿題にしたりする者がいたりします。教師たちのほうは問題集に付属する模範解答をもっているからよいのですが、なんのヒントもないままに真正面からそんな難問に挑まされる生徒のほうはたまったものではありません。
 そういった難問を教材にする教師たちが解答を見ながらでもいいから予習をし、あらかじめしっかりポイントを押さえてから、丁寧な解説つきでその問題を解いてみせ、生徒の疑問点に答えてくれるのならまだ許せます。もちろんそんな教師もいるようなのですが、ただ現実にはそれは少数派に過ぎないようなのです。たいていの場合は、「こんな大学でもこの程度の問題を出しているんだ。このくらいの問題ができなくてどうする! そんなことじゃ、もっと難しい志望校なんかとても受からないぞっ!」とばかりに激しく生徒にプレッシャーだけかけ、アフター・ケアなどまったくしていないのです。
 自分だっていきなりそんなヒネにヒネた問題をやらされたら完答などおぼつかないくせに、そんなことは棚に上げて生徒を煽り立てます。そして最後には、これまたコピーしただけの解答を生徒に手渡し、「できなかったら、これを見てできるようになっておくように!」と声高に宣言し、根性論だけをぶちあげたあげく、実際にはその問題について自らは何一つ教えないままに事を片付けてしまうのです。かつての教え子のなかにも高校の教師になっている者があるのですが、彼にはそんな教師にだけはなってほしくないとひたすら願うばかりです。
 ほとんどの生徒の場合、そんな難問を自力では解けるはずがありませんし、たとえ解答を見たりしてもその意味を理解するのさえ困難でしょうから、真面目であればあるほどに思い悩み、極端な場合には精神脅迫症寸前の状態にまで陥ってしまいます。いきおい彼らは、予備校の教師や家庭教師、身近な数学専攻の人々などに助けを求めることになるのですが、助けを求められた側にしても即座に対応するのは容易ではありません。たとえその難問を解くことができたとしましても、教えを請うてきた生徒の力量や理解度に合わせてわかりやすく説明することは結構難しいことですし、実際にそうするにはそれなりに時間も手間もかかるからです。
 相談を受けた難問、奇問、愚問、珍問を解いてやり、その要点を説明し終えたあとで(要点もへったくれもないのですが)、「こんな問題、できなくても大丈夫なんだよ。くだらないもいいとこなんだから、解けなくても気にすることなんかないよ」と心から慰めてやると、相手はいかにもほっとしたというような安堵の笑みを浮かべることが少なくありません。どんなに受験生たちが精神的に抑圧された状態にあるかがわかるというものです。
 さらにまた、超難問の解決に行き詰まって誰かに助けを求めようとする受験生たちの親だって、そのために相当な出費を迫られたりすることになりかねません。社会全体として考えてみるとき、これはもう時間的、経済的な意味でも、さらには人的エネルギーの観点からしても大変なロスだと言わざるをえないでしょう。不況の時代には予備校や塾産業の発展は経済活性化の要因になりうるから、それらの存在を支える超難問や奇問には意味があるなどという皮相な見方も成り立つのかもしれないのですが、たとえそれが事実ではあったとしても、そんな情況が教育のあるべき姿からはずれていることは言うまでもありません。
 もっとも、「泥棒にも三分の理」という諺があるくらいですから、難問奇問をつくった大学の先生方にも、当然、「四分や五分程度の理」はあるに違いありません。また、難問奇問をよしとしない大多数の大学の先生方にも、入試を担当するに際してはそれなりの苦労はおありのことでしょう。多数の受験者のなかから合格者の選抜をするという行為に完全無欠な方法など存在するはずがないのですから、それは当然のことだと考えられます。つぎはそのあたりのことについて、すこしばかり私見を述べさせてもらいたいと思います。
                                  (ほんだ・しげちか)


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